11: 意思あるところに道は開ける

 つい一月前のことだ。

 キルキトの住む街、ガルセラの領主が交代した。その実態は交代などという穏やかなものではない。余所者の男が無理矢理に前領主を力でねじ伏せたのだ。けれど街の皆は男に感謝した。少なくとも公務を全て投げ打っていた前領主よりはマシだからだ。それが余所者であっても、ガルセラの誰かを名代に立てればよいことであった。そして実際、そうなった。

 キルキトが領主のことを知ったのは領主が交代した翌日のことだ。すぐに街中に広まったその出来事には何故か知り合いの名前もあり、とても驚いた。しかもそれを聞いた彼の師は夜になるとすぐさま事情を伺いに知り合いの許へ行ったのだ。街を憂えていた人だと知っていたが何の前触れもなくそのようなことを実行する人ではないのだ。それは彼の師も分かっていた。


 新しい領主に会う機会はすぐに訪れた。

「何か御用ですか」

 初めて訪れたお客にキルキトはにこやかに笑いかけた。店主である彼の師は無愛想で客商売には到底向かない。それ故、いつも店の番はキルキトの仕事であった。

 返事のない旅装の客にキルキトはもう一度言葉を繰り返した。店内を落ち着かない様子でうろついている。

「あ、……俺? 俺に言ってるの?」

 すると弾かれたように顔を上げた。同じほどの年齢の客にキルキトは微笑む。

「はい。どういった御用でしょうか。お伺いしますよ」

「……あ、のさ、人を待ってるんだ。ごめん、客じゃなくて」

 たどたどしく言葉を綴る客にキルキトはふるふると頭を振る。冷やかしよりは全然マシだ。

「いいえ。では暫しボクの話相手になってはくれませんか。年も同じくらいですよね」

 正午も過ぎて少々眠気に襲われかけていたキルキトは誰かと話して眠気を飛ばしたかった。同年代なら軽口も叩けるかと思ったのだ。けれど客の男は挙動不審に目を泳がせる。

「あ、その、俺、この街の人間じゃないよ?」

「見ればわかるよ。ただ話相手が欲しいんだ」

「俺なんかでいいの? だって、俺みたいなつまんない奴……」

 尻すぼみになる言葉にキルキトは目を瞬かせた。数は少ないけれど旅人に会ったことはある。しかし彼のような卑屈な人間ははじめてであった。不思議に思った。

「変な人だね。他の街から来た人って結構自信家が多いんだけどな」

「へ、変かな、俺?」

「いい意味でね。ねえ、何処から来たの?」

 キルキトはカウンターから身を乗り出して、男に笑いかけた。

 男の名はディーアといった。キルキト自身も他街の出身だが、ディーアの故郷という村は聞いたことがなかった。小さな村で本当に何もないところだと言ったディーアはそれ以上故郷について語ろうとはしなかった。その代わり、キルキトの話を聞きたがって請われるままに故郷や仕事の話をした。鍛冶師の師匠と共にガルセラに来たのが数年前で、それから店を開くまでもひと悶着あったこと。この場所を融通してくれた人に今もお世話になっていること。鍛冶師としての師匠の腕と評判のこと。キルキトにとってはそれが大きな自慢だということ。そしてこれからの展望のこと。キルキトはディーアが彼の話に一喜一憂してくれるのが楽しかった。なんだか幼い子どもを相手にしているようで、奇妙にも思ったが反応があるのはとても嬉しい。

 そして小一時間ほど経った頃、キルキトは気付いた。

「そういえば、待ち人はまだ来ないね。時間が随分過ぎているんじゃないか」

 太陽が大きく傾き始めている。だがディーアはゆるゆると首を横に振った。

「時間は遅くなるかもと聞いているからいいんだ。それにキトにも会えてよかった」

 彼がキルキトをキトと呼んだ。親しみの込められたその呼称に彼は微笑む。

「こちらこそ。仕事柄あまり同年代とは接点がないんだ。嬉しいよ。そうだ、どうせだから何か買っていかない? 師匠の作品は店には置いてないけど、よい品を置いてるつもりだよ。旅をするには必需品でしょ」

 旅人に武器は必須だ。それは武器としてではなくても、獲物を狩る物として必要になる。見たところディーアは短剣を一本腰に差しているだけのようだった。

「ごめん、あんまりお金ないんだ。それに武器はそんなに必要じゃないから」

「そんなもん? まあ、いいや。必要な時には言ってよ。安くするよ」

「うん、ありがとう」

 はにかんだディーアの笑みにキルキトも応じた。そこに、店のベルが音を鳴らした。

 入り口に顔を向けたキルキトは、そこに見知った顔を見た。キルキトの師であるハジータムナクと、店を提供してくれたヴィオラッサであった。

「キルキト、奥にいる」

「あ、はーい。お茶出します?」

 店の奥に通じる扉に手を掛けたハジータムナクは背後のヴィオラッサを見て頷いた。ディーアにちょっと待っていてくれと言おうとしたキルキトは師匠が彼をじっと見つめていることに気がついた。ディーアは何故か眉根を寄せている。

「あ、こっちのお客さんは……」

「遊び呆けていいものだな」

 ディーアを紹介しようとしたキルキトの言葉を遮って、ハジータムナクは彼を睨んだ。

「待っていろと言ったのはジータだろ」

「言ったけどね。どうせなら領主館にでも居て仕事の一つや二つ覚えて欲しかったな」

 ディーアに返したのはヴィオラッサだ。キルキトは両方の顔を見比べた。しかもディーアは口調さえも変わっている。

「え? なに? 知り合い?」

「ヴィオラッサに迷惑をかけるな。それに私の名前はハジータムナクだ。何度言えば覚える」

「名前を覚えるのは苦手なんだ」

「はいはい、二人とも黙って。ディーアはこっち。待たせたのは悪かったけど、俺はお前の代わりに領主の仕事やってたんだから少しは感謝をしてくれ」

 ヴィオラッサの言葉にキルキトは目を丸くする。

「領主!」

 驚き叫んでディーアを見ると、かりかりと頭を掻いていた。余所者が領主を倒したと聞いたが、まさかディーアだとは思いもしなかった。武器も持たないでどうやって倒したんだ。

