・僕たち二人は帰宅部系

「そういえば、お前は部活とか入らねえのか?」

 放課後、帰る準備をしているとエナメルバッグを肩に下げた元也君がなんの脈絡もなく聞いてきた。

 部活かぁ……。

 ちらっと校庭の見える窓に目をやってみる。帰りのホームルームが終わってまだそんなに時間は経っていないはずなのに、窓の向こうの綺麗に整備されたグラウンドではサッカー部がボールを使って練習を開始していた。うっすら汚れたスポーツウェアに身を包んだ上級生は、数人でグループを作ってパスやトラップの練習をしていて、その奥ではまだ真新しい体育服を着た一年生達が筋トレをしている。時々休憩を挟むんだろうけど、ここから後三時間くらいは身体を動かすことになるんだろうな。

 …………うん、無理かな。

「三時間も運動するとか無理だよ、死んじゃう。お菓子作る時間もなくなっちゃうし」

「女子か!」

 またしてもスパコーンと頭をはたかれてしまった。元也君僕の頭叩きすぎだよ。身長の高い元也君にとっては僕の頭って叩きやすいだろうけど、そんなに叩くと僕のただでさえ足りない身長がもっと削られそうで嫌なんだけど。

 だって仕方ないじゃん。僕体力全然ないし、大好きなお菓子づくりの時間を削ってまで運動するつもりなんてないんだもん。

「そんなんじゃ男らしくなんてなれないぞ!」

「筋肉つけなきゃなれない男らしさならなれなくていーい。パティシエだって立派な男の職業だし」

 だからお菓子を作るのが女子とか言うのは偏見なんだい! ちなみに女の子の場合はパティシエール。お菓子ばっかり作れる仕事とか羨ましいなぁ。

「ん? お前って将来パティシエ? になんの?」

「僕が? ないない」

 じゃあなんでパティシエのこと言ってきたんだよ、と腰に手を当てて首をかしげる元也君に曖昧に笑って会話を濁すことにした。

 結局のところ、僕のお菓子作りなんて趣味の域を出ないものだ。それで食べていけるなんてさすがに思っていないよ。

 きっと僕のこの趣味だって、今グラウンドで汗を流している人達と本質は変わらない。目の前の事がまるで高級な宝石のようにキラキラ輝いていて、それしか見えていなくて、それが全てだと思っているから。けど、人生それだけで上手くいくんなら、そもそも学校で勉強なんてする必要もないんだよなぁと思うわけ。

 まあそれに、今はもう仮入部期間も終わっているし、実際入りたい部活もないからなぁ。たぶん今サッカー部の一年生がやってる筋トレとか五回もできる自信ないから、やっぱり運動部なんて無理無理。

「ふーん、部活楽しいと思うけどな」

「帰宅部も案外楽しいよ。やりたいことできるし」

 結局部活っていうのは同じやりたいことをやる集団だ。当然やりたくない練習やトレーニングなんかもあるだろうけど、根本は皆そのスポーツや芸術が楽しいっていうのがあるはずで、それは趣味に個人で打ち込める帰宅部だって同じだと思う。

「やりたいことって、やっぱ菓子作るのか?」

「まあそれもあるけど……」

 確かに帰ったらお菓子も作るわけだけど、もちろんそれ以外にもいろいろやったりする。なにせ部活動をやっている人達に比べて三時間は自由に使える時間があるんだし、お菓子作りばっかりやるのもなんかもったいない。

 っていうのをどう説明すればいいか考えていると――

「ゆうちゃん……」

 聞き慣れた小さな声が耳をくすぐってきたからいつものように教室の入口に顔を向けると、予想通り綺麗に整えられた、常闇みたいに黒い長髪が何を考えているのか分からない視線を向けていた。

「…………」

 その瞳の奥に見え隠れしているのは……不満? 僕何か悪いことしたっけ。この間約束したシュークリームと生チョコは会心の出来のやつをあげたし、今日の朝は……まあ例のごとく起こされたけどいつものことなわけで……。むむむ、分かんないや。

「ごめん元也君、霧華ちゃんが呼んでるから帰るね」

 理由は分からないけど、早く帰った方がよさそうだ。話の途中だったけど、元也君は特に気にした様子もなく「おう」と片手を上げて挨拶してくれた。

「夜風もまたなー」

「…………ん」

 少し大きめに声を張って元也君が入口の霧華ちゃんに声をかけるけど、霧華ちゃんはツーテンポくらい遅れて短く返事をしただけで踵を返してしまった。その返事だってかなり小さかったせいで、たぶん元也君には聞こえていないだろう。

「……なあ」

「なに?」

「俺ってひょっとして……夜風に嫌われてるのか?」

 ああ、やっぱり聞こえなかったみたい。鍛えられた大きな肩を落としてしまった元也君に少し笑っちゃいそうになる。いつも快活な彼がそんな仕草をすると、なかなかギャップがあるなぁ。

