02:ゆっくり着実に学ぶことが勝利する
何処へ行くにもついてくる。
しかめっ面ですごく不愉快そうなのに、ずっと近くをうろついている。避けないで居てくれて、傍に居てくれることは嬉しいことであったけれど、ディーアはげんなりした。
「だからって厠までこなくても……」
さすがに何処までもついてこられたら、うっとおしい。そういう感情を持った自分にディーアは少なからず驚いた。こそばゆい、というのだろうか。孤独であった自分の周りに人が増えていく。嬉しいけれど恥ずかしいような、顔を上げられないような気持ちになる。
でも、今はやっぱり少しだけ一人がいい。
「ヴィオラッサからの命令だ。大人しく見張られていろ」
何の感情も浮かんでいないハジータムナクの目に、たじろぎそうになる。
「……ヴィーは見張りじゃなくて、護衛だって言ってたんだけど」
「そうとも言うな」
しれっとそっぽを向く彼に肩を竦める。
「大体何さ。俺のこと嫌いなくせに」
「そりゃ嫌いだ。わかりきっている。だがヴィオラッサがお願いしてきたんだ、この私にわざわざ。それを無下には出来ない」
律儀な男である。どういう理由かは知らないが、ヴィオラッサを恩人と慕っている。誰にも興味を示さないというのにヴィオラッサには特異な反応を示す。あからさまな好意を抱いている。
だが、それをディーアには抱いていない。
「まあ、いいけど。でも厠はさすがにやめてくれ。あと着替える時に覗くのも駄目」
人に肌を見られるのは苦手である。綺麗とは言いがたい傷ばかりの肌の、その理由を説明するのも嫌だ。だからあまり見られたくなかった。
「……善処しよう」
ふう、と溜息を吐きながらハジータムナクは視線を逸らした。
翌日もハジータムナクはディーアに張り付いていた。行く先々に共に行動をする。
時には会話もするけれど、それはディーアが質問をしてハジータムナクが答えるというただの質疑応答のようなものに思えた。ディーアとしてはもっと仲良くしたいと思っているのだが、如何せんとっかかりがつかめない。
おかげでディーアはじっと、ただ見つめるだけになってしまった。
ハジータムナクの特徴と言えば、その無愛想な表情。そしてフードに隠されてはいるが漆黒の髪と目だと思う。陽の光さえも通さぬ黒髪はある種感動に値する。そして何より武器の扱いに長けている点だ。
「ねえ」
ふと気になって問いかけると視線だけで促される。
「ジータはなんでそんなに武器の扱いがうまいの?」
剣の類はもちろんだが、斧や杖や果ては鞭までも扱いを熟知しているらしい。何処でそんな技術を身につけたのか。彼の故郷は鍛冶を生業とする小さな町だというのに。
だが帰ってきた答えはなんとも残念なものだった。
「知らん」
少し困ったように眉尻を下げた。その表情にこれは困った時の顔なのだとディーアは頭の中でメモをとった。
「鍛冶師になろうと思ったときに手当たり次第に武器を扱っていたら、こうなっていた。特に理由はない」
「でも、キトはそうでもないよね」
「キルキトには最低限しか戦う技術を教えていない。あの子には戦いは必要がない方がいい」
珍しく長く口を開いた。しかも今その表情はいつも自分と対している時とは異なり、穏やかである。思わずディーアが腰を浮かしかけるほどに、やわらかい表情であった。しかしすぐにハジータムナクは顔を引き締めてしまったのだけれど。
「キトにはやさしいんだな」
「大事な預かり子だ。それにあの子は私を慕ってくれている。やさしくならない方が可笑しい」
ディーアには慕われるという感覚は未だよくわからない。それでもその表情の変化にあたたかいものを感じた。自分のことではないのだけれど、ほうっと胸があたたかくなる。
「俺には?」
やさしくして欲しいと思う。だが、ハジータムナクはゆるゆると首を振る。
「お前にやさしくする必要がない」
「それはまあ、そうなんだろうけどさ」
にべもないハジータムナクの言い分に哀しくなる。つらく当たられるのは慣れている。けれど慣れているからといって、痛くも痒くもないかと言われればそんなことはない。体に傷はつかなくても、心がズキズキと痛くなる。
「それに私は元々人と接するのが得意ではない」
ディーアを見ないまま、ハジータムナクは淡々と告げる。
「それは、うん……わかるよ。でも仲良くしたいんだけどな」
「それは無理だな。私と仲良くなど出来る奴が居るとは思えん」
「ヴィーとは仲良しなのに?」
「ヴィオラッサのことは私が勝手に慕っているんだ。そんな簡単な言葉でくくれるようなものではない」
堅苦しい言い分でディーアは思わず頭を抱える。どういってもハジータムナクは無理だと言う。仲良くしたい、もっとフランクに話をして、共に行動したいと思っている。それなのに当の相手がそうさせてくれない。
「難しいなあ……」
溜息を吐くしかない。ディーアはハジータムナクから視線を外す。そして仕方なしにヴィオラッサから言い付かっている案件を片付け始める。
紙を捲る音と、ペンの走る音だけが部屋の中に起こる。ハジータムナクは離れたところの椅子に腰掛けている。窓の外を眺める彼の表情がふと和らいだ気がして、ディーアは顔を上げた。
だが、あの不愉快な顔のままで特に変化はない。しかもディーアの視線に気付くと、怪訝そうに首を傾げる。
「……今、笑った?」
訪ねるとハジータムナクは眉間に皺を刻んだ。
「まさか」
苛立ちをのせた声にディーアはそそくさと書類へ目を落とす。
仲良くなれない。そう思った。だけど、――ハジータムナクは傍に居る。会話もしてくれる。
もしかしたらこれが彼の通常なのだろうか。それならばきっと、この現状をもって仲良しと思っていいのかもしれない。そう思うと、ディーアは口の端がにわかに持ち上がるのを止められなくなった。
どうにも暫く、顔はあげられそうにない。
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