03: 正直は最善の方策

 正直に言って許してもらえるとは思えない。それは相手が子どもか、目に入れても痛くない相手の場合だけだ。

 だから今、ディーアは逃げていた。それはもう一目散に領主館から逃げていた。走って、走って、元々少ない体力を使って目いっぱい走った。そして後ろを振り返って誰も居ないことに安堵して、同じように前から走ってきた誰かにぶつかった。

「いてて……」

 打ち付けた額を押さえ、悶絶する。涙の滲んだ目に同じく悶絶しているキルキトを、ディーアは見つけた。

「キト?」

「え? あ、ディーア。そんなに急いで何してるの?」

「そういうキトこと」

「………」

「………」

 互いに浮かぶ冷や汗は同じような状況を示しているらしい。力なく二人は笑った。

「キト、何したの?」

「……師匠の大事にしてる短刀の柄に傷つけちゃった。ディーアは?」

「……ヴィーのお気に入りの花瓶割っちゃった」

 明るく言い放って二人は同時に暗い溜息を吐いた。

 割ってしまった花瓶は許に戻せない。同じ物を買おうにも先立つものはないし、買うにもヴィオラッサに見つかったら終わりである。キルキトもたった一つの短刀をどうにかする術はない。しかも故郷に居た時から大切にしていたものだ。それは他の何物とも変えられようがない。

「花瓶はまだ何とかなるよ。古くなったから代わりのものを買ったって言えばいいじゃない」

「無理だって、買って二週間も経ってないもん。それなら短刀だって柄の部分なら大丈夫だろ」

「それこそ馬鹿言わないでよ。師匠ってものすごく綺麗にとってたんだよ。それも埃もつかないくらいに。ああ、なんで師匠の部屋掃除しちゃったんだろ」

「はぁー……」

 溜息しかもう出てくるものがない。けれどそうしている間にも時間は刻々と過ぎていく。このままではあの二人に見つかってしまうだろう。

「とりあえず逃げよう。見つかったら何をされるか」

「うん。キトは何処に行くつもりだったんだ」

 ディーアが背後を気にしながら訊くと、キルキトは街の外壁を示した。どうやら外に出るつもりだったらしい。

「少しすれば怒りも多少は薄れるかと思ってさ」

「そうだな。今、街の中にいるのは危険かもしれない」

 ディーアもキルキトについて街の外へ逃げることにした。しかし問題は門番に見つかると外に居ることがばれることだった。

「キト、街の外には飛んでいこう」

「は?」

「普通に出たら俺、見つかっちゃうから」

「え?」

「じゃあ、行こう」

 そう言うとディーアはキルキトの手を握った。そしてディーアの言葉の意味が掴めないままキルキトの体は浮き始める。家の二階に届いたかと思うとそれを遥かに飛び越えて高く飛ぶ。キルキトはわけのわからない悲鳴をあげてディーアの腕に縋りついた。

「ちょ、ディーア! これ、こここれ、どういうこと?」

「どういうって、門番に見つかったら追い返されちゃうからさ。それに時には飛ぶのも気分いいでしょ」

 のんびり答えるディーアにキルキトは信じられないものを見たような顔をする。

「気持ちいいとかそういう問題じゃないよ。人はこんなに飛べないよ」

「え? 何言ってんの、キト。だから魔法で飛んでるんじゃないか」

「ま、え? あっ、魔法? これ、魔法なのか」

 少し余裕が出来たのかキルキトは街を見下ろす。全体が見えるくらいまで高く上がってしまったキルキトは魔法というものを今まで体験したことがない。

「魔法だよ。風の力を借りて高く飛んでるんだ。そろそろ降りよう」

 ディーアが言うと今度はゆっくりと降下していった。そして街より少し南の林の入り口に二人は降り立った。降りた拍子に尻餅をついたキルキトはディーアの凄さを今はじめて意識した。

「ディーアって本当に凄い力を持ってたんだ」

「凄くないよ。俺じゃなくて神々の力だ。俺はそれを少し借りてるだけ」

 ディーアは自分が凄いのではないことを知っている。彼の力ではなく、魔法は神々の好意によって借りているだけなのだ。

「それにキトにだって好意を持ってる神様はいるよ」

「嘘! 何処に?」

「そこに」

 ディーアにはキルキトの頭上で笑う地の神が見えていた。穏やかに微笑んでいる。だがキルキトには目を凝らしても、何も見えない。

「何処だよ」

 きょろきょろと視線を動かすけれど、やはりキルキトにはまったく見えなかった。何とかして見せてやりたい気持ちがディーアにもあるが、こればかりは簡単にいかない。

「いるんだよ。本当にいるんだ」

 自分だけが見えている。それはディーアに嫌なことを思い出させる。

 故郷で自分だけが見ていた光景。それを分かってくれる人は誰も居なかった。ただただ真実を言っただけなのに、虚言癖があると思われた。仲間外れにされた。虐められた。怖かった。

