第12話 暴走する正義

「やはり、この街には坂上さんの力が必要なようですね。これからは、毎日スーツを持ってきますので安心して下さい」

「何を安心すればいいのか、微塵も分からないんだが」

「大丈夫です。スーツの洗濯は私がちゃんとしておきますから」

「安心しろ、絶対に着ないから」

 横に並んでいた矢吹が、小走りに俺の前へと回り込んで立ち塞がる。

 仕方がないので横を通ろうとすると、矢吹も同じ方向へとスライドする。

「帰ろうって言ったのは、お前だろうが」

「意固地にならずに、いい加減参号であることを認めたらどうですか?」

 真剣な表情の矢吹。

 俺はなんだか、いたたまれない気持ちになって空を見上げる。

 点々と小さく輝く星々。

 東京は星が見えないなどと聞くが、東京の空しか知らない人間にとってはこれで十分なのだ。

 大量の星が見たければ、プラネタリウムにでも行くか、宇宙飛行士にでもなればいい。

 多くを望まなくても、今あるもので楽しむことが出来る。

 それで、十分ではないか。

「お前、アホだな」

「今の、たっぷりと開けた間はなんだったんですか!?」

 何だと聞かれたら、こう答えるしかない。

 意味はない、と。

「坂上さんなら出来るって、私は信じていますから」

「俺はオマエほど、自分のことを信じてない」

「お前の信じるお前でなく、俺の信じるお前を信じろ!」

「うるせぇよ」

 右に行くと見せかけて、矢吹が右に動いた瞬間、左側を通り抜ける。

 後ろで「ずるい」だの「鬼、悪魔、サワディーカップ」だのと矢吹が文句を言っているが、いい加減相づちを打つのも疲れてきたので、無視する。

「待って下さいよ。本当に私は坂上さんのことを信じているんですから」

「それはどうも」

 後ろからついてくる矢吹を引き離そうと、歩く速度を上げる。だが、矢吹も負けじと必死についてくる。

「本当に本当ですよ。坂上さんには、特別な力があるんですから」

「そんなものないって言ってるだろ」

「私、見たんですから」

 矢吹は歩く速度をさらに上げ、横にぴったりと付いてくる。

「屋上から降りたあの時、坂上さんの手は届いてなかったのに、私の体は引っ張り上げられたんですから」

 人間、本気になるとロクなことがない。

 やはり、何事も適当にやり過ごすのが一番だ。

 何か秘密でも探るような視線で見上げてくる矢吹に、俺は適当な言葉を返そうとして、背後から音が近付いていることに気付いた。

 音の正体を探ろうと首を向けた瞬間、黒い人影が俺と矢吹の横をそれぞれ通り過ぎ、強制的に前へと引っ張り始める。

「いやいや、すまないッスねお兄さん。とりあえず、今は全力で走って下さい」

 先ほど、オロチを運んでいったはずの十八号が俺の手を引っ張って全速力で走っていく。

 わけもわからぬまま、引き摺られるようにして走る。

 横でも俺と同じように、矢吹が八号に引っ張られて全力で走っていた。

「ななな、何が起きてるんですか!?」

「うるせぇ、舌噛みたくなかったら黙って走れ!!」

 二人の戦闘員は俺の前を走っているというのに、背後の音は相変わらず聞こえていた。

 低く唸るような、エンジン音。

 それが、徐々に背後から迫ってくる。と、街灯に照らされて一瞬光ったのは、鉛色の人影。

 それが、地面スレスレの位置を飛んでいるように見えた。

 俺が背後を確認したことを知ったのか、十八号が困ったように頭を掻く。

「電流が弱かったんッスかね。再起動しちゃいまして、突然エンジン音を出し始めたんで、慌てて逃げて来たんッスよ」

「何でこっちに逃げて来るんだよ!」

「そう言われると返す言葉もないんッスけど、目の前に敵がいたらなかなかその横を通って、逃げようとは思わないッスよ」

 確かにそうかもしれないが、だからといって巻き込まれても反応に困る。

 第一、なぜ一緒に逃げる必要があるのか。むしろ、一緒に逃げることで俺達までターゲットにされかねないのだが。

「この道の広さッスよ。逃げなかったら、今頃あいつに牽き殺されてるッスよ」

「だったら、塀の内側とか、電柱の上とかに逃がしてくれれば良かったじゃないですか!」

「そんな余裕があるように見えたか?」

 いちいちもっともなことを言う戦闘員達であった。

「もうちょっと行けば分かれ道ッスから、そこでお別れッス。うちらは、右に行きますんで」

 十八号の声が、迫ってくるエンジン音で聞き取りづらい。

 どこか故障でもしているのか、時折何かが砕けるような音を混じらせながら追ってくるオロチは、恐怖以外の何者でもなかった。

 さらに無言ということが、その恐怖に拍車をかけている。

 どれくらいまで迫っているのか、背後を確認する余裕などなかった。

 だが、俺達の足の方が早かったようで、分かれ道は目前まで迫っていた。

「ではでは、お兄さん達。またいずれ」

 そう言って、道が交差する地点で手を離される。

 走る勢いを殺さないように、左側の道へと入っていく俺と矢吹。先ほどの細い道とは違い、車がすれ違える道幅が目の前に広がる。

 ようやく走らなくてすむ。運動不足が祟って、脇腹に鈍い痛みがずっと走っているのだ。

 とにかく休憩したい。

 大丈夫、オロチは戦闘員を追って行こうとしている。

 速度を徐々に緩めようとしたその時、アスファルトを削る甲高い音と共に、火花を散らしながらオロチが急に左側へと曲がってくる。

 ダメージを受けた体では加速に耐えきれなかったのか、バランスを崩した体が地面にぶつかり、方向が変化したのだ。

 恐るべき早さで近付いてくる、鉛色の体。

 足はもう止まりかけているのだ。この状態から最高速度で動くなど、読書部の俺に出来るわけだがない。

 と、急に俺の身体が壁側へと押し出される。

 矢吹が、両腕で俺を押したのだ。

 そんなことをする暇があるなら十分に逃げられるだろうと思うのだが、矢吹は自分だけ逃げようとはしなかったらしい。

 オロチはあっさりと見捨てたのに、俺のことは見捨てなかった。

 困ったような笑みを浮かべる矢吹を見て、俺は心底こう思う。


 コイツ、本当にうぜぇ、と。


 目の前をオロチが自動車のような速度で走り抜ける。そして、それに弾き飛ばされた矢吹は、軽々と宙を舞った。

 壁やらフェンスやら生け垣やらを次々に倒壊させながら、電信柱に衝突してようやく動きを止めるオロチ。それでも、矢吹はまだ落ちてこない。

 ゆっくりと二等辺三角形に似た放物線を描きながら、矢吹の体は落下コースへと入る。

 俺が飛んでいるわけでもないのに、感覚は極限まで高められ、周りの風景がスローモーションに変わる。

 脳よりも感覚の方が先走り、自分の動きが遅いことに舌打ちしたくなる。だが、舌打ちすらも動きが緩慢すぎる。

 矢吹が落ちてくる。

 俺は掬うように両腕を伸ばしながら、落下点に向かって走る。

 一歩でも前へ、数センチでも前へと地面を蹴る。

 そして、矢吹が俺の腕の中へと落ちてきた……。

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