・幼馴染は変身系
吸血鬼って言うと、日の光が苦手だったり、ニンニクや十字架、銀の弾丸が苦手だったりって印象がある。確かに霧華ちゃんは少し日光が苦手だけど、灰になったりすることはない。ニンニク料理も平気で食べるし、十字架にもいつも通りどうでもよさそうな表情を向けるだけだ。銀の弾丸なんてそもそも普通の人間でも死んじゃうから論外。
つまり、こと伝承なんかでよく見るドラキュラやヴァンパイアみたいなのと霧華ちゃんは違うのだ。そもそも吸血鬼って呼んでるのも僕だけだしね。彼女のおじいちゃんが言うには先祖がえりというものらしい。
僕たちの“約束”、霧華ちゃんに血をあげるのは大体二週間に一回くらい。それ以外のあの子は物静かな普通の女の子だ。
「……ゆうちゃん、おはよ……」
…………。
………………。
……うんごめん、ちょっと嘘ついた。普通の女の子は寝起きにベッドのふちに座ってたりしないよね。
まして――玄関も窓もちゃんと施錠されてる密室に入るなんて。
「おはよ……“霧”になって忍び込むのやめようよ、霧華ちゃん」
「ゆうちゃん……起きるの遅い……。それに……隙間、ある方が悪い……」
そんなめちゃくちゃな……。それはこの家を作ってくれた大工さんに喧嘩売ってるよ。
霧華ちゃんは物語で聞くような吸血鬼とは違う。僕より早起きだし、血を吸われても僕は眷属になってない。
けれど、一つだけ変わったことができる。
「ゆうー、そろそろ起きないと遅刻するわよー?」
コンコンというノックと同時に聞こえてきた母さんの声に思わず背筋が伸びる。幼馴染とは言っても高校生男子の部屋に女の子がいたら大問題だ。元也君言っていた“家族会議”なるものに発展してしまうかもしれない。
寝起きな上にプチパニックに陥っている頭じゃ良案なんて思いつくはずもなく、霧華ちゃんに助けを求めようと目を向けると、さっきまでいたはずの場所に彼女の姿はなくて――
――パサッ、と。
床に落ちた布の束だけが残っていた。
……ああ、そういう方法がありましたね。これなら僕が何もしなくても安心だぁ……。
『安心……まだ早い……』
「そうでしたあああああああ!」
お風呂場みたいなエコーのかかった声に思わず声を張り上げてしまった。その声を聞いたせいか扉の向こうで息を飲む小さい音が聞こえて、バァンッと全く躊躇いなく扉が開かれる。
「ゆうっ、どうしたの!?」
「な、なんでもないれひゅっ!!」
あ、危なかった。なんとかギリギリでさっきまで霧華ちゃんが着ていた服をひっつかんで布団の中に潜り込ませることができた。曲がりなりにも年頃の男の子の部屋に躊躇なく入りすぎだよ母さん……。あと、その手に持ってる包丁怖くて危ない。
「ちょ、ちょっと変な夢見ちゃっただけだから」
「そうなの? まったく驚かすんじゃないわよ」
むしろ僕の方が驚きました。
「ご飯できてるから早く起きてきなさい。ん……? この部屋ちょっと湿度高いわよ。歓喜もしておきないよ?」
「う、うん。分かった……」
扉が閉められ、母さんが離れていく足音が小さくなっていくのを確認してから、小さく息を吐く。
「危なかったぁ……」
母さんには霧華ちゃんの事は言っていないから、それがばれるのはまずかったし、そうでなくとも夜中に女の子を連れ込んだと思われたら本当に家族会議が開かれるかもしれない。
起こっていたかもしれない“もしも”を想像して震えていると、部屋を包んでいた湿っぽさがなくなって、背中にポフッと何かが触れた。サラサラの長い髪が首や腕に触れてしまって、ちょっとくすぐったい。
「霧華ちゃ……」
「振り向いたら……だめ……」
いやうん、それは分かっているよ。霧華ちゃんがさっきまで来ていた服は僕の身体と一緒に布団の中なんだから、つまり今の霧華ちゃんは見られたらまずい姿なんだから。
