第14話【怪物と不死者】

(さて、コレからどうしようかしら?)


 警官隊との攻防でバイクを乗り捨てたインユエは、現場から数キロ離れたコンビニで購入したミネラルウォーターのペットボトルをその駐車場で無造作に煽った。

 予定外のカーチェイスと戦闘で時間をとってしまった。日は早くも傾き始めている。


(殺さないっていうのも疲れるのよね)


 まるでマラソンランナーがそうするように、ペットボトルの中身の残りを頭から浴びる。

 客の多い時間では無いが、人目が集まっていた。

 当のインユエには気にする様子もない。

 “目的地”までの距離が問題だ。インユエの足なら走ってもせいぜい数時間。彼女にとっては行けない距離ではないが不要な体力の消耗は避けたかった。


「おねぇさん、一人?」


 突然声をかけられても動じた様子もなく、空になったペットボトルを投げ捨てる。


「だったら、何?」

「俺らと遊ぼーよ。おねぇさん、凄そうだし」


 少し離れた場所に数台のバイクに跨がる集団がいた。いわゆる不良の様相だが、そんな少年たちを相手にインユエの雰囲気が変わっていた。


「お断り。無駄な体力使いたくないし、それにあなた達、凄くわ」

「んなことねーよ? 風呂にはちゃんと入ってるし」


 ヘラヘラと笑いながら、少年が肩をすくめる。


「私、鼻が良いのよ。良くないクスリ、ってるでしょ?」

「何? お説教? くくっ……心配しなくてもちゃんとおねぇさんにもてあげるよ」


 そんな少年の言葉に深い溜め息を一つ。


「そーゆー事じゃないの。手を引かないとアナタ、死ぬわよ」

「死なねーよ。すげーハイになれるし、マジでハンパないんだ」

「そりゃそうでしょうね。でも、アナタが使ってるクスリを使うくらいなら、シンナーや覚醒剤の方が幾らかだわ」

「へぇ、コイツのこと知ってるんだ」


 そう言って少年がニヤっと唇の端を大きく吊り上げながらポケットから小さなボトルに入った錠剤を出した。


「最近出回りだしたクスリなのに知ってるなんて、おねぇさんも好きなんだね」

「ふぅん。そうなの。興味ないわ」

「くくっ……下手な嘘だなぁ。こんな新薬クスリ知ってて、お巡りに追いかけ回されてるような女が、興味ないわけ無いじゃん。コイツ絡みでなんかやったんだろ? 売人からアンタをヤッちゃえって言われてるんだ。好きにして良いってね」


 ボトルのキャップを開けて錠剤を口に放り込みボリボリと噛み砕く少年。


「本当に止めておきなさい。人じゃいられなくなるわよ」

「クスリ止めますか、人間止めますかって? つまんねー説教だよ。大方、組から抜けようとしてとかってことなんだろ?」

「私が言ってるのはそんな言葉遊びじゃないわ。アナタの身体が、人の体裁を保てなくなるって言ってるの」

「アハハ! そーだよ。俺はスーパーマンだぁ!」


 吠えるように叫ぶと、その拳をゴミ箱に向かって振り下ろした。単純な片手の叩きつけハンマー・ブローが金属性の箱の半分以上を潰していた。


「馬鹿ね。覚悟もないのに自分から人を棄てるなんて」

「くくっ……クハハハハっ! すげーぞ! コレが俺の力だぁっ!!」


 目が血走っていた。それだけではない。ギロリと剥かれた瞳が瞼から飛び出しそうに──否、現実にボコリッと眼球が飛び出した。


「うわぁぁぁぁぁぁっ?!」


 少年の仲間は変わりゆくその姿に悲鳴を上げていた。それと対照的にその現象を冷たく見つめるインユエ。

 額の皮膚が裂けた。そこから両の眼からギョロリと飛び出した眼球と同じ“瞳”がメリメリと盛り上がってくる。背中が膨らんだ。そのまま布が弾け、そこから元々あった腕の三倍はあろうかという太さの“腕”が生えた。深紅の血に染まった新しい“腕”には皮膚がなく、指先が動く度にグロテスクな筋繊維が激しく躍動した。他の部位の筋肉も膨れ上がり、急激な膨張に堪えきれず、次々に皮膚が張り裂けていく。歯茎がせり出し、唇を飲み込んだ。剥き出しになった歯が、牙のように鋭く発達していく。

 瞬く間に、人が“怪物”に成り果てていく。

 変わり果てた少年の余りのおぞましい姿に、仲間の一人が吐瀉物をまき散らしていた。


「それはドラッグなんかじゃない」


 アガァァァァァァァァッ!!


 “怪物”が吠えた。それに呼応するように、バイクに跨がっていた数人が呻き声を上げる。


「おっ?! オォォォォォォォッ?!! アギャギャギャギャァァァァァァ──」


 まるで咆哮に促されるように呻き声を上げた数人の肉体が変容を始めた。


「人の遺伝子を少しずつ“化け物”に書き換える兵器なのよ。それも純度の低い不完全品。アナタ達はね、人体実験に使われたの。私みたいな生物兵器バケモノを作り出すためにね。でも……」


 それは、誰に向かっての独白モノローグだったのか。  同時にインユエは跳躍していた。

 怪物の組まれた両腕の振り下ろしが、一瞬前までインユエの立っていたアスファルトを砕いた。


 アガァァァァァァァァッ!!


 唯一人変容を免れ放心していた少年の間近にいた不良の成れの果てが片手で掴んだバイクを振り上げ、かつての仲間に目掛け振り下ろし──

 数体の怪物の頭上を越え、ただ呆然と立ち尽くす少年の前にインユエが降り立った。そのまま両腕を交差し少年を庇うように

その一撃を受け止める。

 その後ろで腰を抜かした少年は自らの吐瀉物に尻餅を付きながら、ガクガクと膝を震わせていた。股間から染みも広がり始める。

 インユエは軽く膝を曲げると、その反動だけで腕の上でひしゃげたバイクをいとも容易く押し返し、そのまま勢いをつけてバランスを崩した怪物に後ろ回し蹴りを叩き込んだ。


 ドンッ!!!!


 まるで車同士の正面衝突のような激しい衝撃音が、放心していた少年に心を取り戻させていた。


「あっ……あぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 顔を涙と鼻水てぐしゃぐしゃにしながら這うようにして逃げ出していく。怪物達はそれには一瞥もくれず、三眼の視線でインユエを注視していた。

 インユエはただ冷たく嗤う。


「そんな不完全な玩具モノじゃ私は殺せない」


 

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