ゆうもあ先生の講義 ①
いくら怠け者の有象先生でも、他学部の一、二年生が受ける『文学特講』だけは比較的出席率が高い。そうしないと、文学部学部長の鷲田教授にお小言を言われるからである。
「有象くん。君は他学部の学部長からなんと言われているか、知っておるのかね」
「さあ、とんと存じ上げておりません」
「芸人教授だよ。恥とは思わないのかね?」
「芸人……タレント教授の間違いではありませんか?」
「いや、間違い無く芸人教授だ。だいたい君、テレビには出ていないだろう」
「いや、たまには……」
「タレント教授というのはな、あの予備校の講師みたいに、自分のMC番組を持ってたり、昼間の情報バラエティのレギュラーコメンテーターを務めて、初めて言われる蔑称だ。いいか、蔑称だぞ。芸人教授などという呼称はそのもっと下の呼び名じゃ」
「これはてひどい言い方ですな。私は確かに、落語家の弟子についておりますが、これは江戸の滑稽文化を研究するためのもので、人様に、高座で見せようなんざ考えておりません。前言を撤回していただきたいですな」
有象は口髭を撫でた。
「そうではない、有象くん。落語の高座ではなくて、君の講義自体が芸人教授のいわれなのだ」
「と、おっしゃいますと?」
「君、講義のテキストに、何を使っておる?」
「みすず書房の『太宰治 滑稽小説集』ですが」
「それが、いかんのじゃ。その本は版元品切れで、現在手に入らぬ」
「えっ? そうなんですか。道理で誰も持ってきていないと思いました」
「テキストなしでどうやって、講義するのだ? また脱線するんだろ」
「まあ、そこは臨機応変に。何せ、滑稽文学の授業でございますから。軽く、お笑いを」
「それが駄目だと言っておるのだ!」
鷲田教授は一喝した。
「代わりのテキストを見つけて、きちんと講義をせよ。君が資産家で、学内の施設運用に、いろいろと用立ててくれているのは知っている。だが、我が校は県立大学だ。寄付の多寡で全てが決まるわけではない。場合によっては放校だってありうるぞ。真面目にやりたまえ」
「心しました」
有象は
今日は今期初めての『文学特講』の講義である。有象の授業は単位が取りやすい、というより出席しなくても、ほぼ確実に取れるので、普段は閑古鳥が鳴いている。しかし、第一回の授業なので、履修希望者で大講堂が溢れかえる。それがずっと続けば名講義だが、ゴールデンウィークを過ぎた頃には有象の持つ、独特の面白さに目覚めた数人の学生以外、姿を見せなくなる。春も深まるというのに、大講堂にうすら寒い風が吹くのである。それはともかくとして。
「エヘン。文学部教授の有象無蔵であります。ごきげんよう。この『文学特講』は法、経済、教育、理、生物、化学、物理、医学部の諸君と、文学部の史学科、哲学科の諸君に文学の愉しみを伝授する講義であります。肩肘張らず、リラックスして取り組んでいただきたい。まあ、ほとんどの学生諸君とは今日を最後に、試験の日まで合わないがな。わはははは」
有象の自虐の笑いに学生たちもつられて大爆笑する。
「さて、ここに何名か、私の講義を真面目に受けたいと思う奇特な学生もいると思う。ここで、お詫びをしなければならない。私は毎年、テキストとしてみすず書房の『太宰治 滑稽小説集』を指定しておりました。尊敬する、編者の木田元先生に少しでも懐を厚くして欲しかったからです。ところが、みすず書房さん、数年前から、この本の在庫を切らしておりました。次善の策として、ちくま文庫の太宰治全集を買うという手もあるのですが、何巻も買わなくてはいけないので、文学を志していない君たちの懐を痛めるのはたいへん申し訳ない。なので、インターネットの『青空文庫』で以下の小説をダウンロードしてください。『おしゃれ童子』『服装について』『畜生談』『黄村先生言行録』『花吹雪』『不審庵』『親友交歓』『男女同権』以上です。もし、万が一、パソコンやネット環境を持っていない学生がいたら、私か、助手の平田くんに言ってください。融通を利かせてあげましょう。さあ、今日は疲れたので講義はおしまいにしましょう。誰か、面白い話でもしないか? みんなで大いに笑おうじゃないか。何せ、私は滑稽文学の研究家だからな。どんなくだらないことでもいいぞ」
学生たちがざわついた。もう、帰れると思ったのに、この無茶振り。すると「はい」といかにも体育会系の男子学生が手を挙げた。
「おう、勇敢なる猛者よ、学部と名前を言いたまえ」
「はい。法学部法学科、
「そうだろう。その体つき。筋骨隆々だ。で、面白い話とは何かな?」
「はい。男子は知っていると思いますが、柔道着を着る時は下着は脱ぎます」
「ヒャー」女子学生の声。
「ところが、ある日、部員のパンツがみんな無くなってしまったんです。みんな焦りました。ノーパンで帰るのは恥ずかしいです」
「別にズボンを履いているのだから、いいじゃないか?」
「先生、お年がばれますよ。パンツというのは下着じゃなくて、先生の言うズボンのことです」
「そ、そうなのか? チョッキをベストというパターンだな。それで君たちはどうしたのだ?」
「柔道着のまま、帰りました」
「それも恥ずかしいな。汗臭いし」
「でも、合宿所まで三分ですから」
誰々一人クスリともしない。
「そうか。運動部は構内に合宿所があったな。わはははは、一本取られたぞ。柔道部だけにな」
有象は一人高笑いをした。そして、
「樋口くん、A評価第一号。講義にはもう来なくていいよ。柔道、頑張りなさい」
と樋口一応の肩を叩いて大講堂から出て行ってしまった。
後に残された生徒は「俺も、なんか言っとけばよかった」とか「どうせ、期末の試験で面白い事を言えばいいんでしょ」と話しながらも樋口一応を羨んだ。
ちなみに、一応はその年のオリンピック、柔道百キロ超級で金メダルを獲得した。
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