伝説の吸血鬼は身体を霧に変えて毎晩棺から外に出ていたという。この子ができる不思議なことというのはまさにそれだ。どんなに鍵がかかっていたって、小さくても隙間があれば霧華ちゃんは入ることができる。まあ、霧に変わることができるのはあくまで霧華ちゃん自身だけで、服はその場で見繕うしかないんだけどね。
「そんなに恥ずかしいなら霧のままでいればいいのに……」
霧になっていてもさっきみたいに会話はできるし、こうして僕に見えないようにする必要もないから……うん、そう考えたらやっぱり霧のままでよかったんじゃないのかな? 一番は最初っから霧になって侵入しないことだと思うけど。
「いたっ……」
正論を言ったはずなのに頭をはたかれてしまった。さすがに女の子の力だと元也君みたいな力強いものではないけど、それでもちょっと痛い。霧華ちゃんには背を向けているから今どんな表情をしているのか分からないけど、小さく唸るような声が聞こえる点を考えると、いつもの少し瞼の下がった瞳を不満げに濁らせているのだろう。
「……私が来ないと……ゆうちゃん……遅刻する……」
「そんなこと……」
ない……はずだ。確かにちょっと朝は弱い自覚はあるけど、なんなら最終起床ラインに母さんがいるし。けど……母さんも夜勤の時とか起きるの遅いよね。いやいや、ちゃんと目覚ましをかければ大丈夫。だいじょう……。
「ごめん、反論できないよ……」
「ん……。分かれば、よろしい……」
実際、毎日霧華ちゃんが起こしに来てくれるおかげで遅刻はしたことがないんだよなぁ。ちょっと僕、霧華ちゃんに甘えすぎ? けど、霧華ちゃんが来るより早く起きれる自信もないんだよなぁ。
「それに…………」
「ん?」
霧華ちゃんの声なら基本的に聞き逃すことはないんだけど、さすがに音になっているかなっていないかのものまで聞きとることはできない。「それに」の続きを聞き返してみたけれど、「なんでもない。気にしないで」とはぐらかされちゃった。むむむ、それはそれで気になっちゃってもやもやするよ……。
「ゆうちゃん……、そんなことより……時間……」
「そんなことって……、あ! 結構ギリギリだ!」
手渡された時計を見ると、さすがにこれ以上のんびりしていたら危ない時間だった。せっかく起こしてもらったのに遅刻しちゃったら本末転倒だ。
思わずベッドから跳ね起きると、すぐ後ろにあった気配が消えて、それに合わせて部屋の湿度が少し上がった。後ろを振り向くと、当然さっきまでいたはずの女の子の姿は欠片も残っていない。
『それじゃあ……後で……ね』
「うん。今日も起こしてくれてありがとね」
『ん……』
霧の中から聞こえてきた声に返すと、湿度の塊は窓の隙間からするりと外に抜け出していった。そんな隙間とも呼べない隙間から出入りされて、隙間がある方が悪いなんて言われたら、大工さんも金槌放り投げてふてくされちゃうだろうなぁ。
「おっといけない。早く着替えてご飯食べないと!」
制服に着替える前に霧華ちゃんが脱いだ服を片づけておこうと思って布団の中から取り出し――
「あれ? これ僕の制服のシャツじゃん」
布団の中に投げ込んだせいで少し皺になっているけど、間違いなく今日着ようと思っていた制服のカッターシャツだった。ばっちりしっかり男物って分かるやつ。
つまり……あんなに慌てて隠す必要なかったってこと? てっきり霧華ちゃんが持ちこんだあの子の服だと思ってたよ。霧華ちゃん、脅かすのはやめてよぉ……。
「まあ、今さら気にしても仕方ないか」
パジャマを脱いで、ランニングの上からさっきのシャツに袖を通す。着たまま霧になったせいか少ししっとりとした甘い匂いが鼻を掠めてきて、ちょっと頬が緩んでしまった。
「えへへ」
さて、今日も頑張ろうかな!
「ゆう! 早くしなさい! 本当に遅刻するわよ!」
「あわわっ、今行くよ!」
慌ててズボンを履き変えてリビングに向かう。ううぅ、ご飯の早食いは苦手なのに……僕のばかっ!
