第2話 探し屋ゼロ

 朝食の前に2フロア上の市場の掲示板を見に行くのがゼロの日課だ。

 依頼は前日に組合が受け付けて、翌朝の開場と同時に貼り出されるからだ。

 だったら開場時間の午前四時に行けばいいのだが、そんな早起きする輩はそうそういないので、何年か続けているうちに普通に起きて朝飯の買い物の前に寄れば済むことがゼロにもわかってきた。ただし、朝食の後に行くとさすがに間に合っていない。

 掲示板に良い依頼がなければ、市場や下のフロアの〈盛り場〉を回って得意先を回ってご用聞きをしなければならないが、それは空振りも多い。できれば市場で見つけたいと思っていた。


 それに、今朝はたまごも買わないとならない。昨日使ってしまったからだ。

 先にたまご代以上になる仕事を確保してからの買い物にしておきたかったが、それだと売り切れてしまうので先にたまご屋に寄った。蓄えがないわけじゃないが、二日連続での赤字生活は気分が悪い。インフィニティはあの通り大らかであるが、ゼロは極端に几帳面で、仕事のノートの下半分は家計簿になっていた。そして、その日ごとに可能な限り赤字にならないように努めていたのである。


 市場へ向かう階段を上っていく。眼下には雲海が広がるいつもの光景だ。

 遠くに他のタワーが霞んで見える。今日は3つしか見えていないが、霞がなければ7つほど見える。

 よそのタワーに行ってみたいと思うこともあるが、飛んでいくのは大変だし、地上に降りて歩くのは骨だし時間がかかる。最上階では繋がっているらしいが、本当かどうかわからない。そもそも〈ガラスの天井〉を破らなければ上までは行けない。なによりゼロは今のタワーの生活に不服はなかった。インフィニティがいるからだ。


 無料のたまごか格安のたまごがあればいいなと思っていたが、たまご屋の店頭には今日のところはそのような出物はなかった。仕方がないので標準価格のたまごを一パック買った。たまごを切らすといやなので、キッチンのたまご専用ストッカーには常に在庫があるようにしていた。だから昨日のような予定外のフレンチトーストは嫌なのだ。フレンチトーストにするのは、たまごに余裕があるときだけなのだ。


 ゼロはシロップも買おうかと思ったが、さすがにそこまで赤字にするのは嫌だったので、今日のところはやめておいた。二日連続でフレンチトーストを要求することもないだろう。昨日二人で夜更かししたので、インフィニティは今日は昼まで起きてこないだろう。


 市場の中央広場に常設の掲示板がある。このフロアは全体が市場になっていて、広場はタワーの中でも中央部なので一日中日が当たらない。屋台が並んでごちゃごちゃしている中に、場違いな小洒落た意匠の噴水装置があり、その脇にスチール製の掲示板がいくつか据え付けられていた。


 いつもの「お探し依頼掲示板」を見ると、マグネットでメモが貼られていたが、すでに歯抜けがあった。ゼロが残った依頼を順に眺めていると、あるメモが目についた。


『天使のたまご探しています』


 「なんだそれは」と思わず声を上げてしまった。隣のベテランっぽい探し屋がじろりとにらむ。ゼロは誰かに取られる前に手を伸ばして、天使のたまごのメモをはがした。


 メモの裏には依頼人の居所が書かれていたが、報酬は書いていなかった。そういう場合、報酬は金ではなくモノかコトで支払われることが多い。今回もその可能性が高い。できれば現金がありがたいのだが、金でない報酬は破格の価値があることが少なくないので、無視はできなかった。ゼロはひとまずこの依頼人に会ってみることにした。


 依頼人名の欄には「エアステンス」と書いてあった。居所のアドレスは市場から一つ上のフロアだ。上位のカスケードなので少し身分が高い人物なのかもしれない。階段からは少し離れているが、そこまで一時間はかからないだろう。たまごもあることだし、一度家に戻ってから出直すかとも考えたが、逆方向で面倒だったので、まずは話を聞くだけでもと、先に寄っていくことにした。


