東京逆襲ヒーロー

農薬

プロローグ

第1話 プロローグまたは、バッタ男と高校生

 東京都桜丘。ここは日本で唯一、悪の組織に買い取られた街。

 そんな悪の組織とは関係のない変態が一人、俺の足下に転がっている。

 金曜日の午前二時。

 次の日、というか今日も学校があることを考えると、こんな公園なんかで油を売っている場合ではない。

 しかし、帰ろうとしたところで隣で変態を見下ろしながらニヤニヤしている先輩は帰らせてはくれないだろう。

 俺は、肩を落としながら溜め息を吐いた。

「いやいや、手こずらせてくれたねぇ、バッタ男君」

「畜生、この縄を解きやがれ!!」

 先輩の言葉に、バッタのようなではなく、バッタそのものの格好をした男が体をくねらせながら喚く。

 縄で全身を縛り身動きが取れないようにしているというのに、元気なものだ。

「女装して騙すなんて、汚ねぇことしやがって! 親の顔が見てみてぇよ!!」

「いやいや、そんな変態じみた格好で女の子を驚かせて喜んでいる方が、よっぽど汚いと思うけどねぇ。それこそ、親の顔が見たいくらいに。それに、セーラー服着ただけの僕に騙されるなんて、眼科に言った方がいいんじゃないの?」

「どこからどう見ても、女だろうが!!」

 バッタ男の言葉に、先輩がケラケラと笑う。

 彼は確かに女子の制服を着ているだけで、化粧や変装をしているわけではない。

 黒目がちの瞳、細く筋の通った鼻、形のいい唇。癖っ毛な黒髪が街灯に照らされて艶やかに輝く。

 細身の体格も相まって、バッタ男の言うように女子にしか見えない。

「こんなことしてどうなるか分かってるんだろうな、俺はこの街で唯一のヒーローなんだぞッ」

「ヒーローねぇ……」

 ついつい出てしまった俺の呟きが聞こえたようで、バッタ男が睨み上げてくる。

「なんか文句でもあるのか?」

「文句はないけど、アンタのやってる事ってただの痴漢行為だよな」

 言い訳のしようがないのか、絶句しているのか、黙り込むバッタ男。

「元々はヘルタースケルターに戦いを挑む本物のヒーローだったらしいよ? いやいや、悲しいものだよ」

「……仕方ないだろ。ヤツらに勝とうなんて無理な話だったんだ」

 やれやれと首を左右に振る先輩に、バッタ男が憎々しそうに言葉を吐き捨てる。

 ヘルタースケルター。この街を買い取った悪の組織。

 構成員が三千人を優に越えると言われる組織に一人で戦いを挑むなど、彼の言う通り確かに無理な話だ。しかも、戦闘に特化している集団にケンカを売るなんて自殺行為としか思えない。

「さて、時間も遅いし……時間も早いし、そろそろ終わりにしようか」

「終わりって、なにをするつもりなんだ……」

 期待通りの言葉が聞けたことが嬉しかったのか、先輩の口が楽しそうに愉しそうに吊り上がっていく。

「なにって、決まっているでしょ。ヘルタースケルターに引き渡すんだよ」

 嗜虐的な笑みに、バッタ男が地面の上を暴れ回る。

 外見も相まって、本物のバッタがもがいているようでかなり気持ちが悪い。

「そ、それだけは勘弁してくれッ。なんでもする、なんでもするから!!」

「そう言われてもねぇ。この街には警察がいないんだから、ヘルタースケルターに渡すしかないよね」

「金か、金なのか!?」

「金って、僕たちは強請るためにキミを捕まえたわけじゃないんだよ。それに、犯罪者を逃がしちゃうと僕たちがヘルタースケルターにやられちゃうからね」

 同意を求めるように先輩が目配せをしてくるが、俺は無視する。

 バッタ男を捕まえようとしたのも、実際に捕まえたのも、先輩だ。このあと、どうするのかも先輩が決めればいい。

 俺は、こんな変態など放っておいて早く帰りたいだけなのだから。

「港後輩、彼をどうしようか?」

 俺の考えなど分かっているだろうに、わざわざ聞いてくる辺り、先輩の底意地の悪さが伺える。

「もうこんなことはしねぇ。それに街からも出ていく。だから助けてくれよッ!」

 しないと言われて、「はい、そうですか」と答えるほど俺はバッタ男のことを信用していない。

 むしろ、ほとぼりが冷めればまた繰り返すだろうとすら思っている。

 かといって、ヘルタースケルターに引き渡せばタダでは済まないだろう。最悪、朝日を眺めることすら出来ない可能性だってある。

「ああ、面倒臭い……」

 考えるのが億劫になり、俺は思考を止めた。

「メンドくせぇって俺の命が掛かってんだぞ!!」

 どこにそんな力が残っていたのか、縛られたままで地面を跳ねるバッタ男。

 それだけの元気があれば、怒鳴るより逃げようとした方がよほど建設的だと思うのだが。

「残念だったねぇ。では、ヘルタースケルターに通報しまーす」

「テメエら覚えておけよ。絶対復讐してやるからなッ」

 バッタ男の怒声に、先輩は携帯電話を取り出しながらニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる。

「桜花高校、三年の安部六雲(あべ むくも)と二年の坂上港(さががみ みなと)」

「あ?」

「復讐するなら、名前を覚えておかないとでしょ?」

 バッタ男の目には、先輩の姿はどう映っているのか。俺には悪魔のように見える。何故なら、俺の名前までバラしたからだ。

 これで、また巻き込まれることが確定してしまったではないか。

「もっとも、彼らがキミを生かしておいてくれたらの話だけどね」

 先輩の電話によって、あと数分ほどで連中がやって来るだろう。

 これでようやく、俺は一日を終わらせる事が出来る。

 ふと、観念して大人しくなったバッタ男へと目をやる。

 彼に死んで欲しいとは思わないが、俺は奇跡が起こりませんようにと心の中でそっと願った。

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