ゆうもあ先生の講義 ⑦

 ゆうもあ先生、有象無象が教室に入ると、いつもはいない四年生、柏木麻里子と渡辺由紀、横山亜紀が着席しておしゃべりしていた。

「前田くんと大島くんは?」

と聞くと、

「知りませーん」

のお返事。薄情なものだ。それにしても四年生はどうして出席しているのだろう。別に出席しなくてもA評価上げるのにと思っていると、三人が立ち上がって、

「有象先生ありがとうございました。先生のおかげで就職できました」

 と言う。

「はあ? 私はみなさんの就職活動のお手伝いなんかしていませんよ」

 有象が言うと、

「いえ、面接で有象先生の名前を挙げると、面接官の顔色が変わって優しくなるんです」

「柏木くんは、どこを受けたんだい?」

「株式会社クルリントです」

 あちゃ、この前の風花監督探しで、社長と名刺交換して、そのあと飲んだわ。

「渡辺くんは?」

「『ハーベスト妙蓮寺』の企画営業です」

 さては“妙蓮寺の坊ちゃん”が色をつけたな。

「横山くんは?」

「横浜F信託銀行です」

 ああ、あそこには二百億円は貯金してるわ。みなさんの就職に役立てて、たいへん嬉しゅうございます。

「じゃあ、就職記念にコーヒーでもご馳走しようか?」

「いえ、今日は私たちが先生に『喫茶こばやし』のスーパーブレンドをお馳走させていやだきます」

「スーパーブレンド。聞いたことないな。新製品かな」

「そうです。マスター渾身の一杯です」

「それは楽しみだ」

 と、思いつつも今まで皆勤賞だった、前田優子と大島敦子の姿が見えないのが少し心配であった。


「いらっしゃいませ。就職するなら有象ゼミですな。店主が有象をからかう。こんなもの、経済界に知り合いが入れば、簡単にコネは通る。真面目に活動している学生がかわいそうだ。来年からは貧しい、大島敦子みたいな学生を採用しよう。

 店主が特別にと言って、大きなアップルパイを持ってきた。奥さんのお手製だという。そういえば、奥さんにはここで一回お会いしただけだ。馴れ初めなんか聞いてやろう。

「店主、奥さんとはどこで知り合ったんですか?」

「今の家でね」

「誕生会か何か?」

「いや、引越しの日に」

「はあ」

「ウチの両親は再婚同士だったんですよ。僕たちは二人の連れ子」

「ということは?」

「元は義理の兄妹だったんです」

「すごーい」

 歓声が上がる。

「今は笑って言えますが、僕も、妻も悩みましたよ。妻は荒れました」

「なぜですか?」

「私が妹と結婚するのに躊躇したからです」

「なぜ躊躇を?」

「考えてもみてください。昨日まで妹だった人と結婚しろと言われたんですよ」

「そうですね。あだち充の漫画みたいですね」

 場が少し、しんみりしてしまった。

「さあ珍しい話は、これくらいにしてアップルパイを食べてください。コーヒーも冷めてしまいますよ」

「はーい」

 あとは私が電車でパニックを起こした話で盛り上がった。

「君たち、就職先も決まったことだし、ゼミのことはあんまり気にせず、他の講義に集中してください。でもレポートは提出してくださいよ。面白い人いっぱい、いたでしょ?」

「面白いというより、おかしな人がたくさんいました」

「そう、そういうのでいいの。原稿用紙五枚ね。もちろんパソコンでいいよ。五枚なんかあっという間だよ。私は一週間で四百枚書いたからね」

「頑張ります」

 とここで就職祝いはお開きになった。

「店主、あのアップルパイ美味しかったよ。店に置いたらどうですか?」

「うーん、実は悩んでいるんですよ」

「どうして?」

「妻には探偵の仕事をしてもらってますし、無理はさせられない。一方、店の方は閑古鳥が泣いているくらい経営が厳しい。目玉が欲しい。そうすると、アップルパイなんですよね」

「これはご夫婦で決めることですね。余計な口をはさみました」

「いえいえ、ありがたいアドバイスです。ところで、いつもいらっしゃる、三年生のお二人は見えませんでしたね」

「それが無断欠席なんですよ。そういうだらしがない子たちじゃないので心配しています」

「黙っていようと思いましたが言います。お二人さん、開店と同時にやってきて、喧々諤々やてましたよ。あれは本当の喧嘩だったのかもしれない。私は部外者ですから、何も言えませんでしたが」

「そうですか、そんなことが」

 なんとなく、嫌な予感がする。この頃有象は前田優子と付き合ってばかりで、大島敦子にかまってやれていない。それで嫉妬して、なんてないか? おっさん相手に美しい美女二人が喧嘩するなんて現実に起こりうる話ではない。

 

 だが現実は甘くなかった。二人は私の取り合いをしていたのだ。原因はあの雨の朝に前田優子が強引に私と腕を組んだことだ。それを大島敦子が見ていたのだ。今まで二人に対して、私は大島敦子の方に甘かった。私の著作を愛読しているというし、家庭が貧しくて、バイトしながら、学問に勤しんでいる。そして何より、うんはっきり言ってしまおう。大島敦子は竜野淑子に瓜二つなのだ。初めて面接で見たときから私は年甲斐もなくときめいた。たかが身長百八十五センチの、髭を生やしたブラット・ピッド似の資産四千億の印税がほんの一億程度のおっさんが二十歳の少女に恋しちゃったのである。

 初めは小説の題材になどと思っていたけれど、今じゃ夜も眠れないほど、苦しんでいる。だから私が眠るまで婆やの裕子さんが手を握っていてくれる。裕子さんは優しい。正直言えば、私のお手が付いているのだが、「結婚してくださいとか」「慰謝料を払ってください」などとは言わない。「だって、婆やの仕事が好きなんですもの」と笑って返すこの余裕。若い二人にはそれがない。いつかは前田優子は振らねばならない。だがそれは、彼女が精神的にボロボロになって、自殺してしまうようなことにしてははいけない。穏便に、爽やかに、「グットバイ」と言えるようなものでなくてはいけない。そのためにはどうしよう。学生の間は二人を天秤にかけ、卒業と同時に、大島敦子に交際を申し込む。前田優子は、いいところのお嬢さんだから心配はいらない。良い縁談が降ってくるだろう。

 ところで、今二人はどこで喧嘩をしているんだ? 騒ぎになる前に止めた方がいいだろう。こういう時には“妙蓮寺の坊ちゃん”のところの若いのいいだろうと、電話をかけようとすると、平田くんが「前田さんと大島さんが教授室に来ています」と言う。慌てて私は教授室に戻った。

「無断欠席してすみません」

 前田優子が言った。

「すみません」

 大島敦子はふてくされ気味だ。

「話はいろいろな方面から聞いて知っている。はっきり言おう。僕は学生と恋愛はしない。それは一度失敗しているからだ。人間は学習する。だからねえ、きみたちのしている喧嘩は意味ないの。質問します。前のように仲良くできますか?」

「はい」「はい」

 ちょっと刺激が強かったようだ。二人は泣き出した。おお、これが青春だ。大いに泣くが良い。泣き止んだら『喫茶こばやし』に行こう。もしかしたらアップルパイが残っているかもしれない。

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