第7話:異変の始まりって何ッスか?

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嫌に交通量の多い日だった。


日もすっかりと暮れ午後6時にさしかかったというのに際限なく行き交う車に悪意が感じられる。鍛冶場フォージシティの住人の大半は武人の学生だ。車を使うのは施設運営の大人や研究者くらいで割合は極めて低いはずなのだが、なんの因果か今日に限って交通量は主要道路から路地の狭い道路までそのほとんどが埋め尽くされているのだ。


そのため帰省ラッシュ真っ只中の高速道路のように少し動いては止まり少し動いてはまた止まるの低速運転を運転手達は延々と繰り返されていた。


まるで一匹の巨大な蛇のように少しの隙間もなく、びっちりとくっついている動く金属の塊はそれぞれが赤や青と多彩な色をしている。


汚い地上版の虹よろしく街灯を浴びては色とりどりな車体を輝かせている数々の車の中の一台。それだけが他の車とは違う独特な色味をもっていることが分かったのは何人いるだろうか。


その車は一見すればただの電気自動車にしか見えないが、別にそこがおかしな点ではない。


鍛冶場フォージシティの中では電気自動車はたいして珍しいものではない。というのも学生しかいないこの街でガソリンスタンドなど開いても需要がそこまでないからである。


くわえてガソリンといった開発不能な燃料は外からの輸送に頼るしかない。唯一公式の出入りする部分ということでそこをついて街の研究情報を盗もうとする組織は当たり前のようにいる。


ガソリンの中にナノサイズの探索ロボットを忍ばせたり、液体化させた特殊なチャフを薬品のカプセルに詰めて特殊な電波を受けることで中身が漏れそこから電子機器を浸食しそれを使って調査をするなど方法はいくらでもある。


そのためエリア1でしっかりとセキュリティースキャンを行うため必然的に単価は外の倍ほどになってしまうため需要そのものが無いに等しいのだ。


一応街の数ヶ所には保険程度の感覚で設置されてはいるが、それを使うのは街にやってきたばかりで都合を知らない新人か派遣されたばかりの社会人くらいだろう。


道路を埋め尽くしている電気自動車の数々に一台だけ素人目からすれば全く違和感に思えないほど綺麗に同化している車があった。


見た目はただの黒塗りのハイエース。しかしその表面にはライン・フィルターと呼ばれる高周波電流を阻止する回路が車体を覆うように挿入されている。その上に特殊なコーティングを施すことによって回路を隠し偽装車両ということを判別し辛くしている。


窓ガラスにも特殊なフィルターが貼られており外から中は見れないようにしてある。


車内はというと運転席から後ろには仕切り板がついており前からも見えないようにしてある。仕切り板の後ろに席はなくトランクのように作られた何もないスペースが広がっている。


黒塗りのハイエースには複数の男が乗っている。その誰もが黒いローブを羽織って正体を隠している。唯一運転席にいる男だけは疑惑の目がかけられないようにと土木業者の格好をしてうまく溶け込んでいる。


「………おい。まだエリア4から抜けれないのか?」


車内にいる男の1人が苛々とした口調で運転席にいる別の男に聞いた。そちらもなかなか進まない渋滞中の道路にじわじわと怒りをこみ上げさせているのか乱暴に答える。


「抜けてないのは外見れば分かるだろうが。ただでさえ腹がたってるんだから少し黙っていてくれ」 


ギスギスとした空気が車内にたちこめる。その苛立ちを堪えるように質問をした男は舌打ちを放つ。


「しかし今日に限ってどうしてこんなに車が集中してるんだ?なにかエリア4でイベントでもやってんのか?」


「学校案内の総下見も鍛錬祭たんれんさいも時期的にはまだ早いからそれはないだろ」


「じゃあどうしてこんなに車が一つのエリアに集中してんだよ?しかもエリア4なんてガキしかいねぇ場所でよぉ」


「だから知らないって。それを知ってたらこんな道使おうとは誰も思わないだろ」


黒ローブの男の1人が車内に置いていたラジオを起動させる。どうやら交通情報を聞きたいらしい。


「おかしいな……チャンネルが合わないぞ?」


「ちゃんと妨害電波を迂回してやってるか?そうじゃないといくら回してもつながんないぞ」


「素人じゃあるまいし、んな初歩的なことするかっての。くそっ、道路の次はラジオまで狂いやがった。一体どうなってるって言うんだよ」


男は使い物にならなくなったと判断したのかラジオを掴んで適当に放り投げる。何回か車内の床をトラップしながら1人の少女の足下へと転がっていく。


少女の名はアリス=ウィル=ホープ。


西洋人形を連想させるふわふわとした長い金髪と白い肌に蒼い瞳が特徴的だった。エリア3で車内にいる男達の武具により火傷や切り傷といった怪我を していた彼女であったが既に薄皮をはって治りつつあった。


