第3話 丘の図書館
エアステンスの依頼は、とくに期限を設けられたわけじゃないので、すぐにとりかかる必要はなかったのだが、他に仕事があるわけじゃないし、このまま天使のたまごを探し始めることにした。
たまごもあるし、一度うちに帰ろうかとも思ったが、「図書館」はこのすぐ上のフロアで、しかも階段に近いものだから、そのまま立ち寄って調べ物まで先に済ませてしまおうとゼロは考えた。
とにかく今のところは、天使のたまごというものがどんなものなのかまるでわからない。大きいのか小さいのか。硬いのか、軟らかいのか、白いのか、どうなのか。
天使はたまごを生むのか。天使とはどのようなものなのか。
赤ん坊に羽根が生えたようなものだというイメージはあるが、それが果たして正しいのかまるで自信がなかった。そもそもたまごは、この殻のあるたまごと同じたまごなのか。いろいろと考えてはみたが、答えを知らないゼロがいくら考えても無駄なことだ。ひとまず考えることをやめて、早く図書館に行くべきだった。
「図書館」という名前の語源は、図書、つまり本を集めておいておく家のことだ。昔そういう施設が街ごとにあったらしい。本というのは、物語や意見を紙に書いて束ねておくもののことだ。そういうものをたくさんあつめて、読ませたり、貸したり、返すように催促したり、倉庫に仕舞ったり、また出してきたり、古くなったら捨てたり配ったりする場所のことだ。今とはだいぶ違う。
この図書館に本というものはない。人がいるだけだ。図書館員たちは日長一日お茶を飲みながらぼんやりひなたぼっこをして、客が戻ってくるのを待っている。ゼロのような利用者は。彼らから情報を借りる。借りて、返す。借りた情報は、貸した方は忘れてしまうのだから、返さないといけない。必要に応じて、情報を取り出したり、戻したり、する。
もしも、利用者が図書館で図書館員から情報を借りて、借りたまま死んでしまったとしたら。
その情報は永久にこの世界から失われるのだ。
きれいさっぱり消えてしまって、以降、誰も知りえないことになる。
過去に消えてしまった情報があるのか、ないのか。それはわからない。
消えてしまった情報は誰も知らないのだし、知ってるならまだ消えていない。
今日の図書館は丘の草地にあった。前に来たときはもっと東の神殿にあったのだけど。めいめい好き勝手に敷物を敷いて座っている。丘のてっぺんは見えているけれど、裏側がわからないのでどのぐらい図書館員が来ているのかわからない。
天使のたまごについて誰か知っているといいのだがなあと、ゼロは思っていた。
当然誰も知らない可能性だってある。
現にゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲムについて調べたときは、五十人ほどに聞いて回ったが、誰一人として知らなかった。その時はちょうど貸し出されていたからだ。翌月に行ったら三人めでわかった。情報が返却されていたからだ。そういうこともある。
ゼロは経験上、情報があるときはだいたい七人めぐらいまでで情報に行き当たるが、情報がないときは何人に聞いてもわからないので、最大でも十人までしか聞かないことにしていた。過去十一人以上に聞いて、情報に行き当たったことは一度しかない。たまたま、三十人めに情報が返却されたときに出くわしたというだけだ。
今日は多くても五人ぐらいにしておこうと思っていた。
まず、メガネで細身の箱形の男に声をかけた。名前はヴィブルといった。
「こんにちわ」
「やあ、いらっしゃい。図書館へようこそ。返却かい?」
「いえ、今は何も借りていません」
「貸し出しか」
急に偉そうな態度に変わるが、それは仕様だ。ぼくは立ったままでお辞儀をして、
「リファレンスをお願いします」
と、頼んだ。これは
「いいとも。なんについてだね」
「天使のたまごを探しています」
「天使はたまごを生まない」
箱形はそう断言した。そして続けた。
「なので、天使の生んだたまごというたまごは存在しないと思われる。そもそも天使は何も生まない、生み出すのは神だ。神はいろいろ生む。ただし育てない。育てるのは人の仕事だ。神が生んだものを人が育てる。天使は人が育てたものを、神の元に戻すのが仕事だ。天使についてもっと知りたいか?」
「天使についての情報はいらないなあ」
「そうか。では他をあたってくれ」
「ありがとうございました」
ゼロはリファレンスを終了した。
箱形は満足げに微笑んで手を振った。
天使はたまごを生まないということがわかった。これは確定情報だ。
貸し出される情報、つまり「複製できない情報」とはそれらに関するする「全ての情報」である。リファレンスや検索の残滓はゼロが忘れない限りしばらくは残る。ただし、その場で聞いていないことはわからない、ということだ。
ゼロはとなりにフリルの少女がいたので同じことを聞いてみたが、天使のたまごは知らなかった。少女はキャロルといった。たまごも知らなかったので、一つ取り出してみせてあげると目をキラキラさせて喜んだ。欲しいとねだられたが断った。こどもにたべものをあげてはいけないからだ。
少し歩いてみて、白髪のエプロンの女と目があった。ゼロが話しかけると、エプロンの女はマダム・オワという名だった。天使のたまごについてはまるで知らなかったが、手足の生えたたまごが塀の上から落ちて割れた逸話なら知っていると言った。それは、ゼロの知っているたまごとだいぶ違うが、たまごにもいろいろあるらしい。
四人めの図書館員は、苔が生えた石の男だった。名をマシモスといった。図書館員には必ずそれぞれに名前がある。この世界は名前のないものは存在できないから当然といえば当然だが、「図書館員」という名前の人物はいないのだ。
「リファレンスをお願いします」ゼロはマシモスにお辞儀をした。
「ああ、座りたまえ」
「はい」ゼロは言われるままに靴を脱いで