「口下手な子だから、突然話しかけられてちょっとびっくりしちゃっただけだよ。気にすることないって」

 そういえば、霧華ちゃんってクラスで上手くやれているのかな? 大がつくほどの口下手だし、寂しい思いをしていなければいいんだけど……なんてことを前おばさんに言ったら「ゆうくんはまるで霧華のお父さんみたいね」なんて笑われてしまった。けど、やっぱり心配だよね、幼馴染だし。

「びっくりさせちまったのか、俺には全然分からなかったぞ」

 首を捻りながら短い髪をガシガシと掻く元也君。確かにほとんど表情も変わらないから分かりづらいだろうなぁ。まあ、僕には分かるけどね。

「長い付き合いだからね」

 なにせ、もう十年も一緒にいるんだ。それくらい分からないとあの子の幼馴染なんてやっていられない。



     ***



「それでその時先生がさ……」

 通学が一緒なように、基本的に僕らは帰宅も一緒だ。お互い何かしらの用事がある時や“約束”の準備で霧華ちゃんが先に帰る時以外は大体一緒。

 帰宅中は大抵僕が話をして、それに霧華ちゃんが短い相槌を打つ。周りから見たら会話が成立しているのかも怪しく見えるんだろうけど、僕たちの間ではちゃんと意思疎通はできているから問題ない。前に近所のおばさんに喧嘩でもしてるのかって心配されたけどね。……泣いてないよ!

「…………そう」

 むぅ……。

 確かにいつも霧華ちゃんの相槌は短いし小さいし、抑揚もないんだけど……今日はどうも様子がおかしい。少し先の地面をじっと見つめたままこっちに視線を全然向けてこないし、声のトーンもほんの少しだけどいつもより低い。

「それでさ、その後の元也君がすごくって……」

 一歩、また一歩と少し遅めに足を進めながら霧華ちゃんを観察してみる。髪は……いつも通りツヤも見せないほど真っ黒で、ずっと見ていると遠近感が狂っちゃいそうだけど、特に問題はない。時折吹く弱い風に乗って涼しそうに揺れるけど、やっぱりお日さまの光は彼女の髪に反射することなく吸い込まれていく。ひょっとしたら、あの髪も先祖返りによる特徴の一つなのかもしれない。

 きっちりと校則通りに着用した制服から覗く小さな手も、スカートから伸びる肉付きの薄い足にも怪我をしている様子はないし、気だるげな表情をしているけど、体調が悪いようには見えない。

 ただ、やっぱりその目の奥には不満が見え隠れしている気がして――

 当たり前のことだけど、僕は霧華ちゃんじゃないし、霧華ちゃんの事がなんでも分かるわけじゃないけど、霧華ちゃんがいつもと違う理由が分からないのはなんというか……もやもやしちゃう。

 …………うん。

「霧華ちゃん」

「ん……?」

 もうあれだ。

「……なにかあった?」

 本人に直接聞いちゃおう。

 ととっと少し駆け足で霧華ちゃんの前に出て、俯きぎみの顔を覗きこむようにして聞いてみる。ちょっと遅れて立ち止まった霧華ちゃんはいつもの目にやっぱり不満を混ぜながら僕の目を見つめてきた。

「…………」

「…………」

 何も言わずにじっと、ただただじぃっと見つめてくる。というよりも、どう贔屓目に見ても睨んできてる。そんなに睨んだら穴が開いちゃうよぉ。本当に僕、なにかしちゃったのかな……。

 っていうか、この沈黙はつらい。夏の初めの今は例年より気温が高いようで、地面を明るく照らしてくれるお日さまに熱せられた肌がジリジリと音を立てているような錯覚になっちゃうし、さっきまで涼しさを提供してくれていたはずの風はなんだか生ぬるくて、額から粘っこい汗が流れそうだ。

 この沈黙をなんとかしたいんだけど、そもそもこっちから話を振ったのだから霧華ちゃんが反応してくれないと始まらない。まあ、どの道何を話せばいいのか分からないから、仮に口を開いても声が出なくて変な顔になっちゃうと思うけど。

「ゆうちゃんさ……」

「え、なに?」

 いい加減焦れてきて、もう一回聞き直そうかなと思っているとようやく霧華ちゃんがぽそりと口を開いた。

「…………」

 ようやく聞けるかと思って霧華ちゃんを見るけど、また無言。一瞬視線を泳がせたことに首をかしげていると、さっきよりももっと小さい声でしゃべりだした。それ、たぶん僕じゃなきゃ聞きとれないよ?