「……本当にいるんだ」

 キルキトがそうならない保証はなかった。彼は神様を捜すのを諦め、息を一つ吐いた。

「いいよ。居るのはわかってるから。さっきもその神様が街から逃げるのを助けてくれたんだろう。だったらいい奴みたいだし」

 そして笑顔を見せた。

「……キト、ありがと」

「お礼はこっちの言うことでしょ。ありがとね、逃げるの手伝ってくれて。はあ、それでどうしようか。このままって訳にはいかないしね」

「あ、うん」

 ディーアは妙に胸の辺りがこそばゆくなった。お礼を言われることに慣れていないのだ。だけどそれは何だか、嬉しい気持ちに近かった。

「暫く此処で時間を潰そうか」

「あ、そうだな」

「ああ、そうだな」

 ディーアはあれ、と小首を傾げる。今キルキトではなく別の誰かの声を聞いた気がしたからだ。キルキトもおかしいと思ったのか、ディーアの顔を見て、次いで青ざめた。思わずつられて振り返ったディーアはその行為を後悔した。

「何をしている」

「真昼間から街の上を飛ぶなんて奇行をよくもしてくれるね」

 眉間に皺を寄せたハジータムナクとかわいい顔が台無しなヴィオラッサが立っていた。その顔は鬼のそれに近い。

「ヴィー!」

「師匠!」

 二人で抱き合って逃げる体勢をとるが、その前にヴィーが指で呼びつける。言葉はないが無言の圧力に二人は俯いて勝手にその場で頭を下げる。後ろめたさでいっぱいだからである。まずキルキトが言葉を切った。

「師匠! すみません、大事にしてた短刀を落としてしまって……柄に大きな傷が入ってしまいました。本当にすみません」

 微かにハジータムナクの眉が上がる。

「ヴィ、ヴィー、……俺もごめん。あの花瓶割るつもりはなくて、その、でも、割っちゃった。ごめん」

 ヴィオラッサの目も心なしか鋭くなる。

 ディーアとキルキトは揃って目を瞑った。もう怒られて仕方がない。

「お前たちね」

 だが落ちてきたヴィオラッサの声は思ったよりやさしいものであった。恐る恐る顔を上げたディーアは少し泣きそうになった。

「僕が怒ってるのは街中で不用意に魔法を使ったことにだよ。花瓶ぐらいで怒りゃしない」

 まるで困った子どもに諭すように、ヴィオラッサは苦笑していた。そこに浮んだ表情に心配が浮んでいることにディーアは気付いた。

「あれは言ってなかったけど、不良品だったんだ。明後日別に新しい花瓶と取り替えてもらえることになってたから、いいんだよ」

「ほ、本当に? 嘘じゃない?」

「本当、本当」

「よかったー」

 ほうっと息を吐いたディーアはそのまま倒れこむ。怒られることが本当に怖かったのだ。折角よくしてくれているヴィオラッサに、もう構ってもらえなくなったらどうしようかと本気で悩んだ。だがそれが杞憂に終わったようでディーアは心底ほっとした。

「キルキト、お前もそこまで小さくならなくていいぞ」

「はははいっ!」

「傷がつくのは仕方がないことだ。どんなに大切に扱っていても、傷は出来る。折れたとか言われたらさすがに怒るが、そうではないのだろう」

「違います! でも大事にしてるのに……ボク」

 キルキトが乱暴に手で目を拭った。

「お前は口惜しいのか」

「……はい」

 武骨なハジータムナクの手がキルキトの頭に置かれた。一瞬震えた弟子の肩に、師匠は心持ち口の端を持ち上げた。

「物が壊れるのは道理だ。お前が私の気持ちを大事にしてくれたことが、嬉しいよ」

「師匠……、ありがとうございます!」

 再び目を拭い、キルキトは元気よく答えた。そしてやっと笑顔を見せることが出来た。

「だけどね、ディーア、キルキト。僕たちが何でここにいるのか、わかるかなあ」

 ヴィオラッサがにっこりと、それは男をも魅了する笑みを湛える。はたして事情の理解出来ない領主と鍛冶師の弟子は、次の瞬間歪んだヴィオラッサとハジータムナクの表情に悲鳴を上げるのだった。



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