幼馴染はかみつき系
暁英琉
・僕の幼馴染は・・・
前日が雨だったせいか、雲ひとつない青空の中でも空気が一段階冷たく感じる。空の青さから少し視点を下にずらすと木の葉に残った雨粒一つ一つが日光を反射させて、同じ種類の葉っぱのはずなのにイルミネーションのように微妙に違う色の淡い光をキラキラと放っていて、見ているだけで飽きない。
「こんな光景を見ながら食べるシュークリームは絶品だなぁ」
「女子か!」
スパコーンと小気味のいい音を鳴らしながら頭を叩かれた。とても痛い。
せっかくいい気分に浸っていたのに、僕のスーパーリラクゼーション空間の邪魔をしたのは誰かと振り返ると、呆れた顔をした友人、
「お前顔もだけど仕草も女っぽいよな。飯もチビチビ食うし、運動も全然しないからひょろっこいし」
「運動は嫌いなんだよ……」
体育は本当に嫌い。運動を強要してくるなんて魔の科目だ。体力もなくて運動神経も低い僕にとっては休めるものならぜひとも休みたい科目十年連続一位を常に独走している。いや受けるけどね? バドミントンとかならなんとかできるし。
「そんなんだからひょろっこいんだ! もっと筋肉つけろ筋肉! 肉食ってプロテイン飲んで筋トレだ!
それ、帰宅部の僕がしてたら違和感しかないと思うんだけど……。っていうか、元也君プロテイン飲んでるの? やっぱりラグビー部はそういうの飲んでるんだ。そうだね、プロテインだね。
けれど、このままだと本当にプロテインと肉を出してくるかもしれない。肉は漫画で見るような骨付き肉。お弁当でお腹いっぱいの状態でそんなもの食べられないなぁ。何とかしないと。
持っていた食べかけのシュークリームを中のクリームがこぼれないようにそっと千切って彼の口に放り込んだ。
「んぐっ…………美味い」
「でしょー?」
自分も一口頬張る。元也君からしたら啄んでいるみたいだけど、元々そんなに大きく口を開けられないからしょうがない。
少し固めの生地の奥からふわっとした甘さ控えめの生クリームが顔を覗かせて、さらに奥に進むとトローリ甘いカスタードが舌に直接甘さを乗せてくる。甘いは正義だなぁ。カスタードに舌を埋めたいよ。
「これも手作りか。お前、菓子作るのはやけに上手いよな」
「お褒めに預かり恐縮です」
運動が苦手で、勉強もそこまで得意じゃない僕だけど、昔からやっているお菓子作りはちょっとした自慢だ。なんでか料理は上手くできないけど。料理とお菓子で何が違うのかなぁ。
「あっ! そうやって菓子で誤魔化そうったってそうはいかねえぞ!」
うぐ……うやむやにできたと思っていたのに……。元也君はどうしてそこまで僕を男らしくしたいのやら。筋肉ってあんまり好きじゃないのに。
どうしたものかと考えるけど、この場を切り抜ける名案が思い浮かばない。というか頭が当分不足になってきた、シュークリームで補おう。
「……ゆうちゃん……」
むぐむぐとシュークリームを食べて、カスタードの甘さに癒されていると、今にも消え入りそうな声が聞こえてきた。
「ゆうちゃん」っていうのは僕のあだ名だ。この教室に「ゆう」のつく生徒は僕以外いないし、そもそも僕にその呼び方を使う子自体一人しかいない。
「霧華ちゃん、どうしたの?」
声の聞こえてきた方、教室の入り口に目を向けると、予想していた通りの人物が静かに立っていた。
キッチリと切り揃えられた前髪は闇のように黒く、同じ色の後ろ髪は腰まで伸びている。綺麗には違いないんだけれど、ツヤがないから吸いこまれそうな印象を受ける。その上でマスクを付けているので、表情も全然わからない。まあ、付けてなくてもダウナーな感じで何考えてるのか分からない表情をしているんだろうけど。
彼女、
「約束……忘れてないかと思って……」
「約束って今日の?」
コクリと頷いた彼女が言っている約束とは、今日の放課後に彼女の家に向かうことだろう。
「そんなことならメールでよかったのに」
今どき、携帯電話を持っていない高校生の方が少ない。当然僕も霧華ちゃんも持っているのだから、わざわざ相手のクラスに来てまで確認する必要はないんだけど。
「ダメ。校内での携帯電話の使用は禁止……」
そういえば校則にそんなこと書いてあったなぁ。守ってる生徒なんてほとんどいないし、先生側も黙認してしまっているのだが、そういうところは融通が利かないと言うか真面目と言うか。
「はあ。約束は忘れてないよ、大丈夫」
「ん……」
彼女は小さく頷くと、おもむろにマスクに手をかけて外した。小さくてかわいらしい唇に一瞬目を奪われている間にそれがだんだん近づいてきて――
「ぇ……?」
持っていたシュークリームを食べられてしまった。
「じゃあ、放課後……ね?」
