ゆうもあ先生の休日
ゆうもあ先生こと、有象無蔵の休日は朝いつもよりが遅い。午前十時に目覚め、婆やの裕子さんに平日には炊きたての御飯にかける玉子で目玉焼きを作ってもらい、トーストを三枚焼いて食す。いわゆるブランチである。それから一服して、“妙蓮寺の坊ちゃん”が好意で送ってきてくれる新聞の切り抜きを丹念に読む。新しい小説のネタになりそうな記事を探すのである。
それにしても、“妙蓮寺の坊ちゃん”はヒマ人である。毎朝、六紙の新聞を午前中いっぱいかけて、熟読しているのである。本人いわく「いろいろな角度からものごとを見ることによって、真実が見えてくる」と言うけれど、有象からみれば単なるヒマつぶしである。坊ちゃんは、そのニックネームに似合わず、元はやくざの幹部であった。大学を出ているから、インテリやくざというのか? 人だって殺している。傷害致死罪というやつである。でも、模範囚だったので懲役四年のところが二年で出てきた。根は真面目でいいやつなのである。出所後、やくざの足を洗ったお坊ちゃんは、ふだんはプラプラしていているが、なにか興味や情熱を持つと、一直線になりふり構わず走り出す。心に持っている狼の血が騒ぐのである。例の『居酒屋 小料理 涼子』のオーナーになったのも、あの店の焼き鳥が絶品なのに、お客さんが全く入っていないことに義憤を感じてのことである。妙蓮寺にあるショッピングセンター『ハーベスト妙蓮寺』の建設計画を立ち上げたのも、「妙蓮寺商店街の客足が半分に落ちた」という話を聞いて「じゃあ、私がなんとかしましょう」と諸肌あげて諸策を立てて、実行したものである。やる気のあるときのおぼっちゃんはまるで、コンピュータ付きトラクターみたいだ。しかし、ひとたび計画が軌道に乗ると、なぜかやる気を無くして、またプラプラ生活に戻ってしまうのである。全くもって不思議だ。
坊ちゃんの話が長くなった。彼には彼の物語がある。有象の話に戻ろう。新聞の切り抜きを丹念に読みふけると、有象は「笑える」「笑えない」「どちらでもない」の三つに分ける。「笑える」はパソコンにスキャンして保存する。「笑えない」はもちろん破棄する。では「どちらでもない」はどうするのか? それはどちらでもないのだから机に放置しておく。有象の机には数多くの「どちらでもない」がアルプス山脈のようにうず高く積み上げられている。普通の人なら収拾不能になるところだが、横着者でも、サボってばかりいても、有象の頭脳は常人を超えている。或る日突然、「あのどっちでもないネタ使える!」と山のような資料の中からその一枚を見つけ出し、小説のネタに使用するのだ。それだったら「どちらでもない」もスキャンして整理しておけばいいのだが、彼はそれをしない。「『どっちでもない』はあくまで、どっちでもないのであって、必ずしも笑えるものになるとは限らない。そんなものまでスキャンしていたらパソコンのハードディスクがすぐにパンクしてしまいます」というのが有象の持論である。
資料整理が終われば、ちょうど十二時。昼食の時間だ。有象は休日も昼食はやっぱり麺類しか食べない。でも、少し変わったものを食べる。それは『激辛麺』だ。唐辛子に花山椒、ハバネロと考えるだに辛いソースを乗せた麺を婆やの裕子さんに作らせて、顔を真っ赤にして食すのだ。とても苦しそうだ。なんでそんなことをするのだろう? 有象は「いいですか。辛いものは全身から汗を出して、代謝を良くするばかりではなく、脳も活性化させるのです。ボケたくなかったら辛いものを食べなさい」と裕子さんに力説している。「じゃあ、毎日食べたらどうですか?」裕子さんは至極まっとうなことを尋ねた。すると有象は「毎日激辛料理を食べてたら、普通のご馳走を食べる機会がなくなってしまいます」と答えた。激辛麺は、週一度のエクササイズみたいなもののようだ。もちろん裕子さんも運転手の吉田も有象に付き合ったりしない。普通の味の麺類をいただく。
食後の一服すると、吉田運転手に車を出させ、婆やの裕子さんと近所のショッピングセンター、らららーら横浜に、食料品の買い付けに行く。本当は築地市場かなんかで、買い物をしたいのだが、あいにく日曜は休みだ。それに裕子さんを連れてあんまり遠くへ行ったら、夕食の時刻が遅くなる。だから、近場で我慢するのだ。らららーら横浜はファッション、雑貨が中心だから、良質の食料品を手に入れられる店舗は限られている。サトーナノカドーをケナすわけではないが、大量生産、大量消費の店より、「これ一筋!」というお店の方が安心できる。以前は野菜や、肉、鮮魚は各名産地から取り寄せていたのだが、商品より輸送量の方が掛かって、馬鹿らしくなってやめた。
「問題なのは鴨居の商店街が崩壊したことです」
有象は言う。
「商店街の専門店は専門店なりのプライドを持って商売していました。それが、らららーら横浜の登場で一気に破綻。良質な食材を手に入れづらくなりましたね。憎っくきはらららーら横浜。でも便利だから使っちゃうんだよね。一番の悪は私たちですか。ハハハ」
有象は自虐の笑いを浮かべる。
「それに、肉、野菜、鮮魚はサトーナノカドーで買うしかないのだが、産地がしっかり明示され、作った方の名前まで明記されています。これはもう、安心して購入するしかありませんね」
なんか言っていることとやっていることが違うような気がするが、まあいいだろう。
調味料などは、自然、天然を謳い文句にしている専門店で購入する。買い物は以上だ。ちょっと足りなくないか? 安心してください。あとの米やら石鹸やらは、coopの宅配便を利用しているのだ。本当は全部、coopでもいいのだが、割高である。有象家は資産家であるが、浪費家ではない。ケチケチしなくちゃ金は貯まらないのである。
夕食は天ぷらだった。婆やの裕子さんが腕によりをかけて作る。有象はCS放送で横浜マリンズ対瀬戸内バイキングスの最下位争いを見ていた。マリンズは、風花監督が失踪してからいいところがない。今日も大差をつけられて負けていた。マリンズファンから風花監督復帰待望論が起こっている。しかし、風花氏は行方しれずらしい。一年前、風花監督が失踪した時必死に探さなかったのだろう? やっぱり素人監督では頼りなかったか? しかし風花監督はチームをジャパン・シリーズまで連れて行った。それはラッキーな偶然だったのか? 風花の実力だったのか? マリンズのこととなると、真剣になってしまう有象だった。大学のことも、これくらい真剣にやればいいのに。
「マリンズも負けたし、もう寝ますか」
有象は寝室に行き布団に入った。そして軽く読書をする。その本は、小林信彦『オヨヨ島の冒険』だった。
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