第3話 能ある虎は爪を出す
「しゃーな」
私は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
★
吾輩は虎である。
名はない。
なんて事はない。
私にもちゃんと名前がある。
シャーナという立派な名前が。
その名前が
「しゃーな!」
愛らしい仔虎の口から紡がれる。
最近言葉を覚えた仔虎の第一声は
「しゃーな、好き!!」
だったという……。
これはもう、族長夫婦の前で腹を見せて煮るなり焼くなりして頂くべきだろう。
普通、「パパ」とか「ママ」じゃないの?そう思う人間のお嬢さん。あなたは間違ってない。
虎の世界でもそうだから。
★
「しゃーな、しゃーな!くじゃすき!!」
「わかったわかった」
婚約者殿が私の前を通せんぼする。
可愛い。
因みに「クジャ」は婚約者殿の名前である。
「しゃーなもくじゃよんでー」
「……」
私は口をつぐみ、婚約者殿の脇をすり抜けようとした。
かぷり
喉にかみつかれた。
「ふはほ、ほんへ〜!!」
クジャも呼んでと言いたいらしい。
私は婚約してこの方、婚約者殿を名前で呼んだ事がない。
それは何故か。
自分でも分からない。
ただ、呼んでしまったが最後だと本能的な何かが私にストップをかけるのだ。
さて、どうしたものか。
このまま喋るストラップと化した婚約者殿を連れて歩くのも悪くはない。
が、名前を呼べ呼べはちょっと困る。周囲の眼差しに温さが増す。
そしてふと閃いた。
「ソレを次の満月まで止められたら考える」
ソレとは私の喉にぶら下がる事である。
この小さい仔虎はあの婚活の場を見て、番の喉に噛みつく事が愛情表現と勘違いした節がある。その翌日から顔を合わせる度に、私の喉に喰らい付くのだ。
別に痛くもないし、好きにさせていたが、どうにも周囲の視線が生ぬるい。
ほほえましいのではない。生ぬるいのだ。
母に相談したところ、子供の躾は大事とのお言葉を賜ったので、何度か窘めてはみたが、このあざといまでの可愛さに強く出られず今に至る。
婚約者殿は私の喉からぶら下がったままうーうー唸っている。
萌える。
そしてぼてり、と落ちた。
「しゃーな」
「ん?」
「しゃーなはくじゃすきー?」
ズキュゥーーーーーン!!
「……くっ」
私はまたしても心臓を撃ち抜かれた。
音声付きで首を傾げるとか、一体何の兵器だ!!
「しゃーなぁー?」
「…………き、きらい……」
びくん!
婚約者殿の全身の毛が膨らんだ。
「…………では、ない」
風船の空気が抜けるように毛が萎む。
「しゃーな、くじゃすきぃー?」
トタトタと私の目の前に回り込み、おすわりをして首を傾げる。
ぷいっと視線をそらせば、逸らした先に回り込み、おすわりをして首を傾げる。
「すきぃー?」
本当に何だ!この可愛い生き物は。
「すき、だめ?」
「……きらいじゃないじゃだめか……?」
好きって言ったが最後、欲望のままに抱きしめてもふりたい衝動が出そうでぐうっと喉の奥で唸る。
「じゃあ、すきだめだったら、なまえ、よんでー?」
「ぐっ!!」
そうきたか!!
「すきかくじゃかどっちか!」
ブルブルと身体が震える。
「くっ……!!」
目の前では愛らしさ大盤振る舞いの婚約者殿。
「しゃーな?」
ゴクリ、と喉が鳴る。
超可愛い。
本能が警鐘を鳴らし、私の
可愛いんだから、いいじゃない!!
名前くらいいいじゃない!!
いや、しかし、躾も大事だろう!
私は正義に更に否を叫ぶ
躾なんて後回しでいいじゃない!!
この可愛さは今だけの可愛さ!その価値プライスレス!!
確かに!!
今の私と
「そうだな」
私はあっさり正義に屈した。
「しゃーなぁ??」
婚約者殿が首を傾げる。
やっぱり可愛い。
その婚約者殿の名前をカラカラに乾いた舌に乗せる。
「クジャ……」
ぴんっとクジャの尻尾が立った。
ぶわり、と毛が膨らむ。
うつ向いてビルビルと震える婚約者殿。
「クジャ?どうし……」
「しゃーな、すきぃーーー!!!」
白い塊が飛びかかって来た。
「ちょっ!!!ま、待て!!あぶな……!!」
アワアワと慌てる私の顔面を白が視界を遮る。
顔面に貼り付いた婚約者殿を振り落とす訳にもいかず、そろそろと腰を下せば、ズルズルと器用に私の身体を伝って降りていく。
そして、私の腹にスリスリと全身を使って愛情表現をする婚約者殿。
(ああー……)
私は敗北を悟った。
私が勝てる訳がないのだ。
可愛いを正義に置いた時点で私の負けだったのである。
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