すぐにマスクをつけ直して出て行ってしまった。あんなことして大丈夫だったのかな? というか、生クリームがほっぺについたままマスクつけ直してたけど、マスクの中大変なことになってるんじゃ……。
「あれって隣のクラスの夜風だよな。あいつが誰かと話してるの初めて見たぞ」
どうやらさっきの評価は撤回しなくちゃいけないみたいだ。いや、校内皆友達とか普通に考えてあり得ないけどさ。
「まあ、幼馴染だからね。昔から大人しい子だから」
なんだかんだ幼稚園の頃からの付き合いだ。確かにとっつきにくい雰囲気だとは思うけれど、変に気を使わなくていいから高校生になった今でもよくお互いの家に行く。幼馴染じゃなかったら、たぶん話すこともなかったかもしれないけど。
まあそれに――
「意外とアクティブなこともあるんだよ」
具体的には教えられないけどね。
***
僕と霧華ちゃんの家は住宅街の同じ通りにあって、歩いて五分くらいで着ける。ベタな物語なら幼馴染とは隣の家同士というのが通例だけれど、普通に考えて隣に同い年の女の子がいるなんて奇跡的な確率だろう。まあ、創作だしそこらへんは御愛嬌と言うことで。
「お邪魔しまーす」
生まれてから半分以上の時間を一緒に過ごしているとなると、相手の家だって我が物顔だ。まあ、おばさんたちから自由に出入りしていいって言われてるからね。
「あら、いらっしゃい。そうか、今日は約束の日だったわね」
この人がおばさん、霧華ちゃんのお母さんだ。毛先に軽いウェーブをかけたセミロングの髪は黒だけど、霧華ちゃんのそれと違ってちゃんとツヤがある。ハキハキとしたしゃべり方もあって、初めて会った時は親子だと思わなかったのを覚えている。
「お邪魔します。霧華ちゃんは部屋ですか?」
「そうよ。いつもごめんね? 私ができればいいんだけど、私じゃ勤まらないっておじいちゃんが言ってたから……」
おじいちゃんとは、おばさんのお父さんのことだろう。僕も時々しか会うことはないけど、あの人の言葉にはつい従わないとって思っちゃうからなぁ。
「それも含めて約束ですから」
そうでなくても、この“約束”は僕にしかできない。だから、霧華ちゃんのおじいちゃんの言葉とかは正直関係ないんだ。
「そっか、ありがとね」
お礼を言われることはなにもしていないんだけど……。首をかしげる僕におばさんはカラカラと笑いながら、ぽんっと手を合わせてキッチンへと入って行った。
僕も霧華ちゃんの部屋に向かおうと階段に足をかけて、もう一度顔を出して呼び止めてきたおばさんの方を向く。
「おやつと飲み物は終わったら持っていくから、終わったら教えてね」
「分かりました。ありがとうございます」
ふかぶかーと頭を下げて階段を上る。
二階には扉が二つだけあって、一つは物置、もう一つが霧華ちゃんの部屋だ。別に部屋の目印なんてないけれど、毎日使っているせいか霧華ちゃんの部屋の扉の方がどこか小綺麗に感じる。感じるだけかもしれないけど。
「…………」
彼女の部屋の前に立つといつも緊張する。ここに来るのはいつも“約束”の時だからかもしれない。
一つ大きく深呼吸して、自然と入ってしまっていた肩の力を抜く。まだ少し固い頬をむにむにと解して、よしっと拳を握るとドアノブに手をかけた。
「あ、ゆうちゃん……」
電気もついていなくてカーテンからわずかに光が漏れ入っているだけの薄暗い部屋。窓とは反対側のベッドに座っていた霧華ちゃんは僕に気づくと立ちあがってトテトテと近寄ってくる。
昼間につけているマスクは、今はしていない。約束の時以外ではほとんど見せることのない彼女の素顔は、かわいい……と思う。相変わらず気だるげな目をしているせいでそのせっかくのかわいさに下方補正がかかっている気もするけど。
霧華ちゃんがマスクをつけているのは風邪っぴきなせいでも、まして予防のためでもない。マスクで隠しておかないと、うっかり見られてしまうかもしれないからだ。
「じゃあ、約束……しよ……?」
小さな口の中、白い肌と対比するように血色いい口腔内からわずかに覗く――明らかに発達した犬歯を。
まだ閉まりきっていなかった扉を後ろ手で完全に閉める。バタンという音と共にカチリと金具が止まって、ドアノブを回さないともうここから出ることはできない。それを横目で確認して振り返ったら、霧華ちゃんの顔がすぐ近くまで来ていた。
何を考えているのかやっぱりよく分かんない目がじいっと僕の顔を見つめてくる。撫ぜるようにゆっくりと動いていた瞳の奥に何か揺らぎを感じた瞬間、肩に優しく手を乗せられて抱きつくように身体を寄せてきて――
「いたっ……」
首筋に歯を立てられた。
さっき犬歯って言ったけど、もうこれは肉食動物の牙だ。身体の表面に出ている中でもっとも硬く、鋭くとがった部位が首筋を圧迫してきて、鈍い痛みと一緒に身体の中に埋め込まれる。