「キト、ごめん。それは今度ちゃんと話すよ」

「ま、まあ、いいけど」

「ディーア!」

 急かされてディーアは店の奥に入ってしまった。キルキトは一人途方に暮れた。驚いたのは事実だ。しかもあれで強いなんて思わなかった。外套で隠れていたけれど、腕も年頃の男にしては細くてひ弱に見えた。あれが、新しい領主だとは彼は夢にも思っていなかった。

 

 それからディーアは時折現れた。

 ふらりとやってきては他愛のない会話を楽しむようになった。また時々、彼はひどく幼い子どものようだった。珍しくもない食べ物に感激したり、誰もが知っているような花の名前を知らなかったり、簡単な単語すら読めなかったり――。

 その理由を知ったのはガルセラの街が大陸の統治に身を乗り出した頃だった。何故、そんなことになったのかはよく知らなかった。ただそこにはディーアの身の上と、彼の持つ不思議な力が関係するようだった。このご時世、他街からの侵略はおかしいことではなかった。食糧の問題、権力の拡大、理由は様々だ。領主が交代したばかりのガルセラはその中で餌食にされやすいことも理由にあったのかもしれない。交易都市としてそれなりに大成しているが、けして軍隊などを持っているわけではない。欲しいという者もいるかもしれなかった。それを退ける為の先手なのだろうとキルキトは思った。

「そうではない」

 けれど師匠に言うと、彼は即座に否定した。

「それもなくはないが、ヴィオラッサが言ったんだ。あの男の力を使えば最小限で大陸を統治出来るかもしれないと。だから手伝うことにした」

「ディーアの力ってなんですか。それに、かもしれないなんて理由で大陸統治ですか。おっきくでましたね、ヴィオラッサさんも」

 師匠が冗談を言うような性格ではないことを理解していたが、キルキトは話半分という感じだった。

「私には使えん力だ。目の前で見ないと口では説明しにくい。それに統治は争いを大きくせんが為のことだ。いづれ起こるかもしれない大陸の戦渦を起こさぬ為だ。領主館の者たちも、納得している。他に聞きたいことは?」

「えー、っと……師匠はその力を見たんですか」

「見たというか、使われた。私の短刀を折りやがった」

「ええ!」

 キルキトは本気で驚いた。武器は短剣しか持っていなかったのに、師匠の短刀を折るなんてどういう手品なのか。皆目見当がつかない。けれどそれはどうでもいい、とハジータムナクは言い捨て苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……あの男は常識がない」

 顔を顰める師匠の意図が掴めず、キルキトは首を傾げた。

「私とてそう知らぬが、親のぬくもりを知らぬ男のようだ。だから常識がない。人との接触にも慣れていない。だから無闇に虚勢を張る。馬鹿だ」

 ハジータムナクは幼い頃に二親を亡くしている。けれど彼の言い分ではディーアはそれよりも悪い状況にいたと言っているようだ。キルキトは言葉の続きを待った。

「ヴィオラッサに甘えるのも気に食わない。だが、ヴィオラッサはあいつだけの為でなく、街の為に策を立てた。だから私は心底不愉快だが手を貸してやることにした。キルキトはどうする?」

「……あの、ディーアの事情がよくわからないんですが」

 ハジータムナクにはディーアよりもヴィオラッサの方が大事だ。だがキルキトにはディーアも大事だ。事情がわからない。彼には一体何があるのか。どうすると聞かれても答えようがない。

「あの男は、……持っている力によって故郷で虐げられていた」

 眉根を寄せるのは想像してしまったからなのだろうか、キルキトは師匠の表情を見守った。

「私も間接的にしか聞いていない。だが生まれてから村を脱走するまでずっと格子の嵌った部屋の中で過ごしてきて、食事は最低限、部屋から出ても石を投げられ、暴力を振るわれ、実の姉にさえ殺されかけた」

 キルキトは瞠目した。ディーアが故郷のことを語りたがらないわけである。とてもよくその理由がわかった。そして哀しくなった。

「師匠はディーアの為に手を貸すんですね」

「馬鹿な。私はヴィオラッサが街に平穏な生活を保障する為と言ったからだ」

 溜息を吐くハジータムナクの表情はそれが真実だと言っていた。伊達に付き合いが長いわけではない。キルキトは本心からそう言っているのがわかった。

「それで、どうする? お前はこのまま武器商でも鍛冶師でも好きに選べる」

 キルキトは数拍考えて、すぐに腹を決めた。早計だと誰かは言うかもしれない。でも、ハジータムナクがヴィオラッサの為の剣になるというのなら、キルキトは――。

「微力ながら、ボクもお手伝いします。これでもガルセラで一番と名高い武人の弟子ですから、お役には立てるでしょう」

 微笑を浮かべたキルキトに、師匠は僅かに目許を和らげた。

 

 詳しい事情なんて知らない。平穏の為というのもわかる。でも、一人くらいディーアのことを想っていてもいいはずだ。嬉しそうにキルキトの話を聞いていたディーア。彼は居場所を此処に定めたのだ。だったら、その居場所を守る為にとキルキトは決意をした。

 

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