第3話 ヒーローですから!
先輩の手を借り、少女をなんとか引き上げる事に成功した。
だが、当の本人は顔面をぶつけた衝撃で気を失ったのか、ソファーの上に横たわったまま身動き一つしない。
「保健室に連れていった方が良くないですか」
俺の質問に、文庫本に目を落としていた先輩が顔を上げる。
「それはどうかな。何で彼女が気を失ってるのか、どう説明するつもり?」
「屋上から落ちてきたって説明したらいいのでは」
いやいやいや、と先輩が肩を竦める。
「どんな理由で落ちてきたのか分からないけどさ、これってつまるところの自殺未遂だよ? そうなったら、結構な問題になると思うけど。もしかしたら、彼女この学校にいられなくなるかも」
「どこかぶつけて、おかしくなってた方が怖いと思いますけど」
どこかとは主に顔面なのだが、脳震盪でも起こしていたら結構危険なのではないだろうか。
「見たところ呼吸も安定してるし、問題はなさそうなんだよね。もう少し様子を見て、それでも目を覚まさなかったら連れていくってことでいいんじゃない」
なぜ、先輩が保健室に連れていこうとしないのか分からないが、これ以上追求するのも面倒なのでやめておく。
そういえばこの少女、どこかで見たことがあるような。
リボンタイが赤色のことから、俺と同じ二年生であるという事は分かるのだが、それ以上はまったく思い出せない。
果たして、どこで見かけたのか……。
「そんなに熱い視線で眺め回しちゃって、どうしたの」
「人聞きが悪いことを言わないで下さい」
「もう一回、下着がみたいなら、気を失ってる今のうちに見ちゃえば?」
「見ねぇよ!!」
俺の怒鳴り声に反応するように、少女がうっすらと目を開く。
そうしてから、ここがどこなのかを確認しているのか、横たわった姿勢のままで辺りをキョロキョロと見回しはじめた。
「おはよう。怪我はないかな」
先輩の言葉に少女が小さく頷く。
自分が気付いていないだけという可能性もあるので安心は出来ないが、とりあえず大丈夫なのだろう。
「ほら、怪我ないって。やっぱりここで寝かせておいて良かったじゃん」
先輩の言葉は結果論に過ぎないと思うのだが。
というか、病院に連れて行かないで大丈夫なのだろうか。結構な勢いで俺にぶつかっていたが。
本当に平気なのかと顔を眺めていると、ようやく焦点の合ってきた少女が飛び上がるようにして起き、俺の両手をがしりと掴んだ。
「見つけた」
「は?」
「見つけました、私のヒーローを!!」
部屋に響く、少女の声。
何を言っているのかが分からず、先輩と思わず顔を見合わせてしまう。
キラキラと瞳に星を浮かべたまま俺の手を掴み続ける少女を引き剥がすと、ソファーに座らせる。そして、先輩はいつも使っている椅子へと腰かけ、俺はソファーを奪われたので仕方がなく机に寄りかかった。
「起きてすぐで申し訳ないんだけど、あなたはどこの何さんなのかな?」
人の良さそうな先輩の笑顔に、少女は俺と先輩の顔を交互に見つめる。
「私は、
「矢吹さんか。そのリボンタイの色だと二年生みたいだけど、何組なのかな?」
「C組です。というか、坂上さんと同じクラスです」
「へぇ、そうなんだ」
矢吹の言葉に、先輩が口に笑みを張り付けながら俺の方を向く。どおりでどこかで見かけたような気がしたわけだ。
「で、そんな矢吹さんは、なんで屋上から降ってきたの?」
「なんで屋上から落ちたって分かったんですか? 四階かもしれないし、五階かもしれないですよね?」
疑問を浮かべる矢吹の言葉に、先輩は待っていましたとばかりにニヤリと笑う。
「いやいや、四階は三年生の教室だし、五階は使われてないから教室に鍵がかかってるはずでしょ。そしたら、落ちられるのは屋上しかないじゃないか」
「なるほど、名推理ですね!」
いや、普通に考えれば誰でも分かることだと思うのだが。
「それで、何で降ってきたのかな?」
「ヒーローを捜していたんです!」
間髪入れずの答えに、先輩が目を細める。
「ほう、ヒーローを」
「そうです。か弱い少女がピンチに陥ったら、ヒーローが助けに来てくれるじゃないですか。だから、屋上からダイブしたんです」
事情を聞いたところで、矢吹が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
それはきっと先輩も同じなのだろうが、新しいオモチャを見つけた子供のように先輩は顔を輝かせる。
「なるほどなるほど、矢吹君は相当のチャレンジャーだね。もし、ヒーローが助けに来てくれなかったら、今頃潰れたトマトになってたよ?」
「でも、ヒーローは来てくれました!」
自分の言葉に一分の疑いも持っていないような矢吹の態度に、俺は薄ら寒さを感じずにはいられない。
これが、デンパと呼ばれる人種なのだろうか。
「それで、無事見つかったヒーローが、この港後輩だと」
先輩が俺を指さすと、キラキラとした瞳で俺の事を見つめながらコクリと頷く。
「よかったよかった」
「何もよくねぇよ」
ジト目で反論すると、先輩がケラケラと笑う。
「いやぁ、良かったじゃないか。矢吹君も気合い入れて、勝負下着を穿いてきた甲斐があったよね」
「やめろ、セクハラ」
「はい、穿いてきた甲斐がありました!」
「お前も否定しろ」
ヤバイ、頭痛がしてきた……。
これ以上付き合っていてもロクなことになる気がしないので、早く帰りたい。いや、もう帰ろう。