「んく……じゅ、じゅ……」
痛いのはほんの一瞬。血管を貫いたことで溢れだしてきたぬるい血液を喉を鳴らして霧華ちゃんが飲む音が聞こえてくると、全身の力がゆっくりと抜けていって、痛みは痺れるように引いていった。
むしろ全身をじわぁっと幸せな気持ちが包み込んでいく。今僕は霧華ちゃんの力になれている。それだけでうれしくて、扉に背を当てたままズルズルと座り込んだ。それに合わせて彼女も床に座り込むけど、その間も血を啜ることはやめなかった。
「ぁ……」
小さい口では飲みきれなかった紅いジュースが首を伝ってシャツの襟を濡らしたようで、少し気持ち悪い。それに気付いた彼女が首筋から顔を離した。
「濡れちゃったね」
そう呟いた声はいつもより幾分抑揚があって、何を考えているか分かりづらい瞳は嗜虐的に細められている。口から垂れた紅い筋はさっきまで僕の中を流れていたもので、ゾクリと不思議な震えが背筋を駆け抜けた。
再び霧華ちゃんの顔を僕の首に伸びて、襟の付け根から貫かれたところまでをペロっと舐めあげられて、思わず身体が跳ねてしまった。
「ゆうちゃん、かーわいっ」
そんな僕を見て霧華ちゃんが嗤う。クスクスと小さな声を上げる彼女を、僕はただただ気だるげに、でも少し楽しげに眺めていた。
***
「……ごめんね、ゆうちゃん」
いつもの抑揚控えめな口調に戻った霧華ちゃんは布団にちょこんと座りながら謝ってきた。いつものぼーっとした目尻を少し自信なさげに垂れ下がらせている。
「気にしなくていいよ。ちゃんと洗えば落ちると思うから」
扉の前に座ったまま答える。母さんに言い訳するのは面倒だけど、そんなことは些細な問題だ。まだ少し空気に触れると冷たい首に触るけど、さっき食い破られたはずの傷は痕も残っていない。
聞いた話では彼女の牙にはそれで与えた傷をすぐに治す力があるらしい。人に迷惑をかけないって言うと聞こえはいいけど、証拠隠滅目的に見えなくもない。蚊が刺す前に唾液をつけるみたいな感じ。そのおかげで首を隠すとかしなくていから楽だけどね。
けれど、彼女が謝っているのはそのことじゃないみたいだ。膝の間でもじょもじょ手を動かしながら、不安そうに「あのね」と口を開いた。
「ゆうちゃん……迷惑じゃ……ない?」
「え?」
「もう、高校生だし……そうじゃなくても……ゆうちゃんが、嫌じゃないかな……って」
……なるほど。確かに僕たちの関係は周りには言えないものだし、きっと理解されない。そもそもこんなことがバレたら霧華ちゃんが奇異の目で見られかねない。できるなら、この約束はすっぱりやめるべきなんだろう。
けど……。
「今の霧華ちゃんは僕の血以外飲めないんでしょ?」
「それは! ……うん……」
「じゃあ気にしなくていいよ」
それに、僕だってこの約束をやめるつもりはない。いつものルーティンが変わるのが嫌なのか、別の理由があるのかは自分でも分からないけど、そもそもやめるなんて考えは小学校の頃から始めて以来、考えたこともなかった。
「だから、僕の血が欲しい時はいつでも言ってね。吸血鬼の霧華ちゃん」
「…………ん」
にひっと笑いかけると、少し間を置いてギリギリ聞こえるくらいの返事が返ってきた。顔は部屋の反対側を見ているから表情は見えない。まあ、いつも通りのぼーっとした表情なんだろうけどね。
「それじゃ、そろそろ下に降りよ。おばさんがお菓子と飲み物用意してるってさ」
「……わかった」
少し血が抜けたせいか勝手の違う身体をえいっと奮い立たせて立ち上がると、霧華ちゃんが摘まむように僕の小指を摘まんでくる。
普段はこんな大人しい子なのに、血を飲んだ直後はあんな顔もするんだよね。血を飲んだ霧華ちゃんは僕しか見ることはできないと思うと、ちょっと役得かもしれないなぁ。
「そういえば……」
「んー?」
「お昼のシュークリーム、おいしか……った」
それはそれは。お菓子を作ってて一番うれしいのはおいしいって言ってもらえることだから、思わずガッツポーズを取りたくなっちゃうくらいテンションあがっちゃう。
「けど……マスクにクリームついた。マスクべちゃべちゃ……」
それは霧華ちゃんの自業自得。
ま、そんなことわざわざ言ってもしょうがないし、聞かなかったことにしておこう。
「それじゃあ、今度また作ってみるね」
「生チョコも食べたい……」
「はいはい」
僕らは幼稚園の頃から幼馴染。だから僕だけがこの子の秘密を知っている。普段は大人しくていつもマスクをつけている霧華ちゃんは――
――僕の血しか飲めない吸血女子だ。
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