***
できる限り早く朝食を食べて――それでも母さんより遅くて笑われたけど――鞄を取って学校に駆け出す。僕の学校に行くためには変に遠回りをしない限り霧華ちゃんの家の前を通ることになって――
「おはよ……」
いつも彼女は家の前で僕を待っている。
「おはよ。ごめんね、遅くなっちゃって」
さっきした挨拶をもう一度するのはどうなんだろ。そう思いながらなんとなく返事をすると、いつもより一段階瞼が下がった。霧華ちゃん変身その一。
「本当に遅い……。このままだと……遅刻ギリギリ……」
「うっ、……ごめん……」
また一段階瞼が落ちた。変身その二。
「いつも目覚まし……かけ忘れてる。……起きる気……感じない……」
「おっしゃる通りです……」
毎回目覚ましつけるの忘れちゃうんだよね。朝起きた時は「明日こそは!」って思ってるのに、いざ夜になったら目覚ましをセットする前に寝ちゃうの。この現象に名前が欲しい。
そしてさらに一段階瞼が下がった。変身その三。もうじと目というか糸目。というか、どう考えても霧華ちゃんの変身その一は霧になることだよね。まだ寝ぼけてる気がするよ。
「なにしても……なかなか起きないし……」
「あのぉ、なにをしたんでしょうか?」
僕が寝ていて反応がないのをいいことに、この子はなにをやったんだろう。おでこに“肉”とか書かれてないよね? 大丈夫だよね?
「ん…………?」
ねえ、なんで唇をぺろって舐めたの? なんかとんでもない悪戯したの? ほっぺに髭とか描かれてない?
あわあわと慌てる僕の頭に手を乗せて宥めてくる。ちょっと気持ちいいけど、なんか子供扱いされてるみたいで納得いかない。身長あんまり変わらないよねとも言われてるみたいでちょっと悔しい!
「大丈夫……。ちょっとほっぺた……叩いただけだから……」
「それでも僕起きないんだね……」
後で寝起きが良くなる方法とかネットで調べようかな。……後でって言ってたら絶対忘れそうな気がするけど。
「それに……いつものこと、だから……。ゆうちゃんが起きるの、遅くても……別に……いい……」
相変わらずあやすように頭を撫でながら、いつもより優しい声色でそう言われたら、別にいいのかなってちょっと思っちゃう。けどなぁ……。
「いつまでも子供じゃないんだから、いい加減一人で起きられるようにならないと……」
あ、またちょっとじと目になった。
「私が起こす……から、ゆうちゃんは……それまで寝てて……」
う、うん。分かったからあんまり頭撫でる手に力入れないでほしいかな。髪の毛抜けちゃいそう……。
なんとか彼女に手を退けてもらったけど、なんかちょっと不機嫌そう。いつも通りマスクをつけてるし、目も何を考えているのかぱっと見は分からないけど、ちょっと目の奥に不機嫌な感じが見てとれた。
「ゆうちゃんのせいで……気分を害された……」
「う、うん……そう、なの……?」
いや、確かにこの場には僕と霧華ちゃんしかいないから、たぶん僕のせいなのは間違いないんだけど、一体何が原因なんだろ……。原因が分からないからどう謝ればいいのか見当もつかないんだよね。
「お昼……」
「え?」
「お昼に……おやつ……。それで……チャラ……」
おやつっていうと、僕がいつもお昼休みに食べている手作りお菓子のことか。今日も用意しているし、別にそれは構わないけど……。
「それでいいの?」
「ん……」
なんだかんだお菓子はいつも持ってきてるし、個人的に謝ってる気がしないんだよね。まあ、本人がそれでいいならいいけど。
「わかったよ。じゃあ、お昼休みに教室に来てね」
「わかった……今日はシュークリーム……? 生チョコ……?」
「いや、パウンドケーキだけど」
「ぇ…………」
「え?」
なんかまた目の奥が不機嫌になったんだけど。本当に何が原因なのか分かんないよぉ。
「シュークリーム……生チョコ……作るって、言ってた……」
「……あぁ」
昨日そんな話してたね。忘れていたわけじゃないけど、同じお菓子を連続で作りたくないし、チョコレートは家になかったから生チョコも作れなかったんだよね。
「むぅ……」
どうやらもうそのどっちかを食べる気満々だったみたいで、また不機嫌になっちゃった。今日はやけに地雷を踏み抜いちゃうなぁ。むむむ、霧華ちゃん心は男の僕には難しいよ。
「じゃ、じゃあ、明日生チョコ作ってくるから! ね?」
「シュークリーム……も……」
「分かった! 分かったよぉ!」
今日の夕方はキッチンを占拠する必要がありそうだ。まあ、お菓子作りは好きだし、霧華ちゃんが食べてくれるならお菓子たちも喜んでくれるだろうな。そうと決まれば、がんばって作らなきゃ!
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