第8話

 二週間が経った時、演習室で体術の訓練を受けていた仁優を一つの衝撃が襲った。衝撃の源は、壁に据え付けられたモニターから流れたニュースだ。

「謎の生物が現れ、市街地を破壊したのちに忽然と姿を消した事件から二週間……行方不明になっている大学生、守川仁優さんの消息は、未だに掴めないままです」

「俺……行方不明扱いになってたのかよ……!?」

 唖然とする仁優に、「そりゃそうだ」と言いたげな顔で様子を見ていた者達が口々に言う。

「誰にも報せていないんだからね」

「普通失踪扱いになるのは、生死が不明になってから七年後だったか? 早いうちに黄泉族を倒さなければ、死亡扱いをされて面倒な事になるかもしれんな」

「問題は無いさ。死亡扱いにされたら、死ぬまで私達の助手でもしていれば良い」

「いやいやいやいや! そういう問題じゃねぇから!」

 事も無げに言う夜末に対して、仁優は全力で首を振る。全力で振り過ぎて、途中から気持ちが悪くなった。

「何をやっているんだか……ところで、朝来に伝? 瑛の姿が朝から見えないようだけど……彼女は一体、どこで何を企んでいるのかな?」

「俺達が知るか、面倒臭い」

「藤堂も私達も、子どもじゃない。一々どこに行くかなんて言う必要は無いさ」

「けど、キミ達は瑛の眷族のようなものなんだろう? 瑛にもしもの事があった時、傍にいなくても良いのかい?」

「あくまで、〝ようなもの〟だ。俺達の間に、主従だなんだという面倒な関係は無い」

 天の言葉に反論する神谷と夜末の顔が心なしか強張っている。昔からの馴染みを良く思われていない事に対する反発と、最高神である天照大神に盾突く事への緊張感が綯い交ぜになっている……という感じだ。

 暫しの間、緊張感に満ちた空気が漂った。その様子に、仁優はおろおろとしながら兎に角声をかけてみる。それ以外に、この耐え難い沈黙を破る方法は無い……気がする。

「あっ……あのさ! 瑛がどこに行ったのか、俺、考えてみたんだけど……実は、案外その辺にいるんじゃねぇの? あ、その辺つっても、この施設の中とかじゃなくて。例えば、施設の裏に仔猫が捨てられてて、こっそり世話してたりとか! ほら、何かそういうのって漫画とかでよくあるじゃねぇか? 瑛とか、夜末や神谷みたいなクールな奴が、実は動物大好きってギャップで驚くような設定……」

 思い付きでどんどん喋り、途中で声が裏返り、声はどんどん小さくなっていき、最後に仁優はがっくりと肩を落とした。その様子を見て天は暫くぽかんとしていたが、やがて体勢を崩して苦笑をする。

「はは……ボクが瑛の事を嫌っているからって、キミ達にまで突っかかる事は無かったね。悪かったよ」

 その態度に、夜末と神谷もホッと緊張を解いた。そして、同じように苦笑をする。

「何を言うかと思えば……俺が猫の世話なんて面倒な事をするように見えるか?」

「神谷はやるだろうな。放っておいて、餓死した仔猫が化けて出たら面倒臭いだろうしな?」

「キミだって、人の事は言えないだろう、朝来?」

「……うるさい」

 一気に和やかになった雰囲気に、仁優はホッと息を吐いた。そして、それに呼応するかのように腹がググゥ……と派手な音を立てる。その音に、夜末が噴き出した。

「そう言えば、守川は三時間も訓練を続けた後だったな。休憩にしよう。……神谷」

「……何故俺に振る? 面倒臭い」

「お前が連絡した方が早いからさ」

 夜末の返答に、神谷は心底面倒そうな顔をしながら携帯電話を取り出した。一見極普通のありふれたガラケーだが、よく見るとサブディスプレイのアンテナの横に人魂のようなマークが表示されている。

