第3話 ディンギー・キニア

 翌日早朝。夜明け前。東の空がだいぶ色を変えてきた。季節柄寒くはない。イーストポートからは他のタワーが三本ほど見える。根本はみんな雲海の下だ。海面はまったく見えない。

 ゼロは探し屋の代金として、牛飼いのガーレスから滑空船をせしめていた。滑空船はイーストポートに係留して毎月500カレントを支払っていたのだが、めったに乗り出す機会がなかったから、そのうち何かの支払いの際に当ててしまおうかと考えていた。滑空船なんかを持っていても、塔の外には何もないし、塔の逆サイドに行くなら滑空して外周を回り込むより、真ん中を抜けたほうがよほど早いからである。マスター(何代目かは知らない)にツケの話を持ちかけられたら、それに当ててもいいんじゃないかと思ったんだが、特に何も言われなかったので、しらばっくれておいた。コンビーフは貴重品だから、たぶん今回の貢物で相殺されるか、逆に貸しになるんじゃないかと思う。

 ゼロはざっくりと皮算用をしながら、コックピットに潜り込んだ。後部のデッキではインフィニティが、ブースターの点火合図を待ってぼーっと座っていた。朝が早かったので、まだ眠いのだろう。いずれにしても、あと数分ですっかり目覚めることだろうから、放置が正解だ。

『管制より、探し屋ゼロへ。感度はどうか』

「ゼロです。よく聞こえます」

『船級・船名と出航目的を』

「ディンギータイプ、船名はキニア。目的は墓参り」

『書類と一致。出航を許可する。ブースター?』

「北回りで飛びます」

『へえ。グッドラック』

「出ます」

 シグナルがレッドからグリーンに変わり、係留ポールから、ゼロとインフィニティの〈キニア〉が離れた。ふわりと風をつかんで斜めに流れていく。

「五秒前」

『はいな』インフィニティから返事が聞こえる。

「3,2,1、点火」

 ドウンという着火音とともにロケットブースター(有線)が加速を開始する。インフィニティがGを無視して後部コクピットに飛び込むと同時に、ロックが開放され、キニアは上昇角で発進した。リング状の船体の内側に力場が形成されて、前方から流れ込むエーテルを弱プラズマ化して後方に送り出す。瞬時に連鎖反応を起こして前方のエーテルラインに食いつくように加速していく。北から流れてくるエーテルの渦は全く眼に見えないが、コクピットパネルに示された力場計は、確実に北に向けて船体が進んでいることと、それが仰角になっていることを教えてくれていた。

 ブースターの噴射が収まったところで、ユニットは低く響く金属音とともに自動的に切り離され、ディンギーはエーテル振動だけで前に進むようになった。エーテル連鎖だけで進む滑空船は、自発的な動力を持たないので、長時間の上昇は難しい。遠からずエーテル振動の推進力を、船体の重量慣性と空気抵抗が上回り、失速することになる。ゼロは上昇計をにらみながら、想定される墓地の所在との位置関係の推移を計算していた。

「ゼロ?」

「あ、待ってまだ」

「あいい」

 インフィニティはあまりに暇すぎて、ゼロに話しかけてみたが、手演算中の操縦士にそれに応える余裕はまったくなかった。コクピット側のキャノピーからは塔の外壁しか見えず、まったく面白みがなかった。逆側のハッチのシールドからちらっと覗いて見てみたが、そこは構造上リングの内部であり、プラズマの弱々しい光がチラチラ見えるだけで、こちらも眺めは悪かった。ゼロが座るシートの背面に小型のディスプレイがあるのだが、小さすぎて明るいか暗いかしかわからない。明るくなってきた3番のディスプレイをじっと見ていたら、ちらりと日の出が見えた。

「朝!」

「よし」

 ゼロは上昇をやめて、水平飛行に切り替えた。まだ東壁側にいる。ディンギーを回転させて、コクピットがリングの上側になるようにしていく。シートは少しずつ自動的に角度をかえて、重力に対して垂直を保ってくれる。じわじわと水平線から生まれてきた今日の太陽がインフィニティにも見えてきた。

「きれい」

「ゴライコー久しぶりだ」

「ちゃんと見るの初めてかも」

「お前は寝坊しすぎなんだよ」

 インフィニティはペーと舌を出し、抗議の意味でゼロの頭をクシャクシャと揉んだ。

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