1章

第2話 落ちモノ系少女

 東京都桜丘。

 この街が悪の組織、ヘルタースケルターに買い取られたのは、三年も前の話だ。

 当初こそ各メディアがこぞって取り上げ、恐怖に駆られた住人達が街から大量に逃げ出したが、実際にはたいした変化はなかった。

 変化が少なければ人というのは案外普通に暮らせるもので、すぐにヘルタースケルターは街の一部として溶け込んでいった。

 白と黒の縞模様の全身タイツに陰陽マークのような仮面を被った『戦闘員』と呼ばれる集団が平然と街の中を歩いているくらいに。

 何も変わらなければ、それが一番いい。

 思考を停止させて、惰性で生きていけるのだから。

「そんなに眺めてると、紙に穴が開いちゃうよ?」

 先輩の声に、手に持った進路調査表から顔を上げた。

 バッタ男の一件から、日を跨ぐこともないその日の夕方。

 桜花高校、読書部の部室でのことである。

 教室の半分ほどの広さの部屋に、先輩と俺の二人だけ。部員が俺達、二人しかいないからだ。

 本を読むだけの部活に何故こんな広さの部屋が与えられているのか分からないが、先輩がどこからか奪い取ってきたらしい。

「眠くて、頭が回ってないんですよ」

 寝不足な上に、窓側に置かれた座り心地のいいソファーの感触も相まって起きているのか寝ているのかが曖昧になっている。

 そんな俺の様子に、パイプ椅子に座っている先輩が目を細めた。

「眠くなくても、港後輩は何かを決めたりするの苦手じゃない」

「そんな事ないですよ。嫌なモノは嫌と言います」

「そうだっけ。僕の記憶と違うみたいだけど?」

「先輩のこと嫌いなんで、話しかけないで下さい」

「冷たいなぁ、港後輩は。キミのそういうところが好きなんだけどね」

 ケラケラと笑っている先輩を無視して、進路調査表へと再び目を落とす。

 こういうのは適当に書いておけばいいと言われるが、適当に書くような選択肢が浮かんでこないので、どうしようもない。

 だんだんと考えるのが面倒になってきて、眠たくなってくる。

「そうそう、言うの忘れてたんだけど。うちの部活、一週間以内にあと三人集められないと廃部だって」

「そうですか」

「そうですかって、もうちょっと興味持とうよ」

 桜花高校の部活は最低でも五人いないといけないはずなのに、何故二人で成立していたのかが分からない。むしろ、今までよく容認されていたものだ。

「生徒会長が最近変わったでしょ。彼がね、ダメだって言うんだよ。ちょこっと脅してもいいんだけどさ、そういうのは最後の手段というか、いざって時に使った方がいいじゃない?」

 新しい生徒会長はどんな顔だったかと思い出していると、何か不穏な言葉が聞こえたような気がするが、気のせいだと自分に言い聞かせておく。

「だからさ、なんとか部員を集めたいんだけど、誰か入ってくれそうな人とかい知らないかな?」

「俺にそんな知り合いがいると思いますか」

 半眼で睨むと、先輩はそっと視線を逸らした。

「困ったねぇ」

 先輩はパイプ椅子から立ち上がると、考えを纏めるように教室内をふらふらと歩き回り、やがて窓を開く。

 運動部のかけ声と共に秋真っ盛りの冷たい風が部室内に吹き込み、俺は小さく肩を震わせた。

「校門のところで、ビラでも配る?」

「頑張って下さい」

「いやいや、港後輩も一緒にやるんだよ」

 そんなこと、俺がやるわけがない。

 そう言おうとした瞬間、一際強い風が流れ込み、手にしていた進路調査表がひらりと宙に舞った。

 風に運ばれて、ふらふらと部室内を漂う調査表。

 俺は仕方なく立ち上がり手を伸ばす。だが、意志でもあるかのように掴もうとした手の間をすり抜け、調査票は窓の外へと逃げていく。

 校庭にでも落ちたら拾いに行くのが面倒だと、窓の外へと手を伸ばすが、下から吹き上げる風が頭上高くへと運ぶ。

 そして、俺の時間はスロー再生へと切り替わった。

 そこに、一人の少女がいた。

 正確には、一人の少女が落下していた。

 ゆっくりと近付いてくる少女の顔。

 特徴的な大きな瞳に、桜色の薄い唇。後ろで小さく纏められた髪が、風に流され暴れている。

 少女は死に直面しているというのに、驚いた様子も悲観した様子もなく、むしろ僅かに頬を上気させている。

 どこかで見た事があるような感覚。

 俺の唇と少女の唇がゆっくりと近付き──、

 俺の額と少女の顔面が激しく衝突した。

 ぶつかった衝撃に俺の体はぐらりと大きく揺れ、そのまま窓の外へと転げ落ちそうになる。

 少女は、俺にぶつかった反動で大きく外側へと跳ねた。

 涙で滲む視界の端に、落ちていく少女の姿が映る。

 少女を掴もうと限界まで腕を指を伸ばすが、僅かに届かない。

 だから俺は、さらに『腕を伸ばして』少女の足首をがしりと掴んだ。

 不自然な体勢な上に、体が窓から半分以上出ているせいでうまく踏ん張ることが出来ず、徐々に窓の外へと引きずられていく。

「ありゃりゃ、使っちゃうんだ。そこで」

 先輩の含みを持たせた言葉が、背後から聞こえる。

「手伝ってくださいよ、先輩ッ」

 奥歯を噛みしめながら器用に言葉を出すと、先輩が横の窓から覗き込んでくる。

「これはまた、なんというか」

 宙づり状態になった少女の姿を見て、先輩が短く唸る。

「気合いが入ってるね」

 宙づりになった少女のスカートは、地球上に重力が働いている当然の結果として全開になっている。つまり、パンモロだ。

 ヘソまで露わになった少女が穿いているのは、紫色のガーター付きのショーツ。

 確かに気合いが入っている。

 だが、何故それを今言う必要があるのだろうか。自分も落下するかもしれないという非常に危険な状況の中、必死に自分と少女の命を守ろうとしているのだ。

 だというのに、先輩の不用意な言葉で視線が少女の下着に集中してしまう。

 別に見てやろうとしているわけではない。だが、俺とて普通の男子高校生。見てしまうのは仕方のないことだと言えよう。

「こういうのを、ラッキースケベって言うのかね?」

「うるせぇッ。早く手を」

 視線が揺れたことで、体はさらに窓の外へと出てしまう。

 必死に中へと引き込もうとするのだが、どうにも少女の下半身が視線に入ってしまい、うまく力が入らない。

「助けたいのはヤマヤマなんだけど、そっちの窓から二人が身を乗り出すのは無理だし、こっちからじゃ僕の手が届かないだろ。だから、手伝えないんだよねぇ」

「だったら、俺の体を引っ張って下さいよ」

「あぁ、なるほど。その手段があったか」

 先輩はポンと手を叩くと、体を窓の内側へと引っ込める。

「でも、待てよ。いま、坂上後輩の下半身に触れると大変なことになるんじゃないか?」

「さっさと引っ張れッ」

 俺の怒鳴り声が、どこか空しく校庭に響き渡るのだった。

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