第5話 秘密基地にて

 土曜日。

 午後十二時一五分。

 俺は自分の携帯電話を睨み付けていた。

「どうしましたか、坂上さん」

「あの野郎……」

 携帯の画面には、風邪をひいたようなので今日は参加できないという旨の文章が表示されている。

 差出人は先輩だ。

「自分で話を振っといて、飽きやがったな」

 ギリギリと歯ぎしりが止まらない俺に、矢吹がわずかに引く。

「風邪なら仕方ないですね。とにかく、坂上さんがいれば万事オッケーです」

「絶対風邪じゃないと思うけどな」

 それにしても、今日の矢吹は制服の時とはだいぶ印象が違う。

 紺色のワンピースの上に丈の長い水色のカーディガンという、ちゃんと女の子な格好をしていた。昨日の言動から、とんでもない格好をしてくるのではないかと心配していたのだが、どうやら侮りすぎていたようだ。

 高校二年生とは思えないくらいに幼い作りの顔と、顔の輪郭を包むようなボブカットも相まって、どこかのお嬢様のようだ。

 それに対して、俺はコンビニにでもいくような、シャツにズボンという飾り気のまったくない格好に、もう少し気を使えば良かったかと一人反省する。

「あ、あの……」

 声の方へと視線を向けると、矢吹が恥ずかしそうにモジモジとしている。

「私の格好、おかしいですか」

「いや、そんなことないっていうか、似合ってるよ。ただ、昨日とだいぶ印象が違うんで驚いてただけだ」

「そうですか、良かった」

 矢吹がほっと胸をなで下ろす。

「随分と見られているので、変な格好をしてきちゃったかなって心配しちゃいました」

「それは悪かった」

 そんなに見ていたつもりはなかったのだが、どうやら無意識のうちに見ていたようだ。

 これからは気を付けなくては。

「でも、安心して下さい」

 ドンと力強く自分の胸を叩く矢吹の姿に、外見は変わってもやはり昨日の矢吹なのだなと少しだけ安心する。

「今日もちゃんと勝負下着を穿いてますから」

「よし、とりあえず黙れ」

 千歳船橋の駅の周辺には、道路を挟んで北南に二分された商店街が広がり、土曜日の昼頃となるとそこそこ人が溢れている。

 どこも道が狭いこともあり、人間が押し込まれているような印象だ。

 先輩が来ないことを確認すると、矢吹に連れられるまま目的地も分からず歩き始める。

「で、倒すって具体的に何をするんだ。俺、ケンカとかめっちゃ弱いけど」

「大丈夫です。いざとなったら、坂上さんの秘められた力が解放されて、真の姿になりますから」

「俺にそんな設定はない」

 なし崩し的に矢吹に付き合うことになってしまったが、正直不安しかなかった。

 そもそも何をするのかが分かっていないのが、一番の不安だ。

 予め分かっていれば、対処のしようもある。対処とは、すなわち逃げることだ。

 だが、何も分かっていないのでは逃げようもない。

 千歳船橋駅から南側の商店街を抜け、細い路地を奥へ奥へと歩いていく。

 飲食店や八百屋、商店街の中で最も利用客の多いスーパーがある比較的広い通りを抜けると、風景は住宅が並ぶ区画へと移り変わっていく。

 碁盤の目状に広がる道の両側をびっしりと埋める一戸建てが連なる風景は、昔からあまり変わらない。そんな変化の乏しい感じに安心感を覚えていると、矢吹が「ここです」と区民ホールを指さし、その中へと入っていく。

 何故、区民ホールに入っていくのだろうかと疑問に感じながらも後に続く。

 矢吹と一緒に事務所で鍵を借り、L字に延びる廊下の一番奥にある部屋の扉を開く。普段はスポーツ系のクラブが利用するのか、中には教室2つ分くらいありそうなホールが拡がっていた。

「こっちですよ」

 言いながら、矢吹はホールの真ん中へと進む。

 そして、ここの扉を開いた鍵を床に突き刺して捻る。するとガコリという音と共に床の一部が開き、地下へと続く階段が姿を現したではないか。

「ささ、どうぞ」

 呆然と階段を見つめる俺の背中を、矢吹が押す。

 地下へと続く階段は、奥から漏れている明かりにぼんやりと照らされている。

 随分と長い階段だ。

 足下を確認しながらゆっくりと下りきると、そこは上のホールに比べて随分と小さな空間だった。

 だが、その空間の異様な雰囲気に言葉を失う。

「なんだ、ここは……」

 蛍光灯の明かりが、打ちっ放しのコンクリートを煌々と照らす。

 部屋の中央に置かれた五角形のデスクの周りには、会議でもするのか、座り心地の良さそうな椅子が五つ並べられている。

 そのデスクの前方にあるホワイトボードには、街の地図が貼られ何やら細かく書き込まれている。そして、空いている部分には戦闘員の写真が数枚と、総統と呼ばれる無精髭の男の写真。

