06: 悪魔の噂をすれば悪魔がやってくる

 執務室に戻ると、ディーアがペンを片手に舟を漕いでいた。

 時には自分で仕事をするという彼の意を受けて任せていたのだが、途中で力尽きたようだ。ヴィオラッサは扉を開けた状態のまま、部屋の中に足を踏み入れた。くうくうと寝息を立てるディーアに微笑を落とし、自身も傍のソファに腰を沈める。部下からもらった書類に目を通しながら、時々修正を加えていく。紙を捲る音と、時折ペンの走る音だけが響いていく。

「……ヴィオラッサ」

 扉をトンと叩いてハジータムナクが部屋に顔を覗かせた。ヴィオラッサはディーアを示し、それから口許にそっと指を当てた。一瞥してハジータムナクは足音を忍ばせてヴィオラッサの傍に近寄る。

「ホールドセントの処理が終わりました」

「うん。あれより北に大きな街はないから、暫くは静かだろう」

 ヴィオラッサは再び手元の書類に目を落とすと処理を進め始めた。ハジータムナクはそのまま無言でヴィオラッサの横に並んだ。

 開け放たれた扉からは潮の香りを孕んだ風が入ってくる。晴れ晴れとした青い空は気持ちがよく、ヴィオラッサもハジータムナクも自然顔を綻ばせていた。

「…・・・いい天気ですね」

「ああ。こういう気持ちのいい日が続いてくれればいいな」

「はい」

 戦だなんだと慌しい日々を送っていたが、本当は今日のような穏やかな日を送ることが目的なのだ。そういう意味で理想の日であった。

「そういえば、ディーアの勉強具合はどうだ?」

「少しはマシになったかと。読み書きは一応出来るようになってますが、人への接触が極端です」

「極端?」

 読み書きから日常のことから今まで普通に出来ていなかった彼にはそれらを勉強してもらっていたのだ。初めはヴィオラッサが教えていたのだが、時間がなくなりそれならば常に傍にいるハジータムナクにお願いしたのだ。あからさまに嫌な顔をしたが、ハジータムナクは意外に面倒見がよく、仮にも師匠の立場であるため教えることはそれなりに得意であった。

「魔法の才があるものには初対面でも親しげに話す。しかしそれ以外の一般人、特に子ども、女を特に避けている。あれはどうにかならぬものか」

 ディーアはかつて姉であるディクテから逃げてきた過去がある。その姉とはヴィオラッサも一度相対したことがあるが、強烈であった。自己主張が強く、ディーアを自分の持ち物と言って憚らない。

「原因は察するが、あの女以外は一般人だというのに」

「まあね。確かに気持ちはわからなくない。僕だってあの姉を考えれば拒否反応も出るというものだ」

 だが事情はどうあれ、仮にも領主がそんなことでは困る。

「あの姉をなんとか排除できればこいつの挙動不審なところも少しは何とかなると思う」

「何とかするって言ってもねえ。どうすれば大人しくなるか」

 想像だけで暴れまわっていく彼女をどうにかする自信はまったくない。思わずハジータムナクと顔を見合わせてしまった。互いに渋い顔をしながらも、どうにか知恵を絞る。

「どこかに閉じ込めるとか、ですか」

「閉じ込めるって何処に? どうやってだ?」

 それはヴィオラッサも考えていた。しかし一般人であるあの姉に無闇な嫌疑を書けることは出来ない。容易に遠ざける術があればよいのだが。

「……別の興味を持たせられればいいんじゃないだろうか」

「別の? ………そうか、別のなにかか」

「贅沢できる相手を見繕うとか」

「ああ……」

 それはよい餌となりそうだが、見合う相手がいるかどうかだ。そんな簡単に見つかればこんな苦労はしないのだ。

「そんなの無駄だよ」

「あ」

 いつの間にかディーアが眠りから覚めていた。目を擦りながらヴィオラッサとハジータムナクに顔を向ける。

「起きたのか」

「んー、話し声で目が覚めた。……あのさ、さっきジータが言った、閉じ込めるっていうの。あれなら多分出来るよ。名目は考えてもらわなきゃいけないけど、俺を餌にすればディクテは来るよ」

