20: 多くの人が斬り落としてやりたいと思う相手の手にキスをする
ガルセラ領主のディーアにも、親しくしてくれる領主が居る。
嫌っている者も多いし、嫌われていることをディーア自身も知っている。けれどそれでもレッドノウズレッドの領主などは比較的自然体で接してくれる。と、ディーアは思っている。相手が同じように思っているかは実際のところわからないが、ディーアがそう思えることが大事だと思っている。
メイトルノーズやホールドセントの領主などは顔を取り繕うことすらしていない。それは当然だとも思っている。だから怒ることはない。怒るのはきまってヴィオラッサやハジータムナクだ。そう、だからディーアは構わないのだ。自分をわかってくれる人がいれば、誰に嫌われても大丈夫。
ただ、その心は少しだけ痛みを伴った。
それはレッドノウズレッドに行った時の話だ。
領主である彼はディーアにも丁寧な態度を取る。けれどそれはけして慇懃無礼という感じではなくて、ただ彼の気質がそうだとでもいうようなものだった。だから初めは気付かなかった。彼は他の皆と違うのだと思っていた。
けれど、そうではなかった。その痛みは今までも何度も体験した。遭遇するたびにもう二度と体験したくないと思うのだが、それはいつも叶わない。彼もそう、ディーアに覚えのある痛みを味わわせた。
大陸を統治した後のことだ。労ってくれるヴィオラッサたちとは別に、それぞれの街の領主たちがおべっかを言いにガルセラへやってきた。彼らは大仰な態度でディーアを褒め称えた。それ自体は表面通りに受け取る振りさえすればいい。ディーアはもう心得たもので、そのまま支配者然として彼らを見下ろした。
その中にレッドノウズレッドの彼も居たのだ。彼だけは純粋に祝辞を述べに来たのだと思った。そして嬉しさを感じながら彼の言葉を受け取った。
一人でも知っていてくれる人が居ればいい。理解してくれる人が居るならば、それだけでいい。そう思っている。それは今も昔も変わらない。でも理解を得られるなら出来るだけたくさんの人にそうしてもらいたい。彼はその中に含まれていると思っていた。
だからガルセラに泊まっていった彼ら領主たちの会話を聞いてしまったのは失敗だった。
宵の頃、疲れてふらふらと街の中をゆっくり歩いていた。ガルセラの中だけでなら、ディーアは概ね好意的に捉えてもらえる。皆が気軽に声を掛けてくれる。それに応える。たったそれだけの行為がひどく嬉しかった。
それなのに、声を聞いてしまった。言葉を耳に入れてしまった。
「あんたはよう、気に入られてますな」
自分を嫌っている領主だとわかったので、ディーアはその声から離れた場所に身を隠した。
「そんなことはありませんよ」
答えた柔和な声は件の彼のもので、ディーアは少し意外に思ったものだ。何しろレッドノウズレッドは最初他の街から嫌われていた。それがもう大陸をガルセラが一つにまとめてしまったのだから、きっと親近感でももたれたのだろうと思った。
「あの領主殿はやさしくしていれば優遇してくれるんです。貴方たちは敵意を表に出し過ぎです。もっと利用しないと。利口じゃないですよ」
でも次の言葉にディーアは地面が崩れたような感覚に陥った。
「力は強い。けれど心は子どものように、愚かだ。やさしくすれば懐いてくれる。優遇してくれる。そういうやり方もあるんですよ」
それがあまりにもいつもと同じやさしい調子で言うものだから、余計にディーアは哀しくなった。
けれど、彼がやさしくしてくれたことは本当に嬉しかったのだ。それがこんなところでいらぬことを知ってしまうとは思っていなかった。
「感情と政治とは別です。嫌っていても、表面は穏やかにすれば騙されてくれる」
どんな顔をしているのだろう。ディーアに向けてくれる笑顔で話しているのだろうか。
ディーアは胸が苦しくなって、その場を離れた。
少し前までの満ち足りた気分はもうどこにもない。
哀しくて、苦しくて、けれど涙なんて流してやるものかと熱くなる目頭を擦る。騙されたのは自分だと言い聞かせた。だから最期まで騙された振りをしてやろう。
彼はディーアと別れる最期まで、いや別れた後もずっと知らないままで居るのだ。
それが彼に対するディーアのささやかな復讐だ。
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