そう思い立ち、俺は学校指定のバックに雑誌をしまい部室から出ようとする。
「お願いします、矢吹さん! ヘルタースケルターと戦ってください!」
唐突な矢吹の言葉に俺は足を止めた。
なるほど、それが俺の興味を惹くための言葉だとするのなら、まんまと嵌められてしまったことになる。
しかし、振り向いてみれば、彼女の眼差しは真剣そのものであった。
だから仕方なく、俺はこう答えた。
「イヤだ」
人間は唖然とするとこういう表情をするんだという見本のような顔をしながら、矢吹が俺を見つめる。
「何で断るんですか!」
「何で俺が戦わなくちゃいけないんだ」
「それは、坂上さんがヒーローだからです」
「俺はヒーローではない。それじゃ」
帰ろうとする俺の服の裾に矢吹がしがみつく。
コイツ、何気に力が強いぞ。
「ここは、『しょうがねぇ、やってやるか……』って言うところですよ!」
「そんなこと言うわけないだろ」
ズルズルと矢吹を引き摺りながら部室を後にしようとするが、向こうも負けじと俺の服を引っ張ってくる。
「おかしいです。そんなのヒーローのセリフじゃありません!!」
「おかしいのは、お前の頭だ」
「私のパンツ見たんですよね、その責任取って下さい!」
「お前が勝手に見せたんだろ。むしろ、こっちが責任取って欲しいくらいだ」
「なんて酷いことを! 坂上さんは鬼の皮を被った悪魔です!!」
確かに酷そうではあるが、化け物が化け物の皮を被ったところで、大差ないと思うのだが。
「港後輩が手伝ったら、矢吹さんが読書部に入る。っていうのはどうかな?」
「どういうことですか?」
何やら話が面倒な方向へ進みそうな気配だ。
これは一刻も早く、この場所から脱出しなければならない。
「単純な話なんだけど、部員が少なくて我が読書部は廃部の危機なんだよ。だから、なんとかしたいとずっと思っていたところなんだ」
「ずっとって、さっき話を聞いたばかりですが」
「いやいや、ずっと思っていたよ。具体的には、廃部勧告がされた一週間くらい前からね」
「一週間前って、何でもっと早く言わないんだよ……」
どうせ、言わなかった理由は「その方が楽しいから」という最低な理由に決まっているのだが、それなら自分一人で楽しんで俺を巻き込まないで欲しい。
「さぁ、どうする、矢吹さん?」
「分かりました、その条件を飲みます!!」
矢吹の即答を聞いて、俺はがくりと肩を落とした。
どうやらまた一つ、俺への面倒事が増えてしまったようだ。
「交渉成立だね」
そう言って先輩は、嬉しそうに手を叩く。そうして、部室から出ていこうとしていた俺の前へと立ち塞がった。
「そういう事になったんで、我が部のために大人しくヒーローになりたまえ」
「断固拒否します」
無駄だと分かりながらも一応拒否はしておく。
何でもかんでもやると思われるのは癪だ。だが、このやりとり自体がいつものことなので、先輩は余裕の表情を浮かべている。
「港後輩、キミには確か貸しがあったはずだけど?」
「それを言うなら、俺の方にも貸しがかなり貯まっていると思うんですけど」
俺と先輩の視線がぶつかる。
「昨日のバッタ男の時の貸し。あれは、かなり大きいと思うんだけど」
「地底人を捕獲するって言って地下室に閉じこめられたときなんて、俺がいなかったら先輩死んでますよ」
言葉の応酬に、未だに服を掴んだままの矢吹が忙しなく視線を彷徨わせる。てか、いい加減離して欲しいのだが。服がシワになる。
「キミはあれだねぇ、本気にならないと言いながら、こういう時は本気で否定するよね。かなり軸がブレていると思うんだけど」
「俺はやりたくないことは、ハッキリと言うタイプなんで」
「キミのそういうところ、僕は好きだけどね」
先輩の好きという言葉に、矢吹が「好き!?」と過剰に反応する。
「勘違いされるようなことを、言わないでもらえますか」
「勘違いも何も、僕は本当に港後輩のことが好きだからね。なんなら、愛していると言い換えてもいいくらいだよ」
「愛!?」
ジト目で見ると、先輩はケラケラと笑う。
「あの、お二人ってそういう関係なんですか……?」
少し頬を赤らめながら、矢吹がモジモジと訪ねてくる。
「矢吹君が言う、そういうって言葉がどういう意味なのかは分かりかねるけど、まぁ一言では言い表せないような複雑な関係だよ。一言で言えば、相思相愛ってやつ?」
一言で言えるのか言えないのか、どっちなんだ。
「俺は先輩のこと嫌いですけどね」
「おっと、僕の片思いだったらしい。届かぬ愛っていうのも悪くないかもね」
悪くないかもね、じゃねぇよ。完全に矢吹が勘違いしてしまっている。
他人にどう思われようが一向に構わないが、教室で変な噂が流れるとかなり面倒なのだが。
「キミは、借りたものは返す主義の人間だろ。それともなにかい、相手の弱みに付け込んで、借りたこと自体を無かったことにでもするっていうのかい?」
この言葉が出れば、応酬も終わりだ。
決まっているやり取りならば、いちいちやる必要もないのかもしれないが、いつの間にか習慣化してしまっている。
「今回だけですからね」
「港後輩は、本当にいい奴だよ」
先輩は本当に悪い人間だ。それだけは、誰がどう見ても間違いなかった。
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