 まだ眠そうにしながら、ディーアがぼそぼそと呟く。いつもなら姉の話題が出ただけで逃げ出そうとするが、その姉をどうにかする話だからか何とか踏ん張っているのがわかる。

「だとしても、何処に閉じ込めるつもりだ?」

「街だよ。街に閉じ込めるんだ。ディクテにはそれが一番いいと思う」

「何故、街なんだ?」

 監獄などに無闇に放り込むことはそれは難しいが、だとしても一つの街にずっと留まらせる方がきっと難しい。ヴィオラッサはそう考えたのだが、ディーアは違うらしい。

「ディクテは自分が女王でいられる場所があればいいんだ。気持ちよく持ち上げて、表面上従ってくれる人がいればいい」

「だがそれだけじゃ、駄目だろ」

 ディーアがそれで満足するとしても、その街が駄目になってしまう。それはいけないことだ。しかも大陸中を統一しようとしている者が、私怨で街を殺すなどあってはならない。それでは意味がないのである。

 ヴィオラッサたちがやろうとしていることは、大陸統一であるが言葉の意味それだけではない。ギスギスした大陸の関係を和らげようとするものである。であれば、一つの街だけを見捨てる真似はしてはならない。

「だから表面上は! そうじゃなくて、操縦してくれる人が誰か居ればいいんだ」

「操縦? 出来るものか、お前は自分の姉をよく知っているのだろう」

 じと目でジータが主を睨みつける。だがディーアも怯まない。

「知ってるよ。だから言うんだ。ディクテは性格は結構簡単に出来ているんだ。あの、横暴な態度が目に付いてわかりにくいだけで、ああいう人種をよく知っている人なら多分操縦が可能のはずだ」

「……なるほど。確かに気持ちよく持ち上げてやればいいのなら、出来るかもしれないなあ」

 ディーアの意をヴィオラッサは理解した。だがハジータムナクはまだ不可解な顔をしている。

「ジータ、気持ちよく持ち上げて、それで皆にとっていいことをさせるんだよ。そうすれば街も潤う。ディクテも気分がいい。それに皆も彼女を自然と持ち上げて、更にいいことをさせる。それなら悪くない」

「……ああ!」

 ハジータムナクも得心がいったようで、珍しく手を打つ動作までした。だがヴィオラッサもそんなことが出来るかもしれないとは思いつかなかった。それを考えるとさすがは腐っても姉弟というところであろう。

「問題はさ、ディクテを扱える相手がいるかどうかだ。適任者は誰かいる?」

 どうしたものかと悩んだ顔を見せる領主に、部下二人は顔を見合わせた。

 色々な人種を相手にする者ならば先日陥落させた街にいる。その街の奴らは強欲で、権勢欲も強い。私服を肥やすことにも余念がなく、けれど隠れ蓑を欲しがる奴らが多い。つまりはうってつけの奴らが、そこにはたくさんいる。

「ハジータムナク」

「はい」

 小気味よく返事をして、ハジータムナクがヴィオラッサに向き直る。

「若くて見目がよくて、それでいて物腰低い男。それでいてきちんと物を言える者。だけどけして一番を好む奴は入れるなよ。二番目で甘い汁を吸いたがる奴がいい。早急にリストを作ってくれ」

「はい」

 ニヤリと口の端を歪ませると、ハジータムナクは颯爽と踵を返す。未だ状況を理解できていないディーアに、ヴィオラッサは説明をする。

「ホールドセントの街は商人の街だと言っただろう。あの街は欲深い者共が多いからね。そこらか捜せばいい」

「へえ。そういうことか」

「そういうことだ」

 感心した様子のディーアに当然とヴィオラッサは胸を張る。不意にディーアが微笑んだ。

「やっぱり、ヴィーに頼ってよかったなあ」

「何だ突然」

「だって、村に居る時は全然思わなかった。こうやって明るい道が開けるって思わなかったんだ。嬉しいな」

「まだ喜ぶのは早いぞ。計画がうまくいくとは限らないし、それにその前にあの姉がまた来るかもしれないんだからな」

「あはは、だね。油断は出来ないな」

 そう言って笑いあった。


 ――一時間後。

「領主様!」

 嵐が彼らの話に誘われ、訪れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る