ゆうもあ先生と秋の空

 女心と秋の空という。一方で男心と秋の空ともいう。要するに人間の信念などあてにならないということだ。

 湾岸テレビから「夕方のワイドショーのMCかコメンテーターをやってくれませんか」としつこく言われている。その度にゆうもあ先生こと有象無蔵は強く断ってきた。自分は県立大学の教授、地方公務員である。当然、副業は禁止である。テレビに出るには特別な許可がいるがワイドショーのMCとなると許可は難しい。有象がテレビに出るには大学を辞めなくてはならない。そうすると肩書きは小説家、文芸評論家である。この肩書きで番組のMCをできるのは石田衣良さんくらいだろう。有象は石田衣良さんほど甘いマスクをしていない。どちらかというとブラット・ピットだ。そういえば、北方先生が昔『ビッグウェンズデー』なる番組をやっていたがすぐに終わった気がする。(北方先生ごめんなさい)テレビで強面は駄目なのだ。湾岸テレビのプロデューサー(宇津井と言ったかな)はそのことがわかっていない。有象はそう考えていた。

 しかし、この夏の出来事で、考えがちょっと変わった。

「私は案外モテる」

 ならば、テレビに出て、奥様方に「この有象無蔵って人、変な名前だけど結構イカすじゃん」てなことになりかねない。そしたら我が売れない小説も少しは印税を稼いでくるのではないか? 絶版になった我が処女作(どうでもいいがなぜ童貞作ではないんだろう)『笑いとワラビーとわらび餅』も復刊されるのではないか。そしたら石田衣良さんと今後のエンターテイメント小説について対談なんかしちゃって、それが本になって五万部も売れれば、自己新記録だ。

 有象はかなり浮かれていた。「テレビ出ちゃおかな」「売れっ子作家にくっついてチョイ売れ作家になろうかな」

 ここでハタと気がついた。教授をやめるということは有象ゼミもおしまいである。そうすると問題になるのが前田優子と大島敦子だ。もう十月が過ぎちゃったから今クールのテレビ出演はない。出るとしたら四月からだ。だから今の四年生の卒業は見送れる。しかし前田と大島にはもう一年ある。それを見捨ててのん気にテレビなんか出ていていいのか? 悩むところである。まあ、四月までには時間がある。ゆっくり考えよう。有象はそう思った。


 電話が鳴った。裕子さんも明美も吉田もいなかったので有象は自ら出た。珍しいことである。

「はい、有象」

――よう、有象久しぶりだな。

 嫌な声を聞いた。無視して電話を切った。

 また電話が鳴った。今度は出なかった。ベルが八十五回鳴ってやっと切れた。

電話の主は河童黄桜かっぱ・きざくらというペンネームでつまらない小説を書いている、頭の悪い男だ。本名を晒してもいいのだが、武士の情けで勘弁してやる。

 どれくらい頭が悪いかというと、有象が「四国全県言ってみな」とクイズを出したら「ええと、愛媛……岡山!」と自信満々に答えた。それじゃあ二国じゃん。しかも山陽地方が入ってるから一国じゃん。ね、馬鹿でしょう。こいつが大学時代、同じ文芸サークルにいたこと自体が恥だった。

 ところが、ところがである。その馬鹿の書いた本が売れるのである。書店に行けば分かると思うが、毎月のように奴の新刊が出て、毎月のように売れるのである。信じられないことが世の中にはよくある。その一例であろう。

 その内容は「男だったらこう生きろ」とか「男らしい酒の飲み方」とか「女の愛し方」なんて、一瞬、伊集院静先生のご本みたいな感じだが、内容は薄っぺらくて嘘ばっかり書いてある。単なるカッコつけなのである。こんな馬鹿な本ばっかりなのに、どこかの書店では「男の美学 河童黄桜」とかいうパネルを作ってフェアなんかしちゃったりしている。それが売れるのである。これを読んで世の男がみんな馬鹿になればいいと思う有象であった。

 さすがに、最近はネタ切れらしく「女だったらこう生きろ」的な本を出していた。ついに馬脚を現したなと思ったら、夕日新聞の読書欄でノンフィクションの売り上げランキングが載っていて、Y書店のM支店では売り上げベスト1になっている。男性を馬鹿にし尽くして、今度は女性も馬鹿にしちゃうのかと、日本の将来を憂うる有象であった。


 玄関のチャイムが鳴った。しらばっくれようかと思ったが、隣の高田さんが回覧板を持ってきたならば事だ。彼はこの時間、有象が家にいる事を知っている。後でゴチャゴチャ嫌味を言われるのは面倒くさい。有象は玄関に出る。

 

 そこにいたのは高田さんではなくて、河童黄桜だった。

「てめえ、なんで電話、無視するんだよ」

 こいつ酔っている。

「嫌いだから」

 有象は正直に言ってやった。もちろんやっかみも入っている。

「こちは用があるから電話してるんだよ」

「じゃあ、今言え」

「お前の断った、ワイドショーのMC、俺がやるからな」

「えっ?」

 有象はドキッとした。迂闊だった。こいつの方が知名度高い。ちょっと自信過剰になって高を括っていた。またこいつに美味しいところを持っていかれるのか。頭にきた有象は箒で河童黄桜を追い払った。そして厳重に鍵を閉めた。裕子さんたちは勝手口から入るから問題ない。


(人生ツイているやつはとことんついている。それに比べて私は……)

 有象は少し泣いた。

(いいや、これで決心がついた。今の位置に留まろう)

「ただいま」

 裕子さんたちが帰ってきた。夕食を美味しく食べよう。今日は焼酎だ。有象は『雲海』を取り出した。

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