「ゆうちゃん……部活……入らない、の……?」

「部活?」

 なんかその質問、二回目な気がする――と思ったら、ついさっき教室で元也君に同じ質問されたんだった。高校に入ってから今まで部活の話なんてしなかったから、ちょっとびっくり。ひょっとしたら、元也君との話を聞いてたのかな?

「部活は入らないよー。興味がある部もないからね」

「嘘……」

 正直に答えたはずなのにほとんど間を空けることなく否定されちゃった。なんで? 運動部は運動嫌いの僕が入る理由なんてないし、文化部も特に興味がある部活はないんだけど。中学校の時も同じ理由で帰宅部だったし。

「ゆうちゃん……家庭科部のチラシ……熱心に、見てた……。部活動紹介の、時……」

「あー……」

 そういえばそんな事もあったっけ。うちの学校は四月に一年生に向けた部活動紹介があるんだけど、その時に家庭科部って部活を見つけた。チラシを見てどんな部活かなって興味を持ったのも事実だ。

 けど、それがどうかしたのかと思っていると、また霧華ちゃんの目がつつーっと横に流れる。不満と一緒にその奥に見えるのは……焦り? 理由の分からない僕の頭の上には特大のはてなマークが浮かんでしまいそうだ。

「ゆうちゃん……友達多い、けど……臆病……」

「臆病って……」

 確かに緊張しいな自覚はあるけどさ。

「緊張して、部活……入れないんじゃないか……って……」

 ……ほむ。

 つまり、霧華ちゃんはちょっとあがり症気味の僕が怖くて家庭科部に入るのをためらっていると思っている……ってことかな? さっきから瞳にちらついていた不満な感じも、そんな僕が心配だったからと。

「ぷふっ……」

「…………なに?」

 思わず吹き出してしまった僕に霧華ちゃんが首をかしげる。だってしょうがないじゃん。それってまるで子供の心配するお母さんみたいだよ。

「むぅ……」

 笑いを必死に押し殺そうとしていると、眉を潜めて今度は態度で不機嫌を表現してきた。早く笑いを抑えないと口を利いてくれなくなりそうなので、なんとか震える肩を抑えに入ってみる。思い出しちゃだめだよ、絶対また吹き出すから。

「確かに最初は家庭科部に興味はあったよ。けど、あの部活って裁縫とかがメインみたいで、料理はほとんどしないって言われたからやめたの」

 料理をやる時も栄養バランスを考えた朝食とか、普通のご飯ばっかりで、お菓子作りは全然やらないみたいなんだよね。確かに栄養バランスとか食べ合わせとか、今後の参考にはなると思うけど――

「それじゃあ、お菓子を作る時間がなくなっちゃうよ」

 一番やりたいことの時間を潰してまでやろうとは思わないかなって。さっきも言ったけど、部活動はやりたいことをする時間だから。

 それに……。

「……なに?」

 部活に入ったら、霧華ちゃんと一緒にこうして帰る時間もなくなっちゃうから。それはなんか、嫌だなって。

 まあ、そんなこと本人に向かって言えないわけで。

「霧華ちゃんのおやつがなくなっちゃうのはかわいそうだからね」

 小首をかしげる霧華ちゃんに、喉まで出かかったものとは違う言葉で返してみた。一瞬キョトンとした霧華ちゃんは言葉の意味を理解したのかむっと少しだけ顔をしかめた。

「そんなこと……ない……」

 通学用鞄の持ち手にギュッと力を込めて、斜め四十度くらいプイッとそっぽを向いてまた歩き出そうとしたので――

「じゃあ、明日から霧華ちゃんの分のお菓子作ってこなくても大丈夫だね」

 なんて言ってみると、前に出かかっていた足がピタリと止まる。ぐぐぐっと音が聞こえてきそうなくらいゆっくり回された頬は少しだけ、ほんの少しだけ膨らんでいた。

 霧華ちゃんの表情を変えられたのが嬉しくてにぱっと笑いかけてみると――

「……ゆうちゃん、……きらい……」

「っ…………!?」

 今度は僕がピタリと固まってしまう番だった。頭の先から足の先まで石像のように見事に硬直した僕に「ふう」と小さく息をつくと、さっきよりも早い足取りで霧華ちゃんは帰っていこうとしてしまう。

 シンプルに言って……やりすぎちゃったみたい。

「ま、待ってよ霧華ちゃん! 冗談! 冗談だから!」

 なんとかセルフ石化を解除して霧華ちゃんの後を追う。こんなちょっと思いついただけのお遊びで嫌われたら笑い話にもできないよ……。

「明日のおやつ……二つ……」

「わかった!」

「片方……チョコクッキー……」

「お、オーケー……」

 これは、今日の自由時間はいつも以上にお菓子作りに専念する必要がありそうだ。

 まあ、自業自得なんだけどね。

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幼馴染はかみつき系 暁英琉 @elu_akatsuki

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