 さらに部屋の左側には何に使うのか全く分からない機械が数台配置され、右側にはロッカーが三つ壁に張り付いている。

 天井からは、十数台の小さなテレビが吊され、駅の周辺や北南の商店街の数カ所、主要な道路の様子を映し出していた。

「ここが、ヘルタースケルターに対抗するための秘密基地です」

 誇らしげな表情の矢吹の言う通り、確かに秘密基地を連想させる部屋だった。

「ここ、矢吹が作ったのか?」

 呆然としながら尋ねると、矢吹が頷いた。

「建築法とかどうなってんだ、これ。てか、完全に盗撮してるよな。こんな場所に監視カメラがついてるなんて知らなかったぞ。いや、そもそも学生のお前がどうやってこんなところを造る金を」

 脳内に沸いてくる疑問は尽きないが、矢吹はそれには答えようとせず、『参』と漢字が振られたロッカーを開いて、中身を取り出す。

「坂上さん、早速ですがこれに着替えて下さい」

 矢吹の言葉に顔を向けると、黄色と黒の二色で構成されたボディースーツを手に真剣な表情を浮かべている。

「なんだ、これ?」

 嫌な予感しかしないまま尋ねると、矢吹は嬉しそうに答える。

「ヒーロースーツに決まっているじゃないですか!」

 嫌な予感は的中していた。

 ヒーロースーツ。つまり、アメコミのヒーローなどが着ている、全身タイツのようなシロモノだ。ご丁寧に、顔の上半分を覆うマスクまで用意されている。

 それを見て、自分の体がぐらりと揺れる。

「昨日、徹夜して作ったんです。早く着てみてください」

「いやいやいや。ちょっと待て、矢吹」

「矢吹なんて他人行儀な。星って呼んでください」

「矢吹、いくらなんでもこれはないだろ」

「あっさり無視された!?」

 どう考えてもこれはない。

 悪の組織と戦うというだけであり得ないというのに、これを着る。そんな姿を目撃されたら人生の終わりだ。

「はっきり言おう。これは無理だ。というか、ヘルタースケルターと戦うのも無理だ」

「まさかの全否定!!」

 俺は押し付けられたボディースーツを、そっと矢吹へと押し返す。

「昨日約束したじゃないですか。部員になる代わりに、彼らと戦ってくれるって」

「約束したのは、俺じゃなくて先輩だ」

「坂上さんじゃないと意味がないんです!!」

「だったら、こういうのはどうだろうか」

「とりあえず、聞きましょう」

「矢吹は読書部には入らない。だから、俺も協力しない」

「そんなの詐欺です。黒詐欺です!!」

 バタバタと手足を振り回して矢吹が暴れる度に、今日会った時に感じたお嬢様らしさが薄れていく。

「この秘密基地を知られた以上、何が何でも坂上さんには戦って貰いますよ」

「知られたって、矢吹が勝手に連れてきたんじゃないか」

 どんな格好をしようが、やはりコイツはヤバイ奴であった。

 一瞬騙されかけた自分が憎い。

「もし、坂上さんが戦ってくれないと言うなら」

 脅すような矢吹の間に、俺は無意識に喉を鳴らす。

 しんとした秘密基地に、時計の秒針の音だけが響く。

「もし、戦ってくれないというなら……。すごく怒ります!」

「分かった、勝手に怒ってくれ」

 そう言って、秘密基地から出て行こうとするが、入ってきたはずの入り口が消えてしまっている。

 突然の事態に、辺りを見回すが入り口の位置には壁しかなく、その壁はどうやっても開きそうにもない。

「クククッ。坂上さんが戦うと言ってくれるまで、ここから出しませんよ」

「まるで、悪役みたいな笑い方だな」

 そもそもどうやって閉じこめたかも分からない以上、脱出しようもない。

「さぁ、早く『戦います』と言って楽になったらどうですか?」

「どうやって閉じこめやがったんだ」

「そんなの簡単ですよ。先に坂上さんをこの部屋に入れた後に扉を閉めて鍵をかけただけです。鍵は私の懐に入れてあるので、取り出しようがないですよ。クククッ」

「なるほど、鍵がかかってるだけなのか」

 ならば話は早いと、俺は矢吹の胸へと手を伸ばす。

「ひゃわッ!?」

 変な悲鳴を上げながら、俺の手から逃げる矢吹。

「な、な、何をしてるんですか!?」

