第15話【魔槍】

 白昼の街に悲鳴がこだました。

 人から怪物への変容。

 非現実的なその光景を目の当たりにした人間達は、声を上げ、逃げ惑い、或いは恐怖と絶望に腰を抜かしてその場にへたり込んでいる。

 悪夢。他に形容しようのない光景が紛れもない現実であると、周囲に立ち込める血臭が証明していた。


 グギャァァァァァァァッ!!


 人のそれとは大きく有り様を変えた口腔がら吐き出された咆哮は、人の声帯を震わせているとは到底思えない正に魔獣の吼声だった。

 混乱の坩堝窮まる周囲を尻目に、その女は何事も無いように静かに髪を掻き上げる。

 その姿はさながら、時を選ばず遥か地上を淡々と見下ろしながら満ち欠けをする月のようだった。銀月インュエ、女のその名のままに。


 ゴアァァァァァァァァァッ!!


 間近居た一匹が咆哮と共に腕を振った。横凪の一撃が空を切り、コンビニの巨大な窓ガラスに激突する。

 凄まじい破砕音が、月を動かす合図になる。


「フッ」


 怪物の懐に飛び込み呼気を吐きながら放った掌底が腹部とおぼしき辺りに叩きつけられ、剥き出しになった筋繊維が弾ける。が、破れた筋繊維が蛇のようにうねりインユエの手首に巻き付いた。明らかに意志を感じる動き。締め付ける力は尋常ではなく、インユエの耳に骨の砕ける音が聞こえた。 

 インユエは意にも介さず、触手と化した筋繊維に巻き付かれ折れた腕を。その動きだけで成人男性の優に三倍には膨れ上がった筋肉の塊のような化け物が、軽々と宙に浮く。

 ドンッ! と轟音が響き怪物が叩きつけられたアスファルトがボロボロに砕ける。更に、インユエは振り向きながらその怪物をハンマーのように横凪に振った。遠心力が加わった超重量の肉塊を、背後から迫っていた怪物に叩きつける。

 膨らみすぎた己の自重が徒となり触手が千切れた。そのまま二匹の怪物を吹き飛ばす。飛んだ先の乗用車が激しい音を立ててひしゃげた。

 圧倒的な力。戦闘力、とか、戦闘技術、とか、そんなモノは関係ない純粋な力の差。膂力が違う。

 インユエの真後ろから別の個体が迫る。

 時速にすれば六〇キロを超えるであろう巨躯に似合わぬ速度スピードで距離を詰める敵に、インユエは当然のように反応した。

 迫り来る肉塊に撫でるように触れたかと思ったその瞬間、軌道が逸れて潰れた乗用車の方へと弾け飛ぶ。体勢を立て直そうとしていた肉塊にぶつかり、グチュッと肉が潰れる嫌な音がこだました。

 凄まじい血臭。


「ふん……どこの誰が造ったのかは知らないけど、随分とお粗末な性能ね」


 髪を掻き上げる仕草をしながら溜め息を一つ。

 その周囲で、フラフラと怪物達が立ち上がる。はなから血塗れの化け物は見た目からそのダメージを類推する事は出来ない。


「でも、人が扱うには度が過ぎるわ。お前達は、。地獄に帰してあげないとね」


 特別な怒りも感慨もない。ただ、冷徹に処理すべき彼女の日常。所詮は血塗られた道だ。

 インユエが地を蹴った。舞踊を想わせる軽やかなステップが、猫科の猛獣のようなしなやかな加速を生む。

 連携や協力といった概念はまるでなく、お互いを障害物と認識して扱い殴り合いを始めた二匹は無視を決め込み標的を定める。先ずは一匹。


「フッ」


 懐 飛び込みながら逆袈裟に振られた手刀がまるでナイフでバターを裂くように怪物の皮膚を切り裂いた。鮮血の雨ブラッド・レインを浴びながら露わになった心臓を鷲掴みにし、それを容易く引きずり出して捻り潰す。

 まともな神経で繰り出せる攻撃ではない。

 深紅の雨が間欠泉に変わった。

 ビクンビクンと筋肉を痙攣させながらその場に崩れ落ちる肉塊。見る者を戦慄に陥れる一方的な屠殺がまるで性行為のような異様な艶めかしさを醸し出す。

 死を呼ぶ女神が纏う深紅のドレスは、その美しさを一層際立たせているようにさえ思えた。


「ゴルァァァァァァッ!!」


 別の個体が吼えた。

 同時に手近にあった車を叩き潰す。

 視線──と表記するべきか。既に眼球が幾つもせり出し、昆虫の複眼のようになっている──を巡らせ、標的も定まらぬままその力を振るい始めた。攻撃対象であったはずの女を無視し、手当たり次第に破壊を振り撒く。

 インユエからの攻撃の手数は決して多くは無いが、一撃一撃は必殺の“重さ”を備えている。そのダメージの累積が、薬物に汚染されたあの怪物の根幹たる生体脳の機能を狂わせたのだ。即ち、暴走。


「ちっ」


 短い舌打ちと同時にインユエは右手に“力”を込めた。

 物理的な“力”を、ではない。収束していく、見えざる“力”。

 膂力などただの片鱗に過ぎぬ。死せぬ女が化け物であるその所以が、閃光と共にほとばしった。


 ──バンッ!


 爆ぜる雷轟。

 インユエの繊手から解き放たれた熱量エネルギーが一マイクロ秒で大気を二万度を超える高温にたぎらせ、射出と同時に怪物を灼いた。一撃必殺の神槍ブリューナグ。或いは雷神トールが握る雷鎚ミヨルニルか。

 額に初めてじわりと汗の雫を滲ませたその女は、尚、涼しげな表情を崩してはいない。美しさは損なわれることを知らず、寧ろ異様に際立っていた。

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