「あのマークが出ている時、伝は霊や神、妖禍と話をしているんだよ。因みに、マークが出ていない時は普通の電話をしているから、余裕があったら注意してみると良いよ」

 天が説明する声に顔を煩げにしかめながら、伝は電話の向こうにいる霊だか神だか妖禍だかと会話を続けている。

「……そうだ。泣き言を言う暇があるなら、その分急げ。また朝来に痛い目に遭わされるぞ。……それについては同情しないでもないが、仲裁はしないぞ、面倒臭い。……わかった、わかった。良いから急げ」

 溜息をつきながら、神谷は通話を終了した。その後、電話を仕舞いながら、困った人間を見る目付きで夜末の事を見ている。

「あ、あの……えっと……今、電話をかけたのって?」

「施設内にはいるが、私が直接出向くよりは電話で連絡した方が早いと思える程度の距離にいる奴さ」

 夜末が神谷に代わって説明するが、ほとんど何の説明にもなっていない。仁優が首を傾げていると、いつしか扉の向こうから騒がしい音が聞こえ始めた。バタバタバタという、周りの目も気にせず一心不乱に走っているような足音だ。

 やがて、パシュッという音と共に扉が開いた。

「朝来様っ! お望みのおにぎり、お持ちしましたっ!」

 入ってきたのは、線の細い少年だった。見たところ、十五歳か十六歳ぐらいだろうか? 背はそれほど高くはない。髪は、緑がかった少し長い黒髪を首の後で括っている。そして、驚くべき事に、肌全体に鱗のような物が生えていた。

「まぁまぁの早さだな。私は良いから、守川にやってくれ」

「はいっ!」

 元気な返事をして、少年は仁優の元へとやってくる。

「……えーっと?」

 この二週間、一度も見た事の無い少年を、仁優はまじまじと見詰めた。すると、少年はくしゃりと顔を歪めると、勢い良く仁優に向かって頭を下げた。

「先日は、恐れ多い事をしてしまい申し訳ございませんでした、仁優様っ!」

「……は? ……悪い。俺、どこかで会ったっけ? でもって、お前に何かされたっけ……?」

 本気で思い出せず、仁優は頭を掻いた。すると、その後から夜末が楽しそうな声で言う。

「わからないのも、無理は無いさ。守川、そいつは二週間前、お前を襲った八岐大蛇だよ」

「……へ!?」

 目を丸くして、仁優は少年を再度まじまじと見た。……なるほど、言われてみれば、肌は何となく蛇っぽいかもしれない。……が、大蛇との共通点はそこだけだ。第一、何であの時瑛に倒された筈の八岐大蛇が、こんなところで人間の姿をして、召使のような事をやっているのか。

 頭の周りを疑問符が舞い踊り始めた仁優に、天が説明を始めた。

「朝来には、妖禍を従える能力があるんだよ。妖禍と一口に言っても、中には大人しい性格の奴もいる。そういった妖禍や、戦いで弱らせた妖禍を調教し、配下に置いて使う事で朝来は様々なサポートをしてくれる。人手が足りていない葦原師団としては、実に助かっているよ」

「……というわけで、今お前の目の前にいるのは、私の配下になったばかりの妖禍、八岐大蛇のオロシだ。首を七つ封印したらこんな幼稚な性格になってしまった上に、完全に人間に化ける事が未だにできずにいる未熟者だが……元がアレだ。いざという時は役に立つはずさ。……と言うか、役に立って貰わないと立場的に私が困る」

「……とりあえず、家事の役には立ってるみてぇだし、良いんじゃねぇの……?」

 言いながら、仁優はオロシが持ってきた握り飯に齧り付いた。絶妙な塩加減で、かなり美味い。

「……美味っ! ……え、何だよこれ? ここまで美味い握り飯、俺、食ったの初めてなんだけど……。すげぇじゃん、オロシ! こんな美味い飯が作れるなら、ぶっちゃけ、まだ一度も実戦に参加してねぇ俺よりも役に立ってんじゃねぇの?」

 言ってから、仁優は自分が今現在役立たずだという現実を認識し、勝手に落ち込んだ。落ち込みながらも、もそもそと握り飯を食べる。やっぱり、美味い。

「そ、そんな……恐縮です。ところで、あの……仁優様?」

「?」

 仁優が視線をオロシに向けると、オロシは少しおどおどとしながら、仁優に問うた。

「あ、あの……怒って、らっしゃらないんですか? 僕は、二週間前にあなたを殺そうとしたんですよ? なのに、僕を目の前にして怒る事もしなければ、僕の作ったおにぎりを食べて、美味しいとまで言ってくださって……嬉しいんですけど、何か逆に怖いです……」

 最後の方は言葉が尻すぼみになり、オロシは朝来の後に身を隠そうとした。それを朝来が、首根っこを掴んで引っ張り出す。

「だってさ、八岐大蛇とオロシって、ビジュアル的にも性格的にも、どうしても結び付かねぇし。……そういや、さっき夜末が首を七つ封印したら、とか、こんな幼稚な性格になってしまった、とか言ってたけど。それって……」

「あぁ、僕はですね、首が八つありますけど、首ごとに性格が違うんですよ」

 コポコポとお茶を湯呑に注ぎ入れながら、オロシは言う。

「八つって……とりあえず、一つはお前だろ? あとの七つってどんな性格なんだ?」

「えぇっと……恥ずかしながら、それぞれが傲慢だったり、嫉妬深かったり、怒りっぽかったり怠け者だったり、強欲なのとか暴食するのもいますし。あ、あと色魔な性格の首もいます」

「そして、その愚かしい性格の首どもを全て封じていくと、最後になけなしの良心であるオロシが出てきたというわけさ」

「何だよ、そのキリスト教とギリシャ神話と古事記を混ぜ合わせたような妖禍……各方面から怒られるぞ……」

 怒られる、という言葉に、オロシはヒッと首をすくめた。一体夜末に、どのような調教をされたのか……。はたまた、元からこの首はこういう性格なのか。

 ビクビクしているところで夜末に手刀を喰らい、目を潤ませているオロシを眺めながら仁優は握り飯を平らげた。腹が満ちたところでもうひと訓練しようかと腰を浮かせた時だ。

 突如館内に、けたたましいアラームが鳴り響いた。緊急時を報せるその音に、仁優を初め、その場にいる全ての者がハッと息を呑む。

 演習室の外から、駆け足の音が聞こえてきた。先ほどのオロシと比べると、騒がしい音ではない。

 扉が開いて、眼鏡の青年が姿を現した。背の高い、真面目そうな青年だ。歳を正確に訊いた事は無いが、仁優と同じか、少し下くらいに見える。

「何があった、要?」

 天に問われ、青年――倉知要は慌てる事無く、だが、早口で告げた。

「黄泉族の襲来です。場所は、角善デパートの辺り。雷獣や黄泉醜女の他、妖禍や兇神の姿も確認できました。天照様はすぐに指令室へ。他の皆さんは、現場へ急行して下さい」

「わかったよ」

 頷き、天は即座に立ち上がると演習室を出ていく。出掛けに、仁優と神谷に口早に指示をした。

「仁優は自分に一番合っていると思える武器を持って出動。初陣だし、まずは自分の身を守る事だけを考えるように。神谷、キミは瑛に連絡を取って、現場へ向かわせてくれ」

 神谷は黙って頷き、携帯電話を取り出した。流石に今回は、面倒臭いと言う反論はしない。

「私達も行くぞ、オロシ」

「えぇっ。僕もですか、朝来様!?」

「当たり前だ。お前は腐っても八岐大蛇なんだよ? 家事だけを任せる筈が無いだろう?」

 冷やかに笑い、夜末はオロシを引き摺っていく。オロシの泣き声が、廊下に響き渡っている。

 その後姿を眺め、「やれやれ」と呟いてから仁優も演習室の外へと足を踏み出した。

「できる範囲で頑張ってくるよ。要、サポートよろしく頼む」

「はい。……ご武運を」

 要に頷き、仁優は駆け出した。

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