第7話【戦う者】

 白を基調とした真新しい建物。雲一つない蒼穹に十字架を掲げたその場所は、一目で教会であると分かる。

 重厚な木製の扉を潜ると整然と長椅子が配置され、中央に大きく取られた通路の突き当たりには主を祀る祭壇が造られている。

 平日であってもちらほらと見える人。教会の関係者は勿論、足繁く通い祈りを捧げる敬虔な信徒もいる。

 そんな中、最前列の長椅子に座り祈りを捧げる男が一人。

 白い長衣ローブに身を包んだ隻腕の神父だった。

 短く揃えられた栗毛の髪。細い面立ち。身長が高いのは座っていても見て取れるのだが、厚みが無い分、大柄という印象はなかった。

 彼の祈りは夜明けから始まり、既に太陽は南中を越えている。

 怪物相手に喫した敗北から、まだ一夜しか明けていない。本来ならば神に祈りを捧げるより前に安静にしている必要が在るはずだが、その表情には一点の翳りも見えなかった。

 手にした十字架クロスはシンプルなデザインの中に真紅の宝玉が埋め込まれている。それを強く握りしめながら、ただ、祈る。

 微動だにせず、彼の祈りは夕刻まで続いた。

 彼が動き出したのは、完全に日が没してからだ。

 漸く立ち上がると、聖堂の片隅に設置された個室へと入っていく。

 そこは懺悔室と呼ばれる部屋だ。一人が入るのがやっとの狭い部屋の中、神の信徒に己の罪を告白し、許しを乞う部屋。


「どうぞ」


 木で造られた壁に小さく空けられた枠の中から女の声が聞こえた。黒いネットで覆われ、男の側からは姿を確認することは出来ない。


「貴方の罪を告白なさい」


 男が椅子に腰掛けると、そのむしろ柔らかな声で促された。

 「はい」と応えてから逡巡し、神父の懺悔が始まる。


神聖騎士テンプルナイトでありながら邪悪なる吸血鬼に遅れをとりました。それどころか、神が与えたもうた我が肉体を貴奴に奪われるという失態を犯したのです。どうか、様の名の下に罰をお与え下さい」


 敗北を罪と自ら断じながら、そっと布越しに傷口を撫でる。

 あの忌々しい女吸血鬼に想いを馳せながら。


「貴方の志を、マリア様は尊ばれるでしょう。ですがイエスの再誕も近い中、彼の者の所業を止められなかった咎は重い。天国の門を潜るには、その咎と穢れを祓う必要があります」

「はい。どのような罰も享受致します」


 与えられる【罰】を乗り越え、再びあの怪物と合間見えなければならない。この世に災禍を齎すあの女を仕留めなければ、世界が闇に包まれるのだから。


「分かりました。では準備を致しましょう」


 男の覚悟に応えるように、女の声が紡がれた。




†††††




 神父の名はペドロといった。生まれも育ちも日本国内であるが、彼自身は本名ではなく洗礼名を真名として生きると、そう心に固く誓っていた。

 両親は居ない。物心着いたときには教会が運営する児童養護施設で生活をしていたが、それをつらく思ったことはない。

 教会が運営する施設、と言っても、そこで暮らす子供たちや教員にクリスチャンであることを強要するようなことはもちろん無い。だが、彼は洗礼を受け、クリスチャンとして、神聖騎士テンプルナイトとして生きる道を選んだ。

 全ては、あの方のため。そして、あの怪物を殺すため、だ。




 キッカケはペドロが中学生に上がったばかりの頃に起きた。

 正体不明の怪物が、ペドロの暮らしていた児童養護施設を襲ったのだ。仲のよかった友人や本当の家族のように優しく、厳しく接してくれた先生たちが、引き千切られ、食い破られていく様は今でも夢に見る。

 悲鳴、怒号、そして、死の恐怖。

 自らも深い傷を負い、命数尽きようとしたその時だった。二人の神聖騎士テンプルナイトが自分を庇うようにその化け物と対峙したのは。

 その二人は瞬く間に怪物を屠り去り、こう言った。


「すまない、君しか間に合わなかった」


 優しい男の声音。しかし、こちらを覗き込む顔はぼやけて判らなかった。既に視界は霞み、呼吸はヒューヒューと浅く繰り返されるばかり。死がそこまで来ている。


「退いてください。ここからは私の仕事です」


 次に聞こえたのは女の、否、少女の声。

 凛とした響き。温かい誰かが意識の消えかかった自分の頭を柔らかな脚に乗せたのがわかった。


 誰?


 声にはならなかったが、その少女はそっと頭を撫でながら、


「よく頑張ったね。もう、大丈夫。貴方は助かるよ」


 そう言った。

 一瞬、唇に柔らかな感触が伝わってくる。

 何が起こったのか、判らなかった。

 直後、一気に意識が死の淵から引き戻された。

 はっきりしていく視界に写った少女はとても神秘的で、とても神聖に見えた。

 傷口が、見る間に塞がっていく。


 貴女は……


「良い子。もう少し休んでて。もう、大丈夫」


 その言葉に緊張の糸が切れたのか、少年だったペドロの意識は直ぐに闇へと溶けていった。


 次に目覚めたときには、病院のベッドの上だった。

 そこで、自分の身に降りかかった厄災の正体を聞かされた。

 あの化け物が『不死者の女王』と呼ばれる吸血鬼の眷属であったこと。教会に属する神聖騎士テンプルナイトは古くから退魔士エクソシスト吸血鬼狩りヴァンパイア・ハンターと呼ばれ、現実にいる怪物達と戦い続けてきたこと。そして自分の命を救った、聖女マリアの再来と呼ばれる少女のこと。

 色々な事を知り、彼の運命が大きく動いたのだ。

 復讐のため、正義のため、何よりも、あの少女のために、人生の全てを捧げようとそう決心するのに、時間は掛からなかった。




 現在、ペドロは国内の神聖騎士テンプルナイトのなかで五指に入る実力者だ。

 教会の勅命を受けて仇であり、の最大の敵であるあの吸血鬼ヴァンパイアと初めて対峙した。

 恐ろしく強い。神聖騎士テンプルナイトになってから、数多の怪物モンスターを屠ってきたが、流石に奴は別格だった。


(マリア様最大の仇敵であるだけのことはある、か。だが負けるわけには行かない。世界を滅ぼさせたりするものか)


 これはマリア様のお導きであり、試練なのだと確信している。

 彼女に一歩でも近づくための、試練の一つに過ぎないのだと。


「全ては聖女マリアの為に」


 必ず勝つ。

 覚悟を胸に、ペドロは穢れを祓う【罰】を受けるため、懺悔室を後にするのだった。

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