ゆうもあ先生と新編集長

 夕方、ゆうもあ先生こと有象無蔵が研究室で柿の葉茶を喫しながら一服していると電話が鳴った。

「平田くん、電話ですよ」

 と呼んだが、優しいジャイアン、平田くんの影も形も見えない。仕方なく、有象は自ら電話に出た。

「はい。こちらの電話は現在使う気がありません」

——わははは、素晴らしいジョークですね、教授。

「あなたは誰ですか?」

——申し遅れました。わたくし、門松書店で『月刊ヘロヘロA』の編集長をしとります、猿田と申します。モンキーの猿に、田んぼの田ですわ。

「それはそれはご丁寧なご説明。ありがとうございます。でもね私、よく考えたんですけど、漫画雑誌になんて小説を連載するのはお断りしますよ。私にも小説家としての矜持があります」

——先生、何て時代遅れな事言っているんんですか。あの人気作家、伊佐坂幸太郎先生だって『コミックミッドナイト』に小説を連載する時代ですよ。あの大家、硯康隆先生がライトノベルを描く時代ですよ。何、立ちおくれた事を言っているんですか。一緒に革命起こしましょうよ。とりあえず、一度お会いしましょ。ご都合のよろしい時間と場所をゆうてください。

「なら今夜、屋敷に来てください。その場で引導渡します」

——印籠? 水戸黄門でっか。あれ、何で再放送の方が本放送より面白かったんですかね。まあ、それはともかく今夜、竜野女史とお屋敷に参上いたしますわ。

「淑子、いや竜野くんも来るのかね?」

——当たり前です。引き継ぎがありますわ。それに、先生のお屋敷、わたくし知りませんので。では、よろしゅうに。

 電話は切れた。

「また、淑子に会わなきゃいけないのか」

 有象はため息をついた。破綻した結婚生活が蘇る。何であれは、あんなに気が強いのか? 何で、すべてのことを独断で決めてしまうのだ。もう結婚はこりごりだが、万が一、結婚するなら、おっとりとした、優しい女性がいい。ここでふと考えた。婆やの裕子さんなんか最高ではないか? おっとりしているし、料理、洗濯、掃除は完璧だ。婆やだと思って員数外にしていたが、まだ二十四歳だ。こりゃあ、真剣に考えなきゃいけない。それと、大島敦子だ。三年生だから二十一歳か。若いな。でも一人暮らしをしているのだから家事はできるだろう。まさか、汚部屋ということもあるまい。いつもきちっとした服を着ているからな。二人とも有象より二十歳以上年下だが、そんなこと関係ない。愛さえあれば年の差なんてである。

 いけねえ、また妄想モードに入ってしまった。早く屋敷に戻って、淑子、猿田連合に正義の鉄槌をお見舞いしてやる。大学教授兼小説家の自分が、訳のわからない漫画雑誌に小説を書けるか! おととい来やがれ。有象は二人に浴びせる罵詈雑言を車の中で練習していた。

 夕食が終わって一服している時に、敵は現れた。有象は度胸つけの為に日本酒の獺祭を二合飲んでいた。腹はもう座っている。目も座ってしまっている。大丈夫か? 竜野淑子と猿田が居間に入ってくる。

「まあ、一杯どうだ」

 有象は二人に獺祭を勧める。

「頂くわ。相変わらず、いいお酒飲んでるのね」

 淑子は一合を水のように飲んだ。

「わたくしはアルコールはいけませんので」

 断る猿田に、

「私の酒が飲めないというのか」

 と有象は座った目で脅し、獺祭を一合、無理やりに飲ました。厳密に言えば、犯罪である。飲めぬ酒を急にあおった猿田はそれこそ猿のように顔が真っ赤になり、言動がおかしくなった。

「有象無蔵さんよう、ヒック。あんた『月刊ヘロヘロA』をただのギャグ漫画雑誌とヒック、バカにしているだろ。ヒック」

 この変わりように有象は酔いが覚め、少しびびった。

「そ、そんなことはない。ただ、小説家として、漫画雑誌などに連載を持ちたくないのだ。私は小説を雑誌に載せなくても生きていける。小説発表の場は、自分で同人誌でも作れば良い」

 それを聞いて猿田の怒りが爆発した。

「挑戦する心のない奴は小説家を辞めろ! 小説っていうのはな、心に燻った欲望を弾けだすものなんだ。お前のユーモア小説なんて、言葉遊びのちんちくりんだあ」

 そう言うと、猿田は爆睡した。

「あなたが飲めない猿田に酒を飲ますからいけないのよ。猿田だって本能は文芸誌をやりたいの。でも席は埋まっている。だから猿田は自分の戦場を徐々に文芸中心に変えていこうとしたの。その第一陣があなただったのに、怖気付いて逃げ出そうとして。あなたのものぐさは、気の弱さからきているんだわ」

 淑子が厳しいことを言う。

「実は私は猿田くんの暴言とも取れる一喝に心を動かされた」

 有象は煙草を取り出し、吸い付けた。

「猿田くんの元でやってもいいかと思っている。これは私の挑戦だ」

 途端に猿田が飛び起きた。失神は演技だったのか?

「有象先生、やりましょう。コミックと文芸の融合雑誌。これから、若手の作家にどんどん声をかけます。有象先生には、彼らのお頭になっていただきたい」

「うむ。今まで私は孤高の作家すぎた。これからは若手育成もしようじゃないか。でも大学の仕事もあるからほどほどにね」

 急に可愛くなった有象の態度に、猿田と淑子はずっこけた。

「先生、では夏の特大号から連載をお願いします。可能でしたらプロットなど、腹案があればお教えください」

「うぬ。大学教授と教え子の禁断の恋だ」

「それ、あなたと私のこと?」

 淑子が聞く。

「違うもんね」

「でも先生、そのプロットではユーモア小説にはできないのでは?」

 猿田が焦る。

「たわけ。私が何年、ユーモアを書き続けているかわかっているのか? 三十年だぞ。この一見、ユーモア小説にできなさそうな状況を、笑いに変えるのが私のテクニックの見せ所ではないか」

 有象は大言をはいた。

「お見それしました」

 平伏する猿田。それを肴に獺祭を煽るように飲む淑子。とにかく、猿田の有象攻略は成功した。


 二人が帰った後。

「あー、私はなんてこと言ってしまったんだ。禁断の恋がユーモア小説にできるはずないではないか。でも大言をはいてしまった以上、強引にでもユーモア禁断の恋愛小説を書かねばならん。そのためには、大島敦子とそういう関係になって、実体験に基づいたギャグを作らなくてはならない。明日は、『太宰治と滑稽小説集』の講義だ。大島敦子も出席するだろう。ここは何としてもお近づきになって、一気にことを持って行こう。そうだ、持って行こう」

 そう言いながら畳の上で有象は眠ってしまった。中年大学教授とその教え子。とても恋愛関係に進むとは思えないのだが……。

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