「何って、鍵を取ろうと」

 矢吹が、自分の胸を庇うように両腕でガードする。

「正気ですか。普通、『くっ、そんな場所にしまわれたんじゃ、取りようがないじゃないか……』ってなるところですよ」

「触られたくないなら、頭にでも貼り付けとけば良かったじゃねぇか」

「それじゃ、意味ないでしょうが!!」

 地団太を踏む矢吹に、やれやれと息を吐きだす。

「分かったよ。もう、無理矢理取ろうとしないから、鍵を早く渡せ。渡さないと、その服を引き裂いて奪い取るぞ」

「何で服を引き裂く必要が!?」

 恐ろしいモノでも見るかのように、矢吹が体を小刻みに震わせる。

「坂上さんって、ゴブリンの皮を被ったオークのようですね……」

「どのみち化け物じゃねぇか」

 渋々といった様子で鍵を差し出してくる矢吹の手から、引ったくるようにして受け取ると、鍵穴はどこかと壁をじっと観察する。

「これ、鍵穴がないぞ」

「左側の真ん中あたりです」

 言われるままに視線を動かしていくと、確かに小さな窪みがある。

 そこに、鍵を差し込むとカチリと小さな音がして、捻ると同時に扉が横へとスライドしていく。放り投げた鍵を矢吹が目を白黒させながらキャッチしている間に、俺は階段を登っていく。

「お願いしますよ、坂上さん」

 背後から声が聞こえてくるが、そんなものは無視だ。

「戦ってくれたら、私の勝負下着を頭に被ってもいいですから」

「誰がそんなことするか!」

 思わず、足を止めて叫んでしまう。

「男の人は普通、下着を被りたいという願望を持っていると聞いたのですが」

 どこの世界の話だ、それは。

 どうやら、矢吹と俺は別次元の存在らしい。

「最後の手段が通用しないんじゃ、もう止める方法がないじゃないですか」

 本当にバカな奴だなと思いながら、再び階段を登り始める。

 勝負下着を被らせるのは良くて、胸を触られるのはダメだという倫理感がよく分からんと思いながら、薄暗い階段を登っていると、下の方から啜り泣く声が聞こえてくる。

 空間が密閉されているだけに、声はやたらと反芻して良く聞こえる。

 無視しようと心に決めながら上へ上へと目指すのだが、どうにも足の進み具合は芳しくない。

 そして、とうとう止まってしまった。

 こんな事だから、先輩にからかわれ続けるのだろうなと思いながら、登ってきた階段を気の進まない表情で、ゆっくりと下っていく。

 秘密基地では、歯を食いしばって必死に耐えているが、目と鼻からボロボロと水を垂らしている矢吹が俯いて立っていた。

 どこかのお嬢様というイメージは完全に崩れさり、まるで欲しい玩具を買って貰えなかった子供のようだ。

「今回だけだからな」

 そう言いながら駅前で貰ったティッシュを渡してやると、矢吹は目を丸くして俺を見上げる。

「ほんどうに、やっでぐでるんでずが?」

「とりあえず、鼻をかんで涙を拭け」

 矢吹は受け取ったティッシュで勢い良く鼻をかむと、ぐしぐしと手の甲で涙を拭う。そして、目を赤くしたままニッコリと笑顔を浮かべた。

「あとで、今穿いてるヤツを渡しますから」

「もう、そのネタはいい」

 ちゃんと否定しておかないと、あとで本当に渡してきそうで怖い。

 それも、学校で渡された日には、俺の人生は終了だ。

「とりあえず、どうやって戦うつもりなんだ。俺はケンカなんか出来ねぇぞ。アイツらと戦わせて何がしたいんだか分からないが、矢吹の期待に添えるとはとても思えないんだが」

「当然、戦ってヘルタースケルターを壊滅させるんです。それこそ、最終回のごとく」

「壊滅とか、スケールがデカすぎて想像できねぇよ」

 街を買い取るほどの巨大な組織を、ただの高校生がどうにか出来るとはとても思えないのだが、矢吹は自信満々の様子だ。

「それに、ちゃんと作戦があります」

 ニヤリと笑みを浮かべる矢吹の表情を見て不安しか覚えないのは、きっと真っ当なことなのだろう。

 ロクでもない結末になると分かりながらも協力している自分自身に、俺は呆れるばかりだった。

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