19: 絶望は臆病者に勇気を与える
領主となったディーアは仕事を覚えるよりもまず文字を覚える方が先だった。言葉も覚束ない時がある。意味を吐き違えて覚えて混乱させられることもある。
だけど、その姿は他の人たちには見せられなかった。見せたら街の皆はただでさえ余所者ということに不審を抱かれているのに、更に落胆されてしまう。それはヴィオラッサの願うところではなかった。それにこの情けない姿を他に見せたら、付け入られる隙を自ら与えてしまうようなものだ。見せてはいけない。特に他街の者には絶対に。
ヴィオラッサは突如振られた役職に不満がないわけではなかったが、それはそれとして街のことを考えていた。ガルセラで生まれ育ったヴィオラッサはこの街を愛していたし、交易都市で馳せた街を誇りに思ってきた。腐敗で街に潤いが遠ざかっているとしても、ヴィオラッサにはガルセラが好きだった。だから領主代理としても彼は頑張ろうと思い、実際努力していた。法外な税を取っていないか逐一官吏に調査をさせた。下働きの者たちにきちんと給金が渡るように制度も改めた。店を構えようとする者には詳細な計画書を提出させて時には金を貸し、時には土地を融通し、時には計画を共に考えた。
だが、ガルセラが潤ってくると別の問題もたちあがってくる。それは大陸情勢下の不安定さだ。
「ヴィオラッサ、どうする?」
ガルセラのあるリークル大陸には多数の街が点在している。その都市ごとに政があり、軍隊を持つ。ガルセラでは領主を頂にして政を行い、また自治警備隊という軍が置かれている。とはいえ軍隊にはほど遠い、ただの警備隊に過ぎない。他の街に比べれば小さいただの警察組織だ。
「ジータはどう思う? 僕は迎え撃つしか仕方がないと思う」
そこで今問題になっているのが、他街から来た書状だ。ガルセラは海に面していることもあり、漁業も盛んだ。交易に頼らずともいきていける力を持っている。けれども交易都市としてはもっと盛んで、他街よりはずっと恵まれている。それは妬まれる要因に相当する。農業が主流だが、作物を他へ輸出することでやっと日々をつないでいる街もある。ガルセラにはガルセラなりの悩みがあるが、そういう都市からすればどうしても羨ましく思えるらしい。
「私もやむなしだと思っている。これは協力というよりは脅しだ」
メイトルノーズという街がある。ガルセラの東にあって、農業を主な糧としている街だ。そこから先般書状が届いた。買取の値が安すぎる、もっと高値で取引しろ、というのが向こうの言い分だ。だが彼の街の農作物はガルセラにしては高値で扱っている。珍しい品ではないし、出来もよくない。街の実情を慮って少し上乗せしている。これ以上の値上げは無理だ。
メイトルノーズから届いた書状には武力に訴えることも考えると記してある。そこまでするかというのがガルセラの意見だが、メイトルノーズのことを考えればないと言えなくもない。
「他の街にももっと値を上げろと要求しているようだ。周辺の街からメイトルノーズを窺う書状を貰った」
けれど、それとこれとは別である。ヴィオラッサがハジータムナクに書状を渡すと、彼は眉間に皺を寄せた。メイトルノーズは土地が肥沃ではないが、広い領土を持っている。治安部隊も常駐しており、周辺の小さな街や村はメイトルノーズの武力に敵わない。そのため強気な態度を取ると聞いたこともある。
「あの街は領主が血の気の多い人物なんだ。しかも世襲制で代々そういう性格の領主が多い。一度レッドノウズレッドとも揉めている」
「レッドノウズレッドも農業の街だな」
「ああ、だけどあっちは紅茶を主格にしているからな。品もいいし、あの街の特産だ。メイトルノーズはそれが欲しいんだろうが……力でもってか」
さしたる特色もないから他の街が輝いてみえる。ヴィオラッサにだってその理由は理解できなくもない。だが、それがガルセラにまで波及するのは困る。それにレッドノウズレッドもガルセラにとっては大切な交易相手だ。
「……なあ、ジータ」
「はい」
「前から考えていたことがあるんだ」
ヴィオラッサがハジータムナクに視線を向けた。彼はその視線を真正面から受け、言葉を待った。
「メイトルノーズだけじゃなくて、他の街からみてもガルセラは裕福だと思う。だけどそれを守る力が足りない。本気で来られたら、ガルセラは弱いよ。商人の街だからね、腕に覚えのある者はたくさん居るけれど所詮烏合の集だ。僕はガルセラを誰にも奪われたくない。それには戦うことが必要だと思う」