手と足を縄で強く縛られているため体を支える事も動かす事も出来ない。そのため車内のちょっとした振動にも耐えられずバランスを崩して横になっていた。


先程まで強く睨みつけていた目にも疲れが見え始め自分の近くに転がってきたラジオを頼りなさげに見つめている。


「(ラジオ………車……電波妨害……)」


疲労困憊の頭は男達が口にした単語を断片的に記憶するのみで、より高度な思考へは進まなかった。


体も心もすっかりと疲労しきったアリスは外から見えなくするために窓に貼られた特殊フィルムのせいで鏡のような役割を果たしているそこに映る今の自分を見る。


着ていた白いワンピースは砂埃ですっかり汚れ、体を強く縄で縛られているために腕や足は青黒く変色しかけている。


それを見つめる無気力な自分の顔に思わず笑みがこぼれた。


あまりにも絶望しきった自分の顔があまりにも哀れであまりにも惨めに映ったからに他ならない。


「(私がなにをしたっていうの?何か悪いことをしたの?こんな扱いをうけるほど私は一体なにをしたっていうの?)」


アリスは歯を強く噛みしめる。


その表情は怒りではなく悲哀に満ちたものとして強く固定化されている。


「(もう嫌なの。これからもずっと暗い部屋に閉じこめられて、良いように使われて、それで何があるの?何がその先にあるの?)」


目頭が嫌に熱くなるのを感じる。しかし瞼を閉じることはしない。そうしてしまえば今までの出来事を全て受け入れてしまうことになりそうだったから。体はもとより心が縛り付けられるのだけはどうしても許せなかった。


アリスが実験室を逃げ出したのは今回が初めてのことであった。


いつも閉じこめられていた牢屋。暗くてジメジメとした夏は蒸すように暑く冬は身が裂けるほどの冷たさを織りなす悪環境。


アリスはいつもその場所にいた。いたといっても別に自分から望んでいたわけではない。他に選択肢が与えられていなかったから、悲劇的な運命に呪われるようにただそこにいた。


どことも知れない場所は外への脱出をことごとく拒んだ。扉は堅く閉ざされ足や手には身動きを封じる枷がついていた。何度もとろうと地面に叩きつけたり噛んだりしたが木製でもなければ粘土でもない金属の拘束具をどうにか出来るわけがなかった。


はむかっていたのは最初の数ヶ月。それ以降は意識が朦朧としていて良く覚えてはいない。地獄のような生活を過ごす中でアリスはやがて自分の意識を現実から遠ざけるようになった。身動きひとつとれない自分が精一杯にできる精神の自己逃避だけがアリスの最後の砦であった。


しかし意識がないといっても自分がなにかに力を貸しているということは理解できた。だが、壊れかかった心にそれを記憶する程の余裕はなかった。生気のない人形のように他人に身勝手に振り回される生活がアリスにとっての日常になっていた。


そんな生活が続いていたある日、アリスは唐突に意識を取り戻した。


今まで拷問のような生活に耐えるために心を閉ざしていた自分の意識が急に前面に押し出されたのである。


ひどく困惑するアリスは、そこで今まで自分がいた部屋の変化に気づかされた。


扉は木っ端みじんに破壊され、腕や足を縛り付けていた枷は跡形もなく消えていた。


理由や原因を考えるよりも早くアリスは急いでその場から逃げ出した。過程なんてどうでも良い。この地獄から抜け出せるのならそれで全部良いじゃないかと自己欲求に素直に従っての行動だった。


今思えばあまりにも出来すぎていたとアリスは思う。きっとこうして外に出し自由をほんの一時だけ味あわせ、意識を取り戻した自分を捕まえて徹底的に精神を崩壊させようとしているのだろう。


皮肉にも希望が絶望への片道切符だと遅れながらに気づいたアリスはもう止まれない。


屈辱と己への懺悔に全てが支配されていく。


体の自由を奪っている縄を引きちぎる力はないが、自分の胸の中にあるわだかまりを暴言としてぶつけることは出来る。


けれど、とアリスは視線を下に向ける。


暴言や自分の怒りをぶつけるということはすなわち自分が今まで経験してきた出来事全てを受けいれるのと同じではないか?


