ゆうもあ先生
よろしくま・ぺこり
ゆうもあ先生
ゆうもあ先生こと
彼の三つの講義はどれも大講堂を用いらなければいけないほどの受講者が殺到する。それは、有象が休講しがちなうえ、(職務規定ギリギリしか講義をしない)ゆうもあ先生のニックネーム通り、真面目に講義をしないで、脱線してしまうこと。そして単位を取るのが、たいへん容易だったからである。毎年、期末の試験に出る問題は決まってただ一つ。「なんでも良いので面白いことを書きなさい」というものだった。だいたい少々面白いことなんてどこにでも落ちている。人生二十年近く生きていれば、そいつの一つ、二つは拾っていよう。その上、有象は笑いの沸点が異常なほどに低かった。ある哲学科の鋼鉄のように頭の固い学生が「わたくしは生まれてこのかた、面白いことに出会ったことがありません。ですから何も書くことができません」と答案に書き、提出し、本人は単位をすっかり諦めていたところ、「わははは、生まれてこのかた、面白いことに出会ったことがないだと。そんな面白いやつがいるとは思わなかった」とA評価を出して、当の学生を驚かしたほどである。
その有象先生、普段は何をしているかというと、最近は本業の大学教授も、小説書きも、うっちゃって、落語家への弟子入りをしてしまっているのである。横浜中区に
道楽のことはこのくらいにして、有象先生の稽古の模様を見てみよう。なんと弟子の有象が上座に座り、師匠の道楽が下手に座っている。
「では有象先生、稽古を始めさせてもらいます」
「うぬ、そうしましょう」
どっちが師匠かわからない。
「今日は乙に、『芝浜』と参りましょう」
「おう、『芝浜』か面白い」
「では参りますよ。『魚の行商をしている
「うぬ、『酒屋で行水している勝新太郎は、いい役者だったねえ』」
「そうですねえって、先生相変わらず耳が悪いか覚えが悪い。それに話が明後日の方向に飛んでますよ」
「うぬ、そうか。でも明後日の方向ってどっちだ。指差してみなさい」
「えっ? まいったなあ。あっちらへんですか?」
道楽、適当な方向を指さす。すると、
「違う、明後日の日の出の方向はこっちだ」
先生、てんで違う方向を指差した。
「これはたいへん失礼いたしました」
道楽丁寧に謝る。
「いや、構いませんよ。それより道楽さん。なんか最近、面白い話でもありませんか?」
「落語以外で、ですか?」
「そうですな。落語は正直つまらない。師匠の新作落語は別だがね」
「いいますねえ。まあ、大して面白くないのが落語家の私生活なんですがね。そうだ、この前、道で急に、かっぱに出会いましてね」
「ほう、頭にお皿を載せている、かっぱか」
「そうです。それが『相撲とろう、相撲とろう』としつこく言うんですよ。虚弱体質の私に対して。かっぱはよほど相撲が好きなんですな」
「虚弱体質のその割には師匠、最近恰幅が良くなっていますな」
「ストレス性の過食と運動不足で太ったんですよ。それはともかく、かっぱが、しつこく言うもんだから、仕方なく相撲を取ってやりました」
「ほう、それでどうなりました? 負けて、尻子玉取られましたか?」
「ところがね、取り組みの最中に、魚屋の勝が血相変えて走ってきました」
「なんでですか?」
「『この、かっぱらい。俺が拾った財布を返せ』ってね」
「芝浜みたいですな」
「そうです。私は言いました。『かっぱは盗んでないよ。これは夢だからね』要するに午睡の夢だったんでした」
「わはははは。もろに芝浜にかかってるじゃないか」
「ホラを吹くのが落語家の仕事です」
「なるほどな。さすが私の師匠であるな」
有象は口髭を撫でた。
「先生、ところで、小説の方はどうなりました?」
「どうもこうもない。編集者が変わってな、私のくすぐりを全否定しおって『もっとストーリー性のある作品を作りましょう』と言う。私の小説から、洒落やギャグを除いたら何になる。何の知識も面白みもない。駄作が出来上がるだけだ」
「そうですね。ところで私のことをモデルにした小説はどうでした? 売れましたか?」
「売れ行きはイマイチだが、ギャグ満載だからな。私の固定ファンは読んでくれておると思うよ」
「売れ行きはイマイチなんだ……」
「まあ、そう嘆きなさんな。師匠の名に傷はつけてないからね」
「そうですか」
「じゃあ、そろそろ酒盛りにしようよ」
「西郷酒盛」
「わはははは、幕末ギャグがでましたな」
いつもこんな調子で、まともな落語の稽古など、したためしはなかった。怠け者の二人らしい。
二人が酒盛を始めたので今日はこの辺で話を止めよう。次の話があるかどうかは、みなさまの反応次第である。
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