領主代理になって考えていたことだった。ガルセラを、ひいてはこの大陸で緊張を強いられずに過ごすことが出来ないだろうかと。
「それは戦う力が今、あると考えての意見か。貴方に指揮が取れても、軍として機能するには時間が掛かりすぎる」
「うん。わかっているよ。だけどな、僕がこの街を好きなようにディーアも好いてくれているんだ。どうしようもない奴だけど、あいつに根をはらせてやりたい」
「根?」
意味がわからないと眉を顰めるハジータムナクにヴィオラッサは首肯する。
「ディーアに生い立ちを聞いた。というか、聞き出したというのが正しいけど。恵まれた生活を送ってきたわけじゃないのは、ジータにもわかるだろう」
読み書きの出来ない大きな子ども。慣れない人と話した後は青ざめた顔をして、全身から汗を噴出している。その姿を見る度にヴィオラッサは目を背けたくなる。領主館の官吏にはだいぶ慣れてきた。街の者にも逃げなくなった。だけど、夜中にうなされていることがあると聞いた。もしもこの街がなくなってしまったらディーアはどうするだろうか。ガルセラの領主ということで此処を住処と思ってくれているのに、それがなくなれば彼はどうするだろう。
「僕は多分あいつが可哀想なんだ。それは同情かもしれない。でも、ガルセラを好きだと言ってくれたディーアが嬉しかったよ。だからガルセラを、そして大陸全土に戦うことのない制度を敷きたいと思っている」
言い終えて、ヴィオラッサはハジータムナクの反応を窺った。まだ誰にも話していなかった彼の胸にある想いだ。突拍子もないと思うかもしれない。だけどヴィオラッサも勝算がなければこんなことは口にしない。ハジータムナクは暫く無言だった。いつもの如く仏頂面で、それは一見怒りを表しているようにも見える。
「ハジータムナク、どう思う?」
恐る恐るヴィオラッサが訊ねると、ハジータムナクは目を伏せて息を吐いた。
「私の短刀を折ったあの力、それを使うつもりですか」
「うん」
「ヴィオラッサはあいつをだしにガルセラを守りたいだけだ」
「……本音を言えば、そうだ。だけどディーアへのことも嘘じゃないし、他の街と友好的に過ごせたらとずっと思っていた」
「それなのに戦いはあいつ頼みか」
「ジータにも期待してる。でも、それが一番被害は少ない。ディーアのあの力は戦わずして平和を手にすることも出来るものだよ」
「或いは異端と罵られ、再び日の目を浴びられなくなるか」
「残念だけどそれはない」
「何故」
「僕もあの力が使えるからだ」
ヴィオラッサの方が驚くくらいにハジータムナクは目を見開いた。それもそのはずだ、少し前までヴィオラッサは自分が使えるとも思っていなかったのだ。ハジータムナクもそうだろう。
「簡単な仕組みというかな、使えるのはディーアだけじゃないことはわかった」
「だが、あれをどういう力か説明出来ないと意味がない」
「それは僕がやる。使える者と使えない者がいるのも事実だし、実際制御できるまで時間を要するだろう。だが、未知の力に人は畏怖を覚えるものだ。それをうまく利用すれば短期間で、最小限のリスクでやれると判断した」
領主代理になって、ヴィオラッサはディーアに力の秘密を聞いた。それはヴィオラッサにも使えると彼が言ったからだ。そして実際にヴィオラッサは制御とはいかないまでもどういうものかを掴みかけていた。
「まあ、ものになるまではディーア頼みになってしまうが……。それにジータもいる。あの力が使えなくても普通に剣や槍で戦える者も必要だ」
「ヴィオラッサの頼みなら私の力はいくらでも貸す。しかし正体のわからない力を皆が信じるのか」
「だから、僕が証明するんだよ。それが領主代理の、僕の仕事だ」
過日、ガルセラはメイトルノーズに対して宣戦布告を出す。メイトルノーズが優勢と思われた戦いはしかしほんの一日、数時間で終結を迎えることとなる。
ガルセラ側からメイトルノーズの軍勢に対して行われた攻撃は、何らかの力による歩くことすら適わない強風が一つ。また強風により無人になった宿営地に半径一キロメートルの地面が陥没する砲撃らしきものが一つ。以上。軽傷者は多数出たものの、奇跡的に死者はなかった。
ちなみにこの時のガルセラの軍勢は領主ディーアと領主代理ヴィオラッサ、それと腹心の部下が三名のみである。
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