悲観的になるのは仕方がない。たとえどれほど屈強な戦士だろうと心を折られてしまえばただの肉だるま同然になるのと一緒の事。


しかしアリスはそれを良しとはしなかった。それを許してしまえばなにか大事なものを失ってしまいそうな気がしたから。


それに悪いのはこの男達ではないとアリスは思っていた。


この男達は上からの命令で仕方なく自分という存在をこんな有様にしなければいけない状況を作らされているのだと。


悪いのは全てこのような行動を命令した人物であり、他の人間に怒りの矛先を向けるのは理不尽だと。


それがどれだけ気持ちの悪い考え方か恐らくアリス=ウィル=ホープは知らないだろう。


被害者が加害者を庇い悪意の対象をただの一つに指定することが一体どれほど不気味で謙虚で傲慢な偽善精神なのか彼女は問われたところで疑問の表情を浮かべるはずだ。


何故ならアリスは間違いではないと思っているから。それが甘ったれた性善説や元から備わっている人間性によるものでもなく世界の常識が法則がルールがそういうものだと心の底から信じていたから。


外の不条理が、それに対する強欲なまでの憎悪が幽閉されていた彼女には届いていない。届くはずもない。


善意に対する思考回路は持ち合わせていても悪意に対する思考回路は確立されていないのだ。


アリスの中では悪いことをした人は後で必ず罰が当たる。悪いのは当事者1人だけであって周りの人間はそれに振り回されているだけで悪くない。と、信頼性も信憑性も微塵もない綺麗事で構成されているのだ。


それが彼女の弱点、というよりも環境のせいでそうならざるをえなかった哀れな末路とでも言うべきか。


「なあ、これはそろそろ別ルートで帰還したほうが良いんじゃないか?」


先程ラジオを投げ捨てた男が携帯端末片手にそう提案した。


「上のお偉いさん方もそろそろお怒りのようだ。メールの文面から殺意すら感じるぜ」


携帯の画面に映っているのはメールの文面。アリスからは距離があり全部は見えなかったが、断片的な単語から自分を連れてすぐさま帰ってこいとの内容である事は容易に想像がついた。


