3章

第15話 物部妹

 日本で唯一、悪の秘密結社に買い取られた街、東京都桜丘。

 しかし、買い取られたところで、他の街と何が違うというわけでもない。

 表面上は。

 

 昨日、パワードスーツと戦闘員が町中で暴れたというのに、ニュース番組はおろか、新聞の片隅にすらその記事は取り上げられることはなかった。

 もっとも取り上げたところで、妄想だと鼻の先で笑われるのがオチだろう。

 どこかで事件がもみ消されているのか、何かしらのタブーになっているのか。

 それは、ただの高校生である俺には伺い知ることが出来ない。

 ただの高校生である俺は、こうやって毎日同じように学校へと通うだけなのだ。

 昇降口で上履きへと履き変えていると、その横を物部が通り過ぎていく。

 太陽の光を知らないかのように白い肌が、今日は青ざめているように見える。

「具合悪そうだな、物部」

 振り向いた物部の顔は、何故か怒りに染まっていた。

「五月蠅。貴様には関係ないだろう」

「確かに、俺には関係ないけど。昨日の電撃がまだ残ってるのかと思ってな」

 少し露骨過ぎただろうか。

 物部は眼鏡の奥の瞳を大きくすると、頼りない足取りで俺へと近付いてくる。

「あの程度の電撃、当たりどころさえ悪くなければ何てことはなかったんだ。それに、貴様が余計な事をしなくても、矢吹を避ける事は十分に可能だった」

 正直、ここまで簡単にボロを出されると反応に困る。

 なんと声を掛けたらいいのか分からない。

「物部って結構アホだな」

 だから、こんな直接的な言い方になってしまった。

 俺の言葉でようやく自分のミスに気付いたようで、物部は絶句する。

 そして、ふらふらと階段を登って行ってしまった。

 物部とオロチが関係なければいいなと思っていたのだが、そんな俺のささやかな望みは、脆くも打ち砕かれてしまったのだった。

「あの……」

 遠慮がちな声に首を向ければ、昨日部室の前にいた一年生が俺を見上げていた。

「兄がご迷惑をお掛けして、すみませんでした!」

 勢いよく頭を下げた拍子に、背中にまで掛かる黒髪がさらりと揺れる。

 謝られる謂われがない俺は、何故一年生が頭を下げているのかが分からず、ただじっと見つめてしまう。

「そうですよね、怒るのも無理ないですよね。謝っても許されるようなことじゃないですし」

「別に怒ってないっていうか、何で謝られてるのか分からないんだけど」

 俺の問いに、一年生はまた頭を下げる。

「すいません、私よくそそっかしいって言われるんです」

 頭を上げて、少し照れたように笑う一年生。

「私、物部樹の妹の、物部華(もののべ はな)っていいます」

 妹、ね。

 確かに、やたらと白い肌や、癖っ毛なところが似ているような気がする。

「私の顔に何か付いていますか」

 俺は首を横に振る。

 妹が謝りに来たということは、これは本格的にクロだということか。

 問題は、クロだと分かったところで、どうするかということだ。

 俺を巻き込まないでくれれば、ヘルタースケルターと戦おうが何をしようが別に構わないのだが、この事実を知ったら先輩はどう行動するだろうか。

 俺でもあっさりと辿り付けたのだ。先輩が、辿り付けないわけがない。

 そうなったら、俺が巻き込まれるのは確実だろう。

「君の謝罪は確かに受け取った。俺も怒ってないし、この件は水に流そうじゃないか」

「本当ですか! ありがとうございます!!」

 危機は去った。

 ただでさえ面倒な状況が、これ以上拗れることはなさそうだ。

「矢吹先輩にも謝りに行かないと」

 前言撤回。危機は去っていなかった。

「いや、アイツも怒ってなかったから大丈夫じゃないか」

「そういうわけにはいきません。ちゃんと謝らないと」

「じゃあ、こうしよう。俺が謝っておく」

「それじゃ、意味ないじゃないですか。私が誠心誠意、直接謝らないと」

「直接じゃない方がいいと思うけどなぁ。ほら、迷惑かもしれないし」

「だとしても、私は直接謝りたいんです」

 なかなか強情なヤツだ。

 こちらの意見は一切受け入れるつもりはないらしい。

 このままでは、物部妹と矢吹の接触は避けられないだろう。

 すると、どうなるか。

 矢吹の行動様式は俺には理解不能だ。しかし、巡り巡って俺に災難が降り懸かることは分かりきっている。

 一体、どんな災難が起こるのか、想像するだけでも恐ろしい。

「矢吹君に会いたいなら、放課後部室に来るといいよ。読書部にいるからさ」

 先輩がいつの間にか真横に立っていた。

 終わった。

 俺は、そう思った。

「読書部の位置分かるかな?」

「はい、大丈夫です」

 では、と頭を下げて去っていく物部妹に、先輩がひらひらと手を振る。

「ダメだよ、港後輩。下級生には優しくしないと」

 先輩がニヤリと笑う。

「物部妹をどうするつもりですか?」

「彼女はどうにもしないさ。だけど、矢吹君を傷つけようとした人間がどうなるかは、分からないけどね」

 邪悪な笑みだった。

 悪役を通り越して、悪魔のそれだ。

「僕の大事な玩具……もとい部員を傷つけるなんてさ、許せないよね。然るべき制裁を与えないと」

「いま、矢吹のこと玩具って言っただろ」

「言ってないよ。そんなこと、僕が言うわけないじゃない」

 ケラケラと笑いながら、先輩は自分の教室へと向かっていく。

 今日もなんだか、ロクでもない一日になりそうな予感がした。

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