18: 青年は未来を夢み、老人は過去を夢みる

「元居た場所に置いてきなさい」

 領主館へ戻ってきたディーアを見るなり、ヴィオラッサが眉を寄せた。齢三十にもなった男に掛ける言葉ではない。だがディーアに繋がった手の先を知れば、そう言いたくもなるはずだ。彼は幼い子どもを連れていたのだ。


「男の子か、可愛い顔してるから女の子かと思った。名前は何ていうの?」

「それが訊いても答えないんだ」

「そもそも何処から攫って来た」

「人聞きの悪い。気付いたら後ろをついてきていたんだ。放って置けなくてさ」

「自分で世話するなら置いてもいいけど、途中で放り出すなよ」

「ヴィー、言いたいことはわかるけど、ペットじゃないんだからさ」

「キルキトも世話を手伝ってやれ。こいつだけじゃ心配だ」

「あ、師匠、何気に押し付けましたね。まあ、いいですけどね。弟妹の世話を伊達にしていたわけじゃないです。子どもは好きだし」

「キト、頼りになるなあ。ともかくは名前だよ。ねえ、名前は?」

「………」

「もしかして喋れないのか?」

「んー、そうじゃないみたい。じゃあ、文字は書ける?」

「………」

「思い切り首振られちゃった……。えーっと、じゃあ、もしかして名前、ないとか? なんてね」

「おい、当たりのようだぞ」

「嘘!」

「キト、すげー。でも名前ないと不便だよね」

「それ以前に家族は? 親が心配してるんじゃないのか」

「………」

「……まあ、その、なんだ、好きなだけ此処に居ていいよ」

「ありがとう、ヴィー」

「名前はお前がつけろよ、ディーア。見つけてきたのはお前なんだから」

「そうだな。うーん、んーと……」

「『カーリス』なんてどうですか」

「剣の女神の名か。勇ましくて強い名前だな」

「えー、女神の名前じゃ駄目だよ。男の子だよ!」

「では何であればいいのだ」

「そうだなあ、『リャン』なんてどう?」

「意味は?」

「俺の村では光をリャンと言ってたんだ。詳しくはよく知らないんだけど、眩しいって意味だと思う」

「へえ。どうするかい、少年」

「………」

「そっか。じゃあ、君は今からリャンだ」


 昔はそんなこともあったな、とディーアはぼんやり思った。もうあまり体が動かない。ベッドの中から見える空は何故か無機質な色に見えた。

「父さん、今日は調子がよさそうだね」

「リャン」

 十五年も昔に拾った子どもはとても素直に真っ直ぐに育った。それはディーアだけでなく、ヴィオラッサやハジータムナク、キルキト、それに領主館の皆の手があってのことだろう。リャンは名前をもらってから少しずつ言葉を話すようになった。そして見よう見まねで武術を覚え、魔法を勉強し、様々なことを学んだ。

「ジータが心配していたよ」

「キトが言ったのか」

「うん。寝てばっかの役立たずって言ってたらしいよ」

「ジータらしい」

 ヴィオラッサも心配しているのだろう。此処数ヶ月調子が優れない。急に力が抜けてしまったようだ。神々の心配する顔も見える。自分の状況はもどかしいばかりなのに、ディーアは嬉しくて仕方がなかった。

「そうだ、リャン」

「ん?」

 ディーアが首飾りを外してリャンに手渡した。それはディーアが初めて買ったものだった。なれない街で道に迷っていた彼に声を掛けた露天商。食糧以外で初めて、彼が欲しいと思ったもの。

「やる」

「え、いいの?」

 露天商はきっとお世辞で似合うと言った。だけどキラキラと輝く石に惹かれた。眩しくて、目を眇めたいと思った。そして今、とてもリャンにあげたいと思った。

「リャンのが似合う。大事にしろ、俺をずっと守ってくれた石だ」

 まだ独りだった時、ヴィオラッサと出会った時、ハジータムナクと対峙した時、キルキトと笑い会った時、誓い合った時、傷を負った時、大陸を統一した時、ずっと一番近くにいた。当時のディーアはきっと首飾りの眩しさに明るい未来を望んだのだ。だけどもう必要はない。

「ありがとう」

 もっともっと眩しいものに出逢えたんだ。


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