「調べものかい?」
「はい、天使のたまごを探しています」
苔男はふむ、とあごに手をやって、しばらく考えてから言った。
「たまごとは、生物の増殖の手段としての卵か、それとも食材のことか」
「天使はたまごを生まないそうなので、どちらも違うようです」
「で、あれば概念としてのたまごということかもしれない」
「概念ですか。コンセプト?」
「ノーだ。アブストラクションの方だ」
抽象概念とはどういうことだろう。ゼロはその言葉の意味を知らなかった。
「それはどんなたまごですか?」
「たまご的な存在とでもいえばいいのかな」
「的な?」
「芸人のたまごと言うだろ。金のたまごという言葉もあるな、これらはたまごではない。人だ。そして、芸人でも金でもない。二つが組み合わせることで、違うものに変質する。金のたまごというのは、Auのことではなく、マネーを生む存在という意味だ。これから稼ぎそうだなあという所属芸人についてそのように言う。搾取側の言葉だ。そしてそれは投資対象でもある」
なるほど。ゼロのような賞金稼ぎには「駆け出し」はあっても「たまご」ということはないのでよくはわからないが、
「つまり、天使のたまごとは、天使の候補生のようなものであると」
「そのような可能性を内包していると私は考える」
「情報はありますか?」
「これは私の推理にすぎない。情報としては持っていない」
「ありがとうございました」
ゼロがリファレンスを終了すると、苔の男マシモスはふたたび沈黙した。苔がしゃべっていたのか、男がしゃべっていたのか、果たしてどちらだったのだろうか。
天使の候補生という可能性はおもしろかった。で、あれば最初の箱形から天使の情報を借りるのが早道だ。ゼロは今来た道を戻って箱形のところに行った。箱形のヴィブルは先刻と同じように陽を浴びてぼんやりとしていた。
「こんにちは。ヴィブルさん」
「やあ、天使のたまごの人。返却するものはなかったよね」
「はい、貸し出しをお願いします」
「天使について?」
そうだ。この図書館員は天使のことなら知っているからだ。ゼロはとりあえず天使の成り立ちについて調べることにしたのだった。
「そうです。お願いできますか」
「いいとも。貸し出し期限は一週間だよ」
「大丈夫です。たぶんすぐ返します」
「検索にしとけば?」
基本的に図書館員は貸し出しを渋る。
「そうですね。天使ってどうやってなるんですか?」
「天使は最初から天使だ。何かが天使になるわけではない」
「ずっと天使?」
「いや、堕天すると悪魔になるな」
「天使は悪魔のたまごということ?」
「面白い発想だが、そう言い方はあまりされていないな。そもそも目的としていなければたまごとは言わないのではないか」
それもそうか、とゼロは思った。他にもいくつか聞いてみたが、天使の候補生としての天使のたまごの可能性は否定された。これでは情報を借りても仕方がない。検索を終了して、ヴィブルと別れた。
気がつけばだいぶ日が昇ってきていた。やはり一旦家に戻って出直そうかと、ゼロは考えた。
ただ、現金収入の得られない仕事はできるだけ早く済ませてしまいたくもあった。明日までかかってしまうと、二日分の赤字になるからだ。それは面白くない。出直してくると余分な時間もかかってしまうし。あと一人誰かに話を聞いて、それでだめなら他の方法を考えよう。とゼロは決めた。
ヴィブルのシートの後ろ側(丘の頂上に近い方)に、犬のような顔の図書館員がいた。目が合ったので話しかけると、名はガードッグといった。
「お前さん、天使のたまごを探しているのか?」
「え、はい、そうです」
「すまんな。さっき話が聞こえてしまったのだ」
「何か知っていますか」
「知っている」
おっと、とゼロは喜んだ。ゼロを気にかけていたので、こっちを見ていたということか。図書館員はそういうところがある。リファレンスを申し込むまで図書館員から話かけることはないが、聞こえてきた会話に興味を持つこことはある。そして興味を持つときはなんらかの情報を持っていることが多い。情報が情報を呼ぶということだ。情報の方から、それを求めるものへと近寄ってくることは、実際によくある。
「リファレンスをお願いします」
「いいとも」
「天使のたまごとはなんですか?」
「あれは、物語のタイトルだ。たまごそのものでも概念でもない」
そういうことだったのか。ゼロはその可能性は考えていなかった。
「ここで借りられますか?」
「すまないが、ここにあるのは
それは借りても仕方がない。
「どこで借りられますか?」
「書誌情報には書かれていない」
参ったな、とゼロは思った。図書館にあればそれで済んだのが。又貸しはできないから、エアステンスをここに連れてくる必要はあるが、それでゼロの仕事は完了のはずだったのだ。
「誰かが調べた補足情報はある」
「教えてください」
「この物語は、持ち主がいない」
「それは古いからですか?」
「いや、手続きの問題で、当初から持ち主が曖昧だったようだ」
「
「そういうことだな」
で、あればそれは探し屋の仕事だ。図書館にもう用はない。ゼロはリファレンスを終了した。そこで、一つの可能性について思い当たった。
「あ、ガードッグさん、一つ聞いてもいいですか?」
「なにかね」
「天使のたまごについて、前に誰か聞きにきましたか?」
「きたよ」
「お婆さんでしたか?」
「そうだよ。知り合いか?」
「いえ、まあ、そんなところです」
ゼロは礼を言って、図書館をあとにした。
つまり、ここまではエアステンスが自分でたどっていたということだ。
問題は、天使のたまごがどちらの街にあるかということだ。つまりガッデン・ストレージから行くか、ヴェニスンから行くか、だ。
少し考えて、ゼロは、まずガッデン・ストレージに向かうことに決めた。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます