素直に機械による支配を受け入れない人間はどうかしている。
どうやら異世界から来た人間が、各地で装置を壊して周っているらしく、正直何を言っているのか全然分からないけれど事実は事実、ということで、ぼくは調査に出向くことにした。外出をするのは何年ぶりだろう?
自宅の前に待っていてくれた車に乗りこみ、ぼくは我が身の不幸を憂えた。なんでぼくがそんな面倒なことをしなきゃあいけないのか。異世界ってなんだよ。まあしかし外に出るというのは稀有な体験でもあり、一応端末で画像を記録して配信をしながら目的地に到着するのを待つ。いくつかすぐに短信がついて、それだけは少し嬉しかった。
小一時間ほどで、両手から謎の発光体を出して装置に攻撃をしている人間を発見し、ぼくは車から降りる。
「あの、その装置を壊されると、ぼくたちは困ってしまうんですけど」
「ああ、やっとこの世界の人間に会えた。おれの工作のおかげだな! きみたちは自由だ! 自由な人間性を謳歌しよう!」
なんだか良く分からないことを言って、上機嫌になったように見えるその人間は、発光体をより巨大にし、装置にぶっつける。ずうん、と腹に響くような音がして、装置が中ほどからへし折れ、ばちばちと火花が走っている。
「ああ、なんてことを。これを修復するの、結構大変なんですからね」
「これでこの地区の人間の一割は開放された! さあ、きみ、次の装置に案内してくれたまえ!」
「あの、開放って、えっとですね」
話が通じない予感がすごくする。ため息をついて、ぼくは、端末を取り出した。破壊命令が書いてあれば楽だったのだが、残念なことに一旦意思疎通を行えと書いてある。
意思疎通。生身の人間と? 気持ち悪っ。
それでも機械の指示であるから、仕方なくぼくは名乗る。
「ええと、ぼくは、モモリロという名前です。どうも、はじめまして。あなたのお名前は? どこから来たんですか?」
「ふむ。モモリロ、よろしくな。おれは
怖いよこの人。もう一度端末を見るが、やはり意思疎通を行うという指示は変わってくれない。参ったなあ。
「テンホーチギさん、そうですか。わかりました。ただですね、良く分からないんですが、別にぼくたち、解放される必要は感じていないというか」
「智顗でいいぞ。いやそんなはずはない。人間が人間と交わることなく、ひとりぼっちで死んでいく世界! そんな世界が正しいはずはないッ!! おれは、この、神から授かった力でェ……ッ! たとえきみたちのために、この身を削ることに、なろうとも!!」
「別に交わっていない訳ではないですよ。今も、ほら、この動画を配信したら、みんな短信をつけてくれています」
「ほう?」
テンホーチギは興味深そうに端末を眺める。そしてぷるぷると震えだした。
「なんだ、こいつらは。機械信奉者か」
「ええ? いや、別に信奉も何も。そういう言葉はぼくたちにはないです」
顔面中に皺を寄せて、くしゃくしゃの形相をして、テンホーチギは言う。
「しかしこのコメントは、おれのことを気狂いだの、気持ち悪いだの、迷惑だの、そういう悪口雑言ばかりではないか。なぜだ。おれはきみたちの人間性を解放し、自由な人間の生活を取り戻そうとしていると言うのにッ」
「そう言われても。ぼくたちはたぶん、過去最高に自由な人間の生活を謳歌していると思いますが」
「そんなはずは無いッ」
テンホーチギは絶叫し、地団太を踏んでめちゃくちゃに発光体を装置にぶつける。これは八つ当たりというものだと思う。もう壊れているんだから、これ以上壊したって大して意味はないのに。
「あのう、それ以上壊しても無駄っていうか、どうせもう新しい装置を作ることになるから、まあそれで気が済むなら全然かまいませんけど」
「何故だッ! 何故なんだッ! 仕方ない、君に真実の人間の生活を教えてやるッ!! その機械で配信をしろッ!! いいか、人間というのはな、人間同士で交わって暮らすべき存在なんだッ! 機械に支配され、カプセルホテルのようなせまっくるしい建物に押し込められ、その中で誰とも関わらず過ごすなんて、人間のやることではなぁいッ!」
「そんなことないですって。大体誰とも関わらずは間違いです。ぼくたちは日々色々な人と交流し、意見を交わし、お互いが創り出したもの、お互いの言葉を尊重して暮らしています。各自が、各自の好きなタイミングで寝て、起きて、運動して。それのどこが悪いってんですか」
「悪いに決まってるだろうがッ!」
決まってないから聞いてるんだけど。あとこの人、語尾がうっとうしいな。
「じゃあ逆に聞きますけどね、菜箸の両答論法ってご存知ですか?」
「なんだそれはッ!! 知るかそんなものッ!」
「古い時代には、ぼくたちの世界でも、人間同士の交流、たとえば結婚、と呼ばれる制度がありました。でもですね、例えば、菜箸を洗いますよね。その後、あなたは菜箸をどっち向きに箸立にいれます?」
「はあ? 下向き、つまり、箸の食物等をつまむ方を下に入れるに決まってるだろうがッ!!」
「それが決まってないんですよ。だから両答論法なんです」
「なぜだッ! 上向きに入れたら、持つときに先端を触ることになるから、汚れるだろうがッッ!」
「それは取り出すときに箸の腹の部分を持てば解決しますよね。上向き派の主張は、下向きに入れた場合、箸立の底にたまった水で一番細菌等が繁殖する可能性が高いのだから、上向きに入れておいた方が清潔だ、というものです」
「はあ? そんなの、おかしいだろッ!」
「そうですか? これはこれで正論だと思いませんか?」
「思わんッ!! そんな奴は頭がおかしい、狂人だッッ」
「……という風になって、そこには争いが起こるわけですよ。人間と人間が共同生活しようと思ったら、そういうクソくだらない決まりが各自にあるから、お互いが譲歩しなければなりません。でも、お互いにとってそれは常識なので、譲歩するもなにも、相手の常識外れの行動を修正しなければならない、という使命感に駆られ、結局争いが起こる訳です。だったらどうしたらいいか。そもそも一緒に暮らしたりしなければ良いのです。旧時代では、個人で暮らしている生活は老後と呼ばれる人生の終焉期、身体機能や認知機能の低下がみられる時代をケアしてくれる存在がどうしても必要だったので、家族制度というものをとった訳ですが、その部分は今や機械が全部補ってくれますからね。そうなったら、わざわざ一緒に暮らして、お互いにストレスを溜める必要なんてないわけですよ」
「しかしなあ。じゃあその、繁殖、性行動はどうするんだ」
「繁殖に関しては、適当に遺伝子情報をチャンプルーにして、機械の方でやってくれます。ぼくたちがぼくたちの生活範囲で適当にヤって回るより、多様な遺伝子形態が保全されるので、むしろ人類の存続確率は上昇すると計算されています。性行動については、これだって、各自でヤった方が本来は話しが早いんですよ。人間の性癖って、無限だし。だからそれに合わせた性具を作ってもらって、映像を配信してもらった方が健全だし平和です。どうしても生身じゃあないといけないという一派もいるので、そういう人たちにはそういう人たち用の社交場もありますし。ぼくは気持ち悪いから嫌ですけど」
「ダメだ。きみたちは、完全に機械に洗脳されている。俺がッ! 俺がきみたちを救うッ!
テンホーチギが何やら叫ぶと、両手からまた違った色の発光体がぼくに向かって飛んでくる。うわ、なんだよ。気持ち悪ッ! あ、口調がうつってしまった。
光がぼくの頭のあたりでうろうろと這いずりまわるが、それ以上のことは何も起きなかった。しばらく目をつむっていたが、ただ瞼の裏が眩しいだけだったので、目を開き、頭のまわりを蠢く光を手で払う。光はあっけなく地面に落ち、消失する。テンホーチギは愕然としている。
「な……、な。まさか、きみは、
「知りませんけども。まあ、そういうことなんで、とにかくこれ以上の破壊はやめてくださいね。このあたりには機械の介護がないと生活できないお年寄りとかもいる訳ですから、ほんと迷惑です」
「な……おかしい……そんなはずは……ッッ」
ふと気づくと、呆然としているテンホーチギ(とぼく)を取り囲むように、移動装置が集結していた。修理装置かな。これも壊されると困るんだけどなあ。
端末を取り出してみると、「依頼完了。多謝」の文字があった。どうやらぼくの役目は終わったらしい。これで一安心だ。
「まあ、よくわかりませんけど、あとは機械にお任せしますんで。ぼくは帰りますね」
そう言って車に乗りこもうとするぼくの耳に、テンホーチギの叫び声が聞こえた。発光体を移動装置にぶつけているようだけれど、この短い時間で発光体の攻撃性を無効化する装置――たぶん、もともとの力場はぼくが偶然持っていたんだろう、と少しだけ誇らしい気分になる――を開発、実装していたらしく、移動装置は何もなかったかのようにテンホーチギを拘束し、どこかへ連れていく。残った装置たちは、新たな固定装置を組み立て始めている。良かった良かった。めでたし、めでたしだ。
ぼくは再び車に乗りこみ、久しぶりの外出と生身の人間の会話とで疲れた体を横たえ、眠る。優しい警告音が鳴り、車が自宅に到着したことを知らせてくれる。
ありがとう、と一言告げ、車を軽く撫でて、自宅に戻る。ぼくが配信していた動画を見て、ぼくのことを心配してくれていたひとたちからの暖かいメッセージが沢山送られている。そのひとつひとつに感謝の言葉を返して、それからぼくは食事を摂る。この食事だって、機械が作って提供してくれたものだ。人間がこの作業に従事するとなったら、物凄く面倒臭くて大変なことになるはずだ。それも分からず装置を壊し、まして機械を否定するなんて、本当に迷惑な人間だったな。
それからぼくは、今日外で見た景色の絵を描いて、それを配信する。何人かの人が、新鮮な驚きを伝えてくれ、ぼくは気分が良くなる。これが人間的な生活でないんだったら、何が人間的な生活だと言うんだろう?
テンホーチギはたぶん結構特別な力を持っていたと思うので(それに対抗できる人間を作っていたのは機械の凄いところだし、即座にぼくを指名したのも機械あってこそだ。人間だけだったら、きっともっとひどい被害が出ていただろう)、今頃機械たち、あるいは人間の中で、そういうことに興味がある人たちがチームを組んで、彼の『解析』をしているだろう。それが無事終わったら、彼もこの生活の良さを分かってくれるといいと思う。そうしたら、彼の暑苦しい語尾についても、意見を交わしてみたいと思う。
ぼくはそれでふと思いつき、人間の語尾とその特徴についてを書庫から検索し、語尾によって人間を特徴づけることについての論考を思いつき、そのことの記述に夢中になる。何にせよ、平和で素敵な世の中だ。
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