 それにしても、「天使のたまご」とはなんだろうか。天使というのはなんか赤ん坊に羽が生えたようなヤツだ。以前タワーの上の方を飛んでいるのを見た。あれはたまごで増えるんだったのか。そういえばこのたまごは何のたまごなんだろう。何かのたまごには違いないが、ニワトリだとは誰も言っていなかった。ひょっとしたらこれが天使のたまごかもしれない。だとすると、これを渡せば依頼は完了だ。実に手っ取り早い。


 エアステンスの家までは、途中にゲートがなかったので意外に早く着いた。表札は見あたらなかったが、扉に大きく「1」とサンセリフのゴシック体で書かれていた。呼び鈴もなかったので、ドアを三回ノックして、声をかけた。中から老婆の声がした。


「どちらさんで?」

「探し屋です。ゼロといいます。市場でメモを見たんですが」

「ああ」

「たまごの依頼の方ですよね?」

 ガチャガチャと音がして、扉が開いた。声の通りの老婆がのぞき込んだ。訝しんだ表情だったが、ゼロが差し出したメモを見ると相好を崩した。なかなかチャーミングな方だ。老婆は扉を開き、どうぞどうぞとゼロを招き入れた。


「朝食はお済みかしら?」

 エアステンスと名乗った老婆が聞いてきた。ゼロはお構いなく、と答え案内された窓際の席に腰掛けた。老婆の部屋はウッディな調度品で小綺麗にまとめられていて、住み心地が良さそうだった。戸棚には空き瓶がいくつも並べられていた。さまざまなかたち、さまざまな色。大きいもの小さいもの。窓の上の棚にも左右の棚にも飾られていた。


 エアステンスは紅茶を二杯入れ、片方をゼロに差し出した。礼を言ってひとくち飲むと、胃袋がふわっと暖まった。ひと心地ついたところでゼロは切り出した。

「依頼の件ですが、詳しくお話を聞かせてもらおうかと」

「ああ、そうね。手に入ったのかしら?」

「それは、これですか?」

 ゼロはエコバッグのたまごを一つ取り出して見せた。エアステンスは首を振って否定した。

「それは違うわね。それはニワトリのたまごよ」

 ニワトリのたまごだったのか。ゼロは一つ勉強になった。

「アヒルの可能性は?」

「さあ、どうかしら。少なくとも天使のたまごではないわ」

 そうですか。とゼロはニワトリらしいたまごを仕舞い込んだ。


「どういうたまごなのですか?」

 ゼロの問いかけに、エアステンスは、深く溜息をつきながら答えた。

「わからないのよ」

「わからない?」

「見たことはないの」

 なるほど。見たことがないのならわからない。当たり前だ。実のところ、見たことがないから探しているという依頼人は少なくない。そもそもこの世界では見たことのあるものを手に入れるのは簡単だ。欲しいと思っていれば、そのうち手に入る。買うにしろもらうにしろ、手には入る。探し屋に依頼をするのは、見たことがないか、急いでいるか、その両方かだ。


 ゼロは老婆の依頼を引き受けることにした。もちろん報酬次第だが。

「わかりました。報酬はなんですか?」

「なにがいいのかしら」

「そうですね。現金がありがたいんですが、相場は普通のたまごなら二十メガぐらいです」

〈メガ〉はこの塔の通貨単位だ。ただし、

「天使のたまごがどんなものかわからないので見積のしようがないんですよね」

「お金はあまりないのよ。もうずっとこうしてここで暮らしているものだから、働いていないの」

 そうだろうな、とゼロは思った。それはこの部屋に来たときから予想していた。

「で、あれば何かモノか、コトでということになりますけれど」

 ゼロは部屋の調度品とか、なにかしてくれるとか、そういうことだと補足した。

「なにをすればいいの?」

 そうですねえ。コトの交渉が一番難しいのだけれど、この世界では貨幣なんかよりよほど価値がある。ゼロはエアステンスのキッチンを見て、思いついた。

「では、何かレシピを教えてください。美味しい料理のレシピです」

「あら、それはよかった。お安い御用よ」

 老婆はほっとした表情をした。ゼロも喜んだ。美味しいたまご料理のレシピでも聞き出せれば、インフィニティに食べさせてあげられるからだ。


「おわかりだと思いますが」

 ゼロはひと言つけ加えた。

「ボクに教えたレシピは、忘れてしまいますよ?」

「もちろん、いいわ。たくさん知っているから」

 この世界では、情報は複製できないのだ。


続く



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