第6話 はじめての戦闘
俺は、あの時ほだされてしまった過去の自分をとてつもなく呪っていた。
黄色を基調に黒にラインの入ったボディースーツに、顔の上半分だけを覆うマスク。どこからどう見ても、変態でしかない。
土曜日の昼間に、俺はいったい何をやってるんだ……。
そんな俺の心の声などまったく聞こえていないようで、矢吹はなぜか胸を張りながら意気揚々と隣を歩いている。
「坂上さん、さあ張りきっていきましょう!」
「張りきれるような状態でない事くらいは察してくれ。あと、名前で呼ぶな」
どこで知り合いが聞いているのか分からない状態で、名前を呼ぶなんて正気の沙汰ではない。
そんな俺の気持ちが伝わったのか、矢吹は足を止めて顎に手をあてる。
「確かに、ヒーロースーツを着ているのに坂上さんと呼ぶのはおかしいですね。何かコードネームを付けないと。何がいいですか、坂上さん?」
恐ろしいくらいに伝わっていなかった。
「何か付けたい名前とかありますか、坂上さん」
どっと疲れが押し寄せたような気がして肩を落とす。そして、勝手にしてくれとばかりにヒラヒラと手を振った。
「そうですね、三番目だから、『参号』っていうのはどうでしょうか」
「まんまだな。あれか、ハムスターにハムちゃんとか、スターとかって名前を付けるタイプか」
「なんで分かったんですか!?」
びっくりした矢吹の表情に、もう溜め息すら出ない。
「じゃあ、参号で決定ですね。行きますよ、参号さん」
「さんを付けると、愛人みたいだな……」
自信満々な矢吹の横を俺は仕方なく歩く。
どこに向かって歩いているのかは聞いていないが、方角からするとたぶん駅へと向かっているのだろう。
駅に近付くにつれて増えていく人々。
どうにも突き刺さる視線が痛い。
こちらを指さしながらケラケラと笑っている小学生の集団を、無言で睨み付けると楽しそうに叫びながらどこかへと散っていく。
全身タイツの怪しい人間など、この街ではさして珍しくもないだろうと思うのだが、どうにも目を惹くらしい。
「こんなに目立つとマズいんじゃないのか?」
矢吹にだけ聞こえるようにボソリと言う。
「大丈夫です。これも作戦のうちですから」
矢吹が大丈夫という以上、たぶん大丈夫ではないのだろう。
スーパーの角を曲がると、通りの向こう側に千歳船橋駅が見えてくる。
駅の前にある小さな広場。
柱を中心として、円状のベンチが二つ並んでいる。そのベンチの一つに四人の戦闘員が座っていた。
ベンチに座る戦闘員の姿というのはかなりシュールな光景だが、人のことを言えるような格好をしていないことを思い出す。
「で、どうするんだ?」
「大丈夫です、付いてきてください」
矢吹が大丈夫という度に不安になっていくのだが、彼女はそんな事には微塵も気付かない。
通りを真っ直ぐに進んで、横断歩道を渡る。
こんなに近付いて大丈夫なのか、と思っている間に、矢吹がベンチで談笑している戦闘員に近付く。
白と黒の縞模様の全身タイツに、陰陽マークのようなマスクを付けた、異様な連中。
今でこそこの街に溶け込んでいるが、一歩引いてみればやはり異様である事が浮き彫りになる。
「おい、お前たち!!」
矢吹の怒声に、戦闘員だけでなく通行人まで何事かと顔を向ける。
「あ?」
ボイスチェンジャーでも使っているのか、やけに甲高い声がマスクから漏れる。
「ここで会ったが百年目、神妙にお縄を頂戴しろッ」
なるほど。いきなり真正面から戦闘員を怒鳴りつけるという、素晴らしい作戦であった。
つまりは、ヒーローらしく正々堂々と戦うということか。
終わった。何もかも……。
「お縄を頂戴って、いつの時代の人間ッスか?」
胸の辺りに『十八号』と番号の振られた細身の戦闘員が、クツクツと笑う。
「笑っていられるのも今のうちです。何故ならば!」
矢吹はそう言って、ゆっくりと右手を上げていく。
そして、人差し指を俺へと向ける。
「このヒーローが、お前たちを倒すからだ!!」
四人の戦闘員の視線が俺へと集中する。集中して、空気が固まった。
「くっ……」
その声は誰のモノだったのか。小さな呻き声は、戦闘員全員の笑い声の合唱へと変化する。
「面白い、面白いよそれ。そかそか、ヒーローの格好してるもんね」
体のラインから女性だと分かる『七十五号』と番号の振られた戦闘員が、苦しそうに声を絞り出す。
「笑ったら失礼……だと思うよ」
子供なのか小柄なだけなのか、随分と小さな戦闘員『百号』がボソリと呟く。
「いやいや、これは笑ってくれってフリだと思うよ。そうだよね?」
「私は本気です!!」
一体この状況はなんなのかと考えるが、考えるだけ無駄なのだろう。そんなことよりも、一刻も早く帰りたい。
「さぁ、坂上さん……じゃなかった、参号さん。奴らをやってしまって下さい!」
「いや、やってしまって下さいと言われても」
「では、あとは任せました」
ポンと俺の肩を叩くと、矢吹はどこかへ走り去ってしまう。
「作戦とか、どうなったんだよ」
置いてけぼりになる形となった、俺と戦闘員達。
このまま何事もなく解散となってくれれば良かったのだが、戦闘員達の方には俺を逃がすつもりはないらしい。
最初に不機嫌そうな声を出した筋肉質な戦闘員『八号』が、首をゴキリと鳴らしながらベンチから立ち上がる。
「で、テメェが何するって?」
凄む八号に、俺は重い息を付く。
「俺はなんにも言ってないんですけど」
「そんな格好をしておいて、それはないッスよ。お兄さん」
十八号がクツクツと笑いながら、ベンチの下から金属バットを取り出す。
「久しぶりに楽しいケンカになりそうッスね」
素手で戦うという特撮番組に登場する戦闘員のルールは、彼らには適用されないらしい。
金属バットで肩を軽く叩きながら、ゆっくりとベンチから立ち上がる。
「みんなケンカっ早すぎでしょ。カルシウム足りてないんじゃないの?」
そう言いながら、七十五号がメリケンサックを装着する。
「カルシウムは関係ない……と思うよ?」
百号が自分の脇に置いていた釘抜きを手にする。
武装し始めた戦闘員の集団から逃げるように、周囲から人の姿が消え始める。
遠巻きに眺める人すらいない。あれほど注目されていたというのに。
さて、どうしたものかと考えていると、目の前のコンビニの中からぞろぞろと戦闘員の集団が姿を現す。
どうやら、表にいた四人だけではなかったらしい。
武器を構えている仲間の姿に、互いに顔を見合わせると俺のことをゆっくりと囲み始める。
危険だと感じたら即逃げればいい。そう思っていた俺は、どうやら甘かったようだ。十数人の戦闘員に囲まれてるこの状況で、どうやって逃げろと言うのか。
やはり、あの時階段を下っていったのが間違いだったのだ。
「で、どうすんだよ、ヒーローさんよ?」
八号が鼻で笑うと、周囲から重なるように笑みが漏れる。
「どうすると聞かれても。どうすりゃいいんだ、これ」
本当に、どうすればいいのだろうか。
戦えと言われたところで、こんな集団相手に勝てるわけがない。かといって逃げようにも完全に囲まれている。
この騒ぎに気付いてお巡りさんでも来てくれないかと思うのだが、この街には警察官が一人もいない。
どうにも八方塞がりの状態だ。
「あれ、お前ら何やってんだ?」
と、戦闘員達の向こう側から声が響き、完全に囲んでいた円の一部が別れる。
その隙間から逃げるべきかと思ったが、現れた男の姿に愕然とした。
年の頃は四十前後だろうか、灰色のスーツに和柄のシャツ。短めの髪は威嚇するように逆立ち、顎には無精ひげを浮かせている。
ヘルタースケルター総統、ドクター・ダロムだ。
「うぉ、ヒーローがいんじゃん。なになに、どうしたのこれ?」
戦闘員達との格好とギャップのありすぎる総統は、横にいた戦闘員の一人の肩を叩いて状況を確認する。
「なるほど、ヒーローが戦いを挑んできたってか。いいねいいね」
口元には笑みを浮かべるダロムだが、瞳は反対に細くなる。
「最近は少年みたいな奴が減っちゃって、退屈してんだよ。お前ら、全力で相手してやれ」
ダロムは横にいた戦闘員が手にしていたゴルフクラブを奪い取ると、手に馴染ませるかのように何度か素振りをする。
その度に、風が唸る音が俺まで聞こえる。
「ところで少年、名前は」
「は?」
「名前だよ、名前。仮面ライダーとかウルトラマンとかウルヴァリンとかあるだろ?」
本名を聞かれたのかと思ったが、ようやく得心がいく。
「参号」
「参号、ね」
何か思うところがあったのか、ダロムは小さく笑みを漏らす。
「坂上さん、じゃなかった参号さん、今こそ本気になって、その身に宿る秘められた力を解放する時です!!」
どこからか矢吹の声が聞こえる。逃げてはいなかったらしい。
「だから、そんな設定はないというのに」
いるんだったら助けを呼んでこいよと思ったが、そこまで気が利くヤツだったら、そもそもこんな事になっていないだろうなと思い直す。
「秘められた力か、滾るじゃねぇのよ。では、参号。本気で抵抗してみせろよ。じゃないと、お前……」
ダロムの口が楽しそうに愉しそうに歪んでいく。
「死ぬぜ?」
その言葉を合図として、一斉に戦闘員達が襲いかかってくる。
どいつもこいつも本気本気って、なんで普通に暮らしたいだけの俺を放っておいてくれないのだろうか。
本当に──。
「うぜぇ……」
戦闘員達の影が俺の視界を覆い尽くし、そして何も見えなくなった。
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