ゆうもあ先生の講義 ⑧

 今日の講義は『文学特講』だから、気が楽だった。他学部と他学科の一、二年生に『太宰治 滑稽小説集』を輪読させればいいだけだ。学生は八人くればいいほうだろう。一年とて、先輩からの情報で、有象の講義は出なくても単位が取れると知ってしまうと、途端に出席しなくなる。たまには出欠でも取ってみようか。出席していたら期末試験免除なんて、出席してない者が後から聞いたら悲鳴をあげるだろう。それに期末試験には久々に爆弾問題を投下してやるのだ。「太宰治と一緒に玉川上水で心中した女性の名前を漢字フルネームで書きなさい」なんてのはどうだろう。「えー」という声が響き渡る大講堂。「私がいつも甘い顔していると思ったら大間違いだよ」と捨て台詞を言う。彼らには有象が悪魔に見えるだろう。でも期末試験はトリッキーにしない。翌年の受講者が減り、相反して出席者が増えるからだ。有象が単位を取りやすくしているのは受講生を増やすためだ。受講者が増えれば給料にプラスαがつく。一方出席者が減れば、うるさいおしゃべりが消えて、本当に勉学したい人だけと向き合える。あんまり、やる気がありすぎるのも困るけれど、本気で文学に打ち込む姿は美しい。なので今日は出席だけとることにした。名簿を読んだり、名簿から自分の名前を探して○をつけてもらうのは面倒くさいので、わら半紙にクラス、出席番号、名前を書いてもらい、ついでに最近読んだ本を書いてみてもらった。

 今日は珍しく十二人の学生が来ていた。こういうことに勘の働く学生がたまにいるのだ。読んだ本を集計してみる。やはり、又吉直樹の『火花』が多かった七票。半分以上だった。「どうだった?」と振ると皆一様に「面白かった」という。何が面白かったのかが聞きたいのだが。突っ込みすぎて泣かれても嫌なので有象はやめておいた。

 次、『近代柔道』。樋口一応くんだ。「雑誌しか読んでなくてすみません」と謝る一応くん。いいんだよ、君はオリンピック、世界柔道で頑張って貰えばいいのだから。だいたい彼には単位を初講義であげている。なのに毎回、このくだらない講義に出席している。「なんでかね?」と一度聞いたことがある。すると「教授が好きなんです」という返事。「僕はそういう趣味はないですよ」とお尻を引っ込めると、「違いますよ。人間として好きなんです」「はあ? どこが?」「本当は有能なくせに、馬鹿を装っている。『笑点』の林家木久扇師匠みたいです」

「そうかい。私はいつも真剣だよ」「またまた。そういう冗談が言えるところが好きです」好きと言われて嬉しくないはずはない。「きみ、文学部に転部しないか? 下駄は履かせられるよ」「いえ、友達と裁判官になるって決めてるんです。だから残念ながら」「そうかね。気が変わったらいつでも言ってくれたまえ」

 次、「『平将門』。史学科だな。誰だい?」「はい」と元気よく手を上げたのは身長百七十センチはありそうな、すらっとした美人だった。「名前は草井君代くんだね」「はい」「難しい専門書だろ。研究にはまだ早いし、どうして読んだの?」「私、加藤剛さんの大ファンなんです。『大岡越前』のDVDも全部持ってます。そしたらNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で、剛様が平将門をやっているのを知って、いてもたってもいられなくてDVD全巻見たんです。そしたら平将門のこと知りたくなって」

「実像の平将門は加藤剛さんのような清廉な武将ではなかったでしょ。どちらかといえば泥臭さがあるね。吉川英治が小説で書いているから読むといい」「はい」

「では次、『キングダム』? 漫画じゃないか!」「すいません。生まれてこのかた、教科書と漫画しか読んだことなくて」とオタクっぽい男子学生が頭をかいた。斎藤隆史? 聞いたような名前だ。

「あれだろ、秦の中国統一を面白おかしく書いているやつだろ。私も知ってるよ。じゃあ、きみにショックを与えよう。あの漫画に羌瘣って美人が出てくるだろ。あれ、史実では男なんだよ」「ええっ、羌瘣ちゃんが?」「さらになあ、山の王、楊端和も男なんだよ」「嘘でしょー」「漫画は所詮漫画さ。詳しく知りたいなら『史記』を読むんだな。難しいけど」「が、頑張ります」

「ではその次は、『ヨギガンジーの妖術』泡坂妻夫。古本屋で見つけたのですか?」「はい。ブック●フですぐ見つかりました」「服部洋子くんか。先生、古本がダメなんだ。泡坂先生が亡くなった後『しあわせの書』が話題になって『生者と死者』が奇跡の復刊をしただろう。なのに、第一巻のこれだけは復刊してくれないんだよなあ●●社さん」「妖盗S79号もありましたよ」「ぐわあ、復刊してくれえ」有象は悶えた。

「はあ、疲れた。最後の子は中森明美くんね。恩田陸『光の帝国』先生もこれ大好きです」「最近の恩田さん、筆荒れてない?」明美はタメ口で言った。「そうだね、デビュー作からの五冊は神だからね」「先生、分かってんじゃん。やっぱ、文学部の先生は違うわ」「きみ、他の先生に何かしたの?」「あたしにさ、色つけてきた経済学部の柿沢ってどすけべ教授に、同じ質問したのよ。なんて答えたと思う?」「さあ、最新作でも言ったのかな?」「鋭い。まだ読んでもいない本ナンバーワンにあげるからキンタマ蹴飛ばしてやったわ」そういえば経済学部で長期療養の先生がいたな。有象は震えた。

 

「なんか出欠で講義時間終わっちゃったね。でも充実した読書談義でした。本には知識を得るもの、楽しむものの二つがあります。通常の文学研究は知識を得るものに光が当てられますが、私は楽しむ方の文学を研究しています。もし、質問があったらいつでも教授室に来てください。中森さんは遠慮しとこうかな。では今日の出欠で君たちはこの単位Aです。来週から来なくていいですよ。どうしてもきたい人だけ来てください。では、ごきげんよう」

 次の週、まさかと思った事態になる。中森明美が出席してきたのだ。野球選手が使う、キンカップの購入を真剣に考える有象であった。

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