第13話 平穏な日々
走る勢いと矢吹の重みに、思わずつんのめりそうになる。
だが、なんとか落とさずに受け止めることに成功したようだ。
矢吹に怪我がないかを確かめるために、視線を落とす。すると、彼女は呆けた表情で俺を見上げていた。
「……あの、一体なにが?」
どうやら怪我はないようだ。
ならば大丈夫なのだろう。医者ではないのでよく分からないが。
道の奥では、オロチが火花を散らしながら立ち上がろうとしていた。
パワードスーツは完全にイかれているらしい。油の切れたブリキ人形のようなギクシャクとした動きをしている。
そして、俺達の背後からはオロチが追ってこないことを不信に思ったのか、戦闘員達が戻ってきている。
「貴様、何をした……」
ノイズ混じりのオロチの声。
今朝は少年と呼ばれていたのに、いつの間にか『貴様』へと呼び方がランクダウンしている。
短い時間でエラく嫌われたものだ。
「何をしたと訊いているッ」
激昂とと共に立ち上がろうとしたオロチだったが、片足に力が入らないらしく、再び膝を地面へと付ける。
それでも、不規則に点滅を繰り返しているアイカメラは俺から視線を外そうとはしない。
「アンタが跳ね飛ばしたコイツを受け止めただけだ」
「……巫戯けるな。俺が衝突するより前に、彼女は飛んだ。貴様から伸びた青白い腕に掴まれてな」
見られていたのか。
あの速度で、よく周囲の状況を把握できるものだ。
どれだけ高性能なパワードスーツなのか、一介の高校である俺には知る術もないが、ヘルタースケルターが回収しようとした理由はよく分かる。
「もう一度訊くぞ。貴様、何をした」
「アンタが跳ね飛ばしたコイツを──」
電信柱を蹴り飛ばした反動を使い、オロチが無理矢理こちらへと跳ねる。
なんとなく感じていたが、感情に流されやすいタイプのようだ。だから、自分の限界を見誤る。
最後の力を振り絞った跳躍も、俺に届くことなく落下しアスファルトの上を綺麗に滑っていく。そして、俺の目の前で動きを止めた。
もう、立ち上がることすら出来ないらしい。
「何をしたか知って、どうするつもりなんだよ?」
「危険な力ならば、貴様を消す」
数分前までは流暢な男の声だったのに、今では完全な機械音声へと変化していた。
顔を向けることが出来ず地面に突っ伏したまま喋るオロチの姿は、どことなく物悲しい。
だから、後頭部を踏みつけてやる。
「消すって言われて、素直に教えてる奴がいるかよ。消すって言われなくても、答える義理はないけどな」
「うわっ、あのお兄さん外道ッスよ」
「俺達でも、そこまではしねぇよな……」
外野がうるさいが、そこは無視をしておく。
「だいたい、正義を語る人間が一般人を轢き殺しそうになるとかどうなんだよ。洒落になってねぇぞ」
「誰の後頭部を踏みつけているッ」
後頭部にもセンサーでも付いているのか、こちらの姿は見えているらしい。
ならばと、オロチの後頭部を踏みにじる。
「殺人未遂犯の後頭部だよ」
下で必死に藻掻いている様子は伝わってくるが、機能の助けがなければ自分では動かせないらしく、俺の足の下からは抜け出せない。
「アンタが正義を語ろうが戦闘員と戦おうが自由だけどな、一般人を巻き込むなよ、アホが」
とうとう音声機能もイかれたのか、オロチは沈黙する。
俺は足をどけると、戦闘員達へと振り向いた。
「アンタらも、あんまり派手に暴れんなよ。人死にが出たら洒落にならねぇぞ」
「いやいや、全くもってその通りッスね。今日のところは、お兄さん達への慰謝料ってことで俺達は帰りますよ」
慰謝料って、俺達にとって一つも得がないのだが。
また回収しようとして暴れられてもリアクションに困るので、まぁいいけど。
これ以上、コイツらと関わり合いになりたくないし。
闇の中へと消えていく戦闘員達を見送って、俺はため息を吐く。
「帰るか」
オロチに始まってオロチに追われた一日も、ようやく終わってくれそうだ。
怪我が完治していないのにこの仕打ちはかなり酷いと思うのだが、神様などという存在がもしもどこかにいるとすれば、俺は相当嫌われているに違いない。
「あの、坂上さん……」
腕の中で、矢吹が困ったように口を開く。
「そろそろ降ろしてもらえると、嬉しいのですが」
矢吹を抱えっぱなしだということをすっかりと忘れていた。
どうりで、腕が重いわけだ。
降ろしてやると、矢吹は地面ではなくオロチの背中に乗る。轢かれそうになったのだから、これくらいしても罰は当たらないだろうが、結構酷い奴だなコイツ。
「助けていただいて、ありがとうございました」
オロチの上で矢吹が頭を下げる。
なんだか、とてもシュールな図だった。
「それはお互い様だろ。矢吹が突き飛ばしてくれなかったら、俺が轢かれてたし」
ようやく矢吹がオロチから降りる。
背中に乗っているのも飽きたらしい。
逃げてきた道を戻り、本来の通学路ルートへと入る。
隣を歩く矢吹はずっと無言だが、頻繁に視線をこちらへと向けてくる。何か言いたそうな、そんな気配。
俺は気付かないフリをしながら、ただ前だけを見る。
「あの……」
ついに耐えきれなくなったのか、矢吹が口を開く。
本当に堪え性のないヤツだ。
「さっきのって」
「なぁ、矢吹。誰にでも話したくないことってあるよな。俺にも矢吹にも、先輩にもさ」
俺の言葉に、矢吹は口を閉じる。
「あんまり踏み込まない方が上手くやっていけると思うんだよ、俺は」
「でも、それって少し寂しいです」
「寂しいのと傷つくのって、どっちが楽なんだろうな」
楽に生きたいと、俺はずっと思っている。
波風立てず、ずっと凪いでいて、楽しいことも辛いこともなく、ただ繰り返していくだけの毎日。
俺はそれで十分なのだ。
だが、楽に生きるのは、とんでもなく大変なことのようだ。
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