第8話【意志】
煌々とライトに照らされた地下駐車場に、エンジンの重低音が響いた。
他に人影はない。居るのは、バイクに跨がる女だけ。サイドミラーに引っかけられたフルフェイスのヘルメットにポンッと手を乗せて微笑む。
「ZRX1200 DAEGか。なかなか良いセンスしてるわ」
ボディラインが強調されるライダーススーツはそのままに、インユエはヘルメットを装着し、エンジンを噴かす。
「さて、お姫様を攫いにいきますか」
まるで散歩にでも行くような何気ない口調。
キュルルルルルルッ
タイヤがコンクリートを擦る甲高い音を奏で、車体の重量を感じさせないターンで車体を180度回転させるとタイヤ痕が黒い尾を引いた。そのままアクセルを
一気に加速しながら猛然と宵の口の地上へ。
ヘルメットのバイザーから微かに見えた眼光に迷いはない。既に目的地を見つけているようだった。
†††††
「あぁっ?! 捜査を打ち切れだぁっ?!!」
あまりの剣幕にその旨を伝えた男は気圧され、半歩後ずさる。
「私も詳しい事情は判らんがね。昨日見つかった男の変死体の件で操作の人手が足りんのは事実だ。それに、消防の方でも最後の火災は事故の可能性が極めて高いと通知も来ているんだろう?」
「ふざけんな! 女の子が一人消えてるんだぞ!!」
「それは退院に伴う施設への移送で……」
「それがどこかと聞いてんだよ!! 普通なら調べりゃ判るところが、足取りが全く掴めねぇなんざ異常だろうがよ!」
パソコンの乗る
「チッ、もういい」
それだけ言うと立ち上がり、椅子の背もたれに掛けてあった上着を手に引っ掛けてスタスタと歩き始めた。
一瞬、呆然とした上司は慌てふためき背中に声を掛ける。
「お、おい、こら! どこに行く気だ!」
「帰る!」
「何を勝手なっ……」
「
吐き捨てるように言った哲の背中を、上司は茫然と見送るのだった。
†††††
哲が自分の車に乗り込むと、後ろから若い男が追ってくるのが見えた。哲に懐いている若手の一人だった。
「先輩!」
窓越しにもしっかりと聞こえる大きな声に、溜め息を吐きながらウィンドウを下ろす。
「なんだよ、海斗。
「まさか。だって奥さんと娘さんの月命日でしょ? 先輩が毎月必ずお墓に行かれてる事くらい皆知ってますよ」
ふん、と鼻を鳴らしながら署内の自販機で買ったブラックコーヒーのプルタブを引き起こす。
喉に流し込むと、ただ苦いばかりの
「先輩、皆心配してます。あんまりムチャしないで下さいよ。警部は只でさえ先輩の事を目の敵にしてるんですから」
「うるせー。余計なお世話だ。俺には上司の命令より大事なモンがあんだよ。それを守れなきゃ、俺は
「娘さんの代わりに、ですか? あの子は哲さんの娘さんじゃないんですよ。あの子の事を守ろうと躍起になって、自分の人生棄てるような真似は娘さんも奥さんも望んでなんかっ……」
「ほっとけ。そんなんじゃねぇんだよ。アイツらは関係ねぇんだ。生きてる俺が、後悔したくねぇ。単なるエゴさ」
自嘲気味に笑い後輩に別れを告げると、哲はそのまま車を走らせた。
エゴ。そう、エゴだ。己の手で護れる者の全てを護る。それだけが死んだ妻と娘に対しての贖罪であると、哲自身がそう決めた。妻も娘も、そんなことは望んではいないだろう。だから、コレは哲自身の問題であり、つまらない
彼の家族が帰らぬ人となったのは四年前のことだった。
非番の日、哲の目の前で暴走車が歩道に突っ込んできた。
全てがスローモーションに見えたあの日の光景は、永遠に忘れる事は出来ないだろう。
妻と娘。哲にとって、それが全てだった。その全てを一瞬で奪われながら、法は犯人を裁くことは出来なかった。その男も即死だったからだ。
護ることも裁くことも出来ず、己の無力さを痛感したあの日から、哲はまともに休みも取らず、何かにとり憑かれたように刑事として戦い続けている。
(……アンタには俺の手で護るって言ったのにな)
インユエと再会したあの時、この街に舞い戻った恩人に頼もしくなったと言われて何ともいえない気分になった。
(俺は何にも変わっちゃいねぇよ。
今も独りで戦い続けている友人に、心の中で問い掛ける。
苦しいとき、辛いときに思い出すのは、決まって家族の顔か、たった独り絶望と戦い続ける強さを持った友人の顔だった。
(へっ、前言撤回。やっぱ歳はとったわ。すぐに感傷的になっちまう)
心中でひとり愚痴る。
車でそのまま小一時間走ると、目的地が見えてきた。
小高い丘にある霊園。その片隅にある真新しい墓が哲の妻と娘が眠る場所だ。
駐車場に車を止め、途中で購入した花束を手に取る。普通は霊前に供えるような花では無いのだが、持参するのは決まって妻が好きだった薔薇の花束だ。
墓前まで歩きながら煙草を咥え火を着ける。これも習い癖。
(女々しい事だな)
このご時世に、妻と娘に煙草を吸う仕草を褒められた事かあった(娘に関しては煙草の匂いは嫌がったが)。それを未だに忘れもせずに、二人の前でカッコをつけるのがなんとなくの彼の決まり事だった。
花を供え、線香に火を着ける。
平日の昼間であることもあり、人影はない。周りに気を使わなくていい。気楽なものだ。
咥え煙草のまま墓前に手を合わせ静かに祈りを捧げる中、紫煙がゆらゆらと秋風に揺れた。
耳に入るのは小鳥の
喧騒の日々に生きる刑事の数少ない穏やかな時間が、ゆっくりと流れていくのだった。
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