第 拾 話 やっぱりこの科は面倒です。






□□□◇


こうして、


こうしてこいつと刃を交えるのは幾度目だったか。だがそんなことはどうでもよかった。英吉利ブリテン人と日本人じゃ感覚も感性も何もかもが違いすぎる。それに…


———人を殺し続けたこいつの感覚など、わかりたくもない。


至極どうでもいい。そもそも自分は小説家だ。剣を持つ為の手では無い。万年筆ペンを持つ為の手だ。決して、違う。



「おいおいベイビィ、殺し合いの最中に考え事かい?さすが作家は違うね、何か打開策でもわかったのか?」

「そうだね、君が僕に負ける場面を描いてたよ」



ほら、僕は作家だから想像力豊かなのさ。


そう呟けば舌打ちをしてジャックはナイフを振り上げる。僕は持っていた小刀をジャックの頬目掛けて投げ上げ、右脇腹の小刀を右手で、そして逆手で持ち上体を低くしてジャックの右太腿を斬りつけ後ろに回る。そうして、一旦距離をとる。


ジャックは距離を詰めるのが苦手だ。長距離戦闘も苦手で、だけれど近距離戦は世界中どこを見てもジャックより強い奴はいない。だから距離を詰められたらすぐに逃げる。



「君はいつもそうだ」



太腿を抑えながらこちらを視る眼は鬼以外の何物でも無い。そう、唯の餓鬼でしかないんだ、こいつは。



「ジャック。君はいつも負ける勝負を仕掛ける。とても無意味なことだね。僕は…無意味なことをする子は嫌いだよ」

「ジャックと……呼ぶなと言ってるだろうが!!!」

「…本当に、君は…馬鹿のままだね」

「うるせぇ!自殺バカをした奴にそんなこと、言われる筋合いはねぇよ!」

「人殺しよりはマシだと思うけどね」



眼を血走らせてこちらに来るジャックのナイフを、2本の小刀で止める。ジャックの長く黒い前髪がナイフに少し触れて右眼が露わになった。醜い引き攣れた傷痕。



「ジャック。当ててみせようか」

「何をだ!」

「君の名前だよ、ジャック」



有りっ丈の力でジャックのナイフを跳ね返す。刃こぼれが無いか気になるけれど、今はそれどころでは無い。


ジャックは半ば放心した表情でそこに立っていた。


彼の特徴とも言える紅いリボンタイが風に揺れて、束の間の休息を強調させる。僕は小刀を一本右脇腹にしまって、口を開いた。



「ちょうどいいよね、こんな時くらいじゃ無いと君ら【北欧州】の人間とは付き合いがないから」



この倒会議は他科同士の交流も含んでいる。こんなんで交流できるかアホボケチンカスと盛大に言いたいけれど、まぁ確かに交流は図れている。互いが望む形では無いけれど。



「1888年、8月から9月の間に君はロンドンのホワイト・チャペル地区で4人、1人はシティ・オブ・ロンドンで。女性を少なくとも5人。殺している。中でもメアリー・ジェイン・ケリーは酷い、身体が体じゃない状態で発見された。40代が4人。20代が1人。君は何を求めていたんだい、彼女たちに」

「おいおい脈絡が全くねぇな、作家さんよぉ。温いエールの方がまだマシだぜ?ああ、でもお前にはそれだってまだはぇよな?マンマのおっぱいでも吸ってたらどうだ」

「それをしたかったのは君だろ、名無ジャックし」

「…あ?」

「名無しの孤児ジャック。愛情を知らないジャック。母親を知らないジャック。痛みと苦しみしか知らないジャック」


「死人の臭いしか知らないジャック」

「臓物の味しか知らないジャック」

「腐った葡萄酒しか知らないジャック」


「エドワードとはよく言ったものだねジャック。名無しのくせに、エドワード。意味を知ってて付けたなら悪趣味すぎるよ」



僕とジャックは初等部の時からの付き合いだ。初等部は3年までは科分けをしない。【亜細亜】も【亜米利加】も【南欧州】も【北欧州】も全部ごっちゃ混ぜだ。


3年間同じクラスだった。


一番の親友だった。


知識をつけ互いに互いが”誰”なのかを認識するまでは。僕はジャックを知って、ジャックは僕を知った。イーストエンドの糞餓鬼と京橋銀座の小説家。彼に知識は無い。僕には有り余るほど知識がある。



「『富と幸運を持つ守護者』か。お笑い草にも程があるよジャック。君みたいに言えば閻魔大王が腹抱えて転がり回る、かな。ああ、ちょっと違うか、でもまぁ、そういうことだよ。ああ、苗字も充分ふざけてるよね」



格差は幼心によく響いた。



「ウォーターハウスと言ってすぐに思い出すのは画家のジョン・ウィリアム・ウォーターハウスだ。神話や伝説、戯曲の中の女性を描いたことで有名だね。有名なのは「人魚」とかかな」

