13: 規則は破られるためにある

 ガルセラの街を縦横無尽に走り回る彼の姿をその日、誰もが見た。

 常は冷淡で愛想もなく、血が通っているのかと思われている彼が息を切らして走り回っている。その光景は珍妙で、誰もが驚きを感じずにはいられなかった。


 彼――ハジータムナクは北西にある山麓の街の出身である。弟子のキルキトを伴ってガルセラへやってきたのが二年ほど前のことだった。鍛冶職人として世間での名はまだ広まっておらず、越してきた当初は仕事一つ得るにも苦労をした。しかし武器商人としても目利きであった為、店を構えることで何とかやりくりしていた。今でこそ鍛冶師として有名になったハジータムナクだが、そこにはヴィオラッサの助力があったのだ。

 店を構えても客はすぐにやってくる訳でもない。武器屋は他にもあるし、何よりハジータムナクの愛想は一欠けらもなかった。店の場所を提供したヴィオラッサも様子を見に来て呆れる様だった。客商売とは愛想がないと出来やしない。それ故にヴィオラッサはちょっとしたパフォーマンスを披露してはどうかと助言をしたのだ。宣伝をしないと客は来ない。幸いなことにハジータムナクは武具を扱うことに長けていた。それを活かして、店の名を広めるに至ったのだ。そしてそれにより彼の武術の腕も知られることとなり、実は武人としての仕事をして欲しいとの依頼もあったらしい。そちらは断りはしたものの、面白半分に店へ足を運んだ旅人や街の武人がその品の良さに惚れ、店の営業は事なきを得たのだ。

 しかし、その彼には未だ愛想はない。どころか周囲の目も気にせず慌てているところはそうそう見られる光景ではない。彼に何が起きたのか、それは数時間前のことだった。


 領主館を訪れたハジータムナクはヴィオラッサにお願いをされた。

「実はディーアの護衛をお願いしたいんだ」

「護衛?」

 新しい領主となったディーアの力をハジータムナクは知っていた。自分には使えない不思議な術を使う男だ。ディーアを手放しに褒めることはしなかったが、強いことは認めていた。護衛と言って誰かを置いてもおそらく彼自身が一番強いだろうことも予想がついた。

「僕がやってもいいんだけどね。領主代理が護衛をするなんて、と反対されちゃったんだ」

 ヴィオラッサは武器を使えない。けれど武術の腕はハジータムナクにも匹敵する。

「……それを、貴方が望むのなら聞きましょう」

「うん。ジータに頼みたい」

「はい」

 ヴィオラッサには恩がある。それに何より彼という人柄にハジータムナクは心酔していた。正直ディーアとは仲良くなれる気が全くせず、そうなるつもりもなかったがそれがヴィオラッサからの頼みであれば別である。

「それであの男は?」

「……一番頼みたいのは実はそれなんだ」

 申し訳なさそうに眉尻を下げたヴィオラッサにハジータムナクは目を瞬いた。

「領主館へ居るようにいつも言って聞かせてるんだけど、目を放した隙に何処かへ消えてしまうんだ。捜しに行きたくても暫く僕は領主館から出られそうにない」

 言いながらも彼は書類を片付けていくのだが、確かにすぐに終わる量ではなかった。

「夜になったらちゃんと帰ってくるから変なことはしてないと思うんだけどね。でも怪我をして帰ってくることもあるから気になるんだ。ただでさえガルセラは領主が交代したばかりで、他の街に狙われやすい時期だからさ。だからハジータムナク、ディーアを頼めるかな。見つけたら領主館に連れてきてくれないか」

 溜息を吐くヴィオラッサに、ハジータムナクはゆっくり頷いた。

「頼まれた」

 そして領主館を後にしたハジータムナクは街の中を巡る羽目になったのだ。

 人に訊ねて行くことで情報も得ようとしたが、しかし不思議なことにほとんどの住人がディーアのことを見ていないと答えた。その為、何度も何度も街の中を捜しまわり、ついには走り回ることになったのである。

 散々息を切らして街中を駆け回り、ふとディーアは街の中にはいないのではないかとハジータムナクは思った。街を囲む壁の外をまさかと思い見て回る。すると海が望める高台に立っている人物を見つけた。それは紛れもなくヴィオラッサを心配させ、ハジータムナクが捜していた男であった。何をしているのかと眺めていると、ヴィオラッサは誰かと話をしているようだった。しかし彼の周囲には誰も居ない。どころか虫一匹見当たらない。独り言かと思うが、それにしては様子が可笑しい。

「おい」

 訝りながらハジータムナクが声を掛けると、ディーアの肩が大きく揺れた。

「な、なんだ、……ジータか」

「ハジータムナクだ。お前一人か? 誰かと話をしていたようだが?」

「ああ、うん。それよりどうしたの。ジータの方から来るなんて珍しい」

「ハジータムナクだと言ってる」

 露骨に顔を顰め、ハジータムナクは遠慮なくディーアの頭を叩く。とりあえず街中を走りまわされた礼はしないといけない。

「ヴィオラッサに頼まれた。勝手に領主館から出るなと注意を受けているはずだが、どうしてこんな場所に居る」

「ん。だって俺は一人で居た方がいいでしょ? 何も出来ないのに邪魔じゃないか。それにさ、海って見たことなくて」

 どうしてそういう思考になるのかがわからない。ふざけているのかと思ったが、そういう訳でもないらしい。

「確かに邪魔だ」

 はっきり言ってやるとディーアは唇を引き絞る。

「邪魔だが貴様は領主だろう。領主なら自ら規則を破るような真似をするな」

「規則?」

「勝手に消えられる方が迷惑だ。しかもガルセラが狙われていることを知らないだろう。貴様がもし死ぬとまた領主が代わることになる。それはガルセラにとって大変な迷惑でしかない」

 領主の交代がどんなに大変なことかはハジータムナクも知らない。だが、ディーアが死んだらヴィオラッサが哀しむことだけはわかった。だからこの男を不本意ながら生かさなければならない。それがヴィオラッサに頼まれたハジータムナクの仕事なのだ。

「……そっか。大変なことなんだ」

「わかったなら、さっさと戻るぞ。ヴィオラッサが待ちくたびれている」

「戻る? 待ってる? ヴィーが?」

 何を驚くことがあるのか、ディーアが心底不思議そうな顔をする。どうしてそこで疑問に思うかがハジータムナクには理解不能であった。

「そうだ。さっさと行くぞ」

「……うん!」

 当たり前に答えたのにディーアは何故か嬉しそうに笑顔をつくる。つくづくハジータムナクには理解が及ばない。

 踵を返したハジータムナクにディーアが慌てて横に並んだ。仏頂面のハジータムナクに対して、ディーアは鼻歌でも歌いだしそうな表情である。

「な、な、ジータ?」

「ハジータムナクだ」

 意地のように名前を訂正するハジータムナクを気にした風もなく、彼は無邪気に問いかける。

「また俺が居なくなった時は捜しに来てくれるか?」

 よい答を期待したディーアの表情に無性に腹が立った。力の限り、その頭に拳を落としてやると物凄い顔で頭をさすっている。その顔が可笑しくて、少しだけ口の端を歪ませる。すぐに元の仏頂面に戻したが、どうしてかディーアは痛さに顔を顰めながらも笑っていた。


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