「んな事言ったってどうするよ?まさか車のいない歩道を走ってこいなんてとんでもオーダーじゃないだろうな?」


「そんなことしたら直ぐに警備隊がすっ飛んでくるだろアホ。せっかく一般車両にカモフラージュしてるってのに」


再びごたごたと騒がしくなる車内。が、それを見透かしていたかのように追加のメールがすぐさま送られてきた。


車内にいる男達の注目がそちらに向かう。送られてきたメールの文面には簡素な指令文が記されていた。


『車は一人に任せ“願望機”をエリア4の第三区にある学習塾跡へ連れてくる事。尚、“願望機”が逆らうようなら生死に関わらない範囲内であれば多少の負傷は容認する』


「……………お仕事の時間か」


メールを一通り周りに見せた男は用がなくなった携帯をポケットに強引にしまい込む。それからローブを脱ぎ車内に詰め込んでいた衣服に着替える。


「俺が連れて行く。お前らは後ろからついてきて周りに不審な動きをしている奴がいないか警戒しながら来てくれ」


一般人らしい服装をした男は運転席にいる男を除いた全員にそう言った。対して周りの反応は静かに頷くだけだったがそれがやけに統率力を感じさせる。


全体の動きの確認が終わると衣服を着替えた男はアリスに一歩ずつ近づいていく。


その顔からは感情は伺えず、あるのは冷徹な瞳だけである。


「一応聞くが……黙って歩けと言われても応じる気はないな?」


「……そんなに聞き覚えが良かったら逃げ出したりだなんてしないの」


アリスの返答に、そうか……と静かに呟く。


「なら悪いが少々強引な手段に出させてもらうぞ」


なにを……と言い掛けたアリスは次に男が取り出した道具で全てを理解した。


男の手には高圧電流を蓄えたプラッチックのような素材で出来たスタンガンが握られていたのだ。


「痛みは最初の数秒だけだ。それで意識はなくなる。まあ肝心なのはその痛みに耐えることだがな」


スイッチを何度か押し、しっかりと作動するかどうかを確かめた後、男はゆっくりとアリスに忍び寄る。


アリスは顔が無意識の内に強ばっていくのを感じた。スタンガンとは本来だまし討ちの要領で対象の意識が向いていないことを前提に使われるものだ。


しかしその存在を前もって見せられ、なおかつ今からそれを自分に押し当て気絶させようというのだから、その恐怖は想像を絶する。


単純な痛みよりも意識を失うということの方が今のアリスにとっては恐ろしかった。


「……い………いや………や、止めて……」


「悪いがこっちも仕事なんだ。いちいちお前の言うことに気を使ってやる暇もない。だから黙って自分の運命を受けいれろ」


吐き捨てるように言われた言葉にアリスの視界は歪んでいく。


運命を受け入れろと男は言った。


自分が必死に拒み続けてきた思いを、しかし男はゴミを放り投げるくらいの手軽な調子で口にしたのだ。


自分の運命を勝手に強引に傲慢に決めつけたのだ。


許す許さないの前におかしいと思った。この男は上の人間に命令されて仕方なく自分をこんな目にあわせているのではなかったのか。


心の中では自分をかわいそうだと思ってくれていたのではなかったのか。


アリス=ウィル=ホープはようやっと理解した。


この世界には自分が思っているような綺麗事は通用しないのだと。


「……や、めて…」


男が恐怖を煽るようにゆっくりと手を動かす。


「や、めて…」


スイッチを押しバチバチッ!と耳をつんざくような音と激しいフラッシュを繰り返す。


「やめて」


高圧電流を放つそれがアリスの首もとに近づいていく。


首もとまでの距離が拳一つ分までいったその時。


「やめてっ!!!!!」


鼓膜の安否が疑われる程の大音量が車内を埋め尽くす。


しかし、それはアリスの叫び声ではない。


音の発信源は何の前触れもなく突然現れた“何か”。もっと言えばそれが黒のハイエースの壁を外側から力任せに貫いたことによる破壊音だ。


外から突っ込んできた“何か”はアリスを気絶させようとした男を巻き込む形で車体を一直線に貫いた。


アリスが目にした寸前の光景は突然あらわれた“何か”が壁を壊してその直線上にいた男の横腹に激突し、くの字に曲がった男を無視してそのまま車体を貫通した瞬間であった。


「な、んだ…?」


黒いローブを着た男の内の一人が疑問をこぼした。瞬間的な出来事は容易に人間の思考をフリーズさせる。


そんなことなど気にもとめず今度は車体の天井がガゴンッ!!と大きくへこんだ。それを理解するより早く、へこんだ天井を突き破ってそこから複数の刃が降り注ぐ。


予想だにしていなかった攻撃にワンテンポ回避に遅れた男が1人、放たれる斬撃の餌食にあう。


車内の内壁に鮮血が飛び散る。


雨のように降り注ぐそれは、しかしどう考えても自然的に起こるものではない。


車内にいた男達はここで事態を理解する。


「クソがっ!他の組織の敵襲か!」


冗談じゃないと叫びながら生存している男達は車を置いて外へ出る。


街中で起こった事件に外の一般人の悲鳴や驚愕の声が拡散的に広がっていく。


「うるせぇぞ甘ちゃん共が!ちくしょう油断していた!こんな街中で騒ぎを起こすなんて“暗黙のルール”を破るわけがねぇと勝手に決め込んでいた!」


「ここまできたら上からの処罰は免れない!敵組織をひっ捕まえて献上するしか助かる道はない!」


黒いローブを着た男達は襲撃してきた敵組織を探しに次々と車から離れていく。


「なにが……起こっているの?」


1人状況を理解できていないアリスは未だに車内に横たわっていた。


そもそも腕も足も拘束されているのに動き回れるわけがない。しかし何が起きているのかわからない恐怖は次第にアリスから平常心を失わせていく。


そんな彼女を更に追い込むように車内に突き刺さっていた複数の剣の内の一本がゆっくりと抜け、それはアリスの方へと剣先を向ける。


あまりの恐怖に目を強く瞑るアリス。


次に起こるアクションが不明なだけに体の自由が利かない彼女に出来ることといえば自分の無事を祈る他なかった。


ヒュンッ!と風を突き破る音が耳を通過した。


しかし、それだけだ。


体に激痛が走ったりおかしな状態異常にかかることもない。


おそるおそるといった感じで目を僅かに開けると、そこには既に雨のように降り注いでいた剣は消えていた。


そこに驚く前にアリスは自分の体の変化に気づく。


先程まで体の自由を奪っていた腕や足に縛り付けられていた縄が切れていたのだ。


起き上がって床に落ちている縄を手に取って見てみると、鋭い刃物で切ったような痕が残っている。


「と、とにかく逃げないと…っ!」


何がどうなっているのかわからないが、今ここで鮮血を伴う争い事が起きていることは事実だ。いつまでもここにいては救われるものも救われない。


アリスは疲労にまみれた体を無理に動かして、急いで車内から這い出る。


外は自分か思っているよりもはるかに混乱状態にあった。


誰が敵で何が目的か分からない攻撃に街中の人間が絶叫していた。


アリスはそちらを気にしながらも我が身を優先して人混みの少ない路地裏に向かって走っていく。


より明確な安全を求めて少女は闇の深まる場所へと自ら歩みを進める。


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