「…ょ………」

「彼は本物にも勝る筆と色で”女”を描いていった」

「……ま、れ…」

「1888年にウォーターハウスはある女性を描いている。3枚描かれた女の一番最初の、絵だ」

「…だ、まれ…」

「「シャロンの女」。アーサー王物語の中に登場する騎士ランスロットにフラれた女だ。傷心のあまり自殺をした、哀れな女だ」

「黙れ!!!!」

「小舟に乗せられ恨みから王都キャメロンに流された女だよ、ジャック。まるであの子じゃないか、まるで、じゃないか」



ジャックはまた、今度は僕の左目にナイフを突き立てた。僕はそれを手の平で受け止める。ざくり、と普段あまり聞かない音がして、液体萄酒が腕を伝う感覚が鮮明に感ぜられた。


はっきり言って、僕が一番何故この状況に陥ったかわかっていないと思う。


いきなり仕掛けられたこの戦闘は無意味なものだ。


たとえジャックに意味があったとしても。



、君は僕に勝てない。勝てるわけがないんだよ」



君は過去を見過ぎているからね。”前”にそんなにこだわってはいけないって、一年生の時に言われただろう。今は今なのだと。



「ジャック、どうして動かない」

「っ!」

「突き刺したまま下に動かして手を裂くことだって、君ならできるはずだよ。それにもう片方の手は空いているよね、どうして動かない?」

「うるせぇ!!黙れ!!!」

「語彙が貧困だね。バーゲンセールでもやった?ま、君の品揃えじゃ犬だって買わないだろうさ」



僕は手の平をナイフから引き抜きその手でジャックの腕を掴んだ。そのまま引き寄せて左手で襟を持つ。身を反転させて投げとばす。所謂一本背負だ。だけどすぐそこに木があって、ジャックは背中を強かに幹に打ち付けた。



「教えろジャック。お前はもう勝てやしないんだよ、あの時から。だったらもう、教えてもらってもいいかい。僕は気が短い。それに人を待たせている」



見下ろした先のジャックの目が、ただのガキに戻ったのを僕はしっかりと見届けた。



「ちく、しょう…!!!!」

「それはこっちの台詞だよ、ジャック。だから君はいつまでたっても名無しなんだ」



いつまでたっても呼んでやらないよ、エドワードなんて。未練タラタラの名前なんて呼びたくもない。まず、君がそれに固執しているとこらからして僕はムカつくんだ。それじゃあ、繰り返すだけだってのに、ねぇ?








□□□□


「止まった…」

「止まったな」

「終わったんかねぇ…」

「終わっただろうな」

「眠いなぁ…」

「眠いな」

「怠いんだけど…」

「怠いな」



超不毛な会話だ。

つか会話として成り立ってんのかすらもわかんねぇ。


数分前、さっきから聞こえていたナイフとナイフ、金属と金属の重なる音が絶えた。高杉と俺は木に寄りかかって本郷が戻ってくるのを待っているわけだが、中々帰ってこない。いつここに他の敵が来るかもわからないのに、ずっと待ってるのは煩わしい。


高杉に本郷が負けることはあるのか聞けば、半分上の空で



「ない」

「すげぇ言い切るのな」

「ああ、言い切れるからな。あいつがエドワードに負けることは、絶対と言っていいほどない」

「そんなに本郷強いのか?」

「いや、エドワードの方が強いだろう。本郷は体力がないからな」



は?頭ん中でクエスチョンマークが飛び交ってるんですけど。



「いろいろあったんだよ、ジャック・ザ・リッパーとしてのエドワードと、芥川龍之介としての本郷ではなく、エドワードとして、本郷として、な」



高杉は遠くを見ながらそう言うとまた煙草を吸い始めた。


…なんだかすっげぇ面倒くさい臭いしかしないんだけど。


あーあ、やっぱこんな科入るんじゃなかった。過去だのなんだの、面倒くさすぎてどうしようもない。初日から死にそうになるわ周りの奴らは面倒だわで、さっきからため息しか出ない。


疲れた…と、空を仰ぎ見たところで少し遠くの方から「おーい」と俺たちを呼ぶ声がした。そっちを見れば殺人鬼をボロ雑巾のように引きずる本郷がいて、もし煙草吸ってたら俺ぜってぇ落としてるわ、ってぐらいびびった。



「ごめんね、遅くなっちゃって」



おう、おかえり。だけどな、本郷。そんな血塗れの手で手を振られても怖いだけだからな?やっすいホラゲよか怖いぞおい。



「あ、安心してよ亜沙比くん。ジャックは死んでないからさ」



うん、もし死んでたら俺、お前のことマーダー・リッパーって呼ぶわ。殺人鬼殺しって、お前、いや、もう何も言うまい………


どうせ、この決心もすぐに意味なくなるんだろうけどなぁ………

















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