番外編:愛しい子供に



 厩で蹲って泣いていた。


 何もしていない。ただそこに居るだけで石を投げられた。痛くて、怖くて、俺は厩に逃げ込んだ。つらくて、哀しくて、でも逃げる場所なんかなくて、どうすればいいのかわからなかった。


 泣く俺に鼻を摺り寄せてくる馬のやさしさに余計に涙が溢れた。動物の方が人間よりいい。とっても好きだ。だけど俺は人間に生まれてしまった。俺が馬でも豚でも鶏でもいい、人間以外のものに生まれればよかったのに。とめどなく流れる涙は止まない。


「なあに、また泣いているの?」


 ふわりと舞い降りた少女は俺の姿を見つけると微笑んだ。


「……イリス」


 頬を彼女の手に包まれて、そして無理矢理顔を上げられる。そこに浮かぶのは慈しみの心だ。


「泣かないのよ。ほら、あたしが傷を治してあげるから」


「……うん」


 涙を手で拭って俺は頷いた。そうしたらイリスは嬉しそうに笑うことを俺は知っていた。


「馬鹿ねえ、誰かを呼んで反撃しちゃえばよかったのに。大人しくやられちゃって」


「だって、痛いよ。血が出ちゃうよ」


「そうやって誰かを思いやれるのはあんたの良いところで、あたしは好きよ。だけどそれじゃあ、あんたはいつまでも痛いままよ」


「そうそう! 驚かすくらいしてもいいと思うんだよ、僕も」


 柱に背を預けて話に加わるのはファイアリィ。俺ににっこりと笑い掛けた。


「ファイは誰かを傷つけるのは怖くないの?」


 大きな槍を肩に担いだ彼に俺を上目遣いで見る。槍はとても大きくて、アレに当たったら痛いだろうと思った。


「そんなの怖いよ。だけど自分が傷つけられるのはもっと怖い。だから僕は戦うね」


 あっさりと答えるファイアリィは傷を治された俺の手を取った。そして槍を地面に置いて俺の横に座り込む。


「僕はお前が黙ってやられるのも嫌だよ。このやさしい手を傷つけられるのは哀しいな」


「……ファイ、だからって頬を擦り付けるのは変態っぽいわよ」


「ひどいな、イリス。僕は自分に正直なだけだよ。それにほら、僕だけじゃないよ。ねえ、ディーア、皆が心配してるよ」


 言われて目を動かすと、本当に皆が居た。俺をやさしく見守ってくれるやさしい神々。そのどれもが心配そうにしている。


「ねえ、いっその事此処から逃げてみないか」


「あら、それはいいわねえ」


 ファイアリィとイリスの提案にだけど俺は首を振った。それは出来ない。


「駄目だよ。俺は外で生きていけるほどまだ強くない」


 それにまだ信じてみたい。姉や村の人々が俺にやさしくしてくれる可能性は全くないわけではないのだから。だが二神は不満そうにしている。他の神々も。


「それじゃあ泣き寝入りだよ」


「でも俺、まだ行けない」


「だったら行けると思ったら、僕たちとこの村を出よう。僕らはいつまでもお前の味方であり続けるから」


 懇願でもするような必死な形相をして、ファイアリィは俺を見つめる。他の神々の視線も俺に向けられていた。


「俺が、……村を心から嫌いになったら出るよ」


 神々の態度に胸がいっぱいになる。だけど俺は簡単に村から出たいなんて言いたくなかった。


 いくら動物になりたいと願ってもなれるわけがない。人間をやめたいと思ってもやめられるわけがない。この村を出てもまた誰かと関わって生活をしなければならない。外の世界が明るいだけじゃないことを知っている。俺の意気地がないことを皆も気付いてる。神々の助けがあっても、俺は所詮独りだ。だけど、だけど――


「ああ、また泣く。いいのよ。あたしたちはただ、あんたが好きなだけなんだから」


「聞きなさい、僕らのやさしい子。僕らはお前を永劫愛していくよ」


 四方八方から抱きとめられる手はどれもあたたかくて、俺の止まったはずの涙は再び溢れてしまった。そう、だけど――やさしいぬくもりに俺は胸が熱くなった。



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