A-1-5 前兆放射
エディラカ星系 第二惑星
銀河の星々を構成する恒星がどのような運命を辿るかは、恒星が生まれた時の初期の質量で決定されている。
銀河系における恒星は星間ガスが高密度に集まった星間雲から生まれる。重力で引かれ合い収縮して塊になったガス雲は、自身の収縮に伴って解放される重力エネルギーにより加熱され、高温の原始星になる。太陽系の太陽質量を基準にすると、この原始星のうち太陽質量の三分の一より小さいものは中心温度が水素の核融合が可能な温度に到達せず、
質量が太陽質量の三分の一以上あれば、中心部の温度は一千万度を超えて水素の核融合反応が始まり、主系列星として光り輝くようになる。恒星は重力によって星が収縮する作用と温度によって星が膨張する作用が釣り合った状態を維持しており、温度が上がれば膨張して核融合反応を緩め、温度が下がれば収縮してコアの温度が上がり核融合反応を強めることにより、どちらかが暴走することなく安定して燃え続けることができる。
コアの水素核融合はヘリウムを生成する。蓄積したヘリウムは収縮し、それによってコアの温度が上昇して核融合反応がさらに加速すると恒星の温度は上がっていく。星は膨張して赤色巨星になる。恒星が水素を使い切るまでの時間は質量の逆二乗から逆四乗に比例し、小さな恒星が一千億年以上の寿命を持つのに対して、大質量の恒星は短期間で核融合反応が進行し最短で一千万年以下の寿命しか持たない。小さな星は非常に長く安定し続けるが、大きな星は一瞬で燃え尽きて鮮烈な最期を迎えることになるのだ。
太陽質量の半分未満の恒星では、ヘリウムの核融合条件を満たさないまま水素を使い果たして
太陽質量の八倍以上の恒星では中心温度が六億度に達し、炭素の核融合が始まる。太陽質量の十倍未満ではこれ以上の核融合反応は起きず、反応生成物であるネオンやマグネシウムのコアの原子核が電子捕獲を起こして中性子に変化すると、一気に温度が低下する。すると恒星自身の重力を支える圧力がなくなり外層物質がコアに向かって落下する。これを重力崩壊と呼ぶ。重力崩壊を起こした恒星の外層物質は重力エネルギーを解放しながら恒星のコアに衝突し、跳ね返されて数十光年を焼き払う巨大な爆発を起こす。この大質量の恒星が一生を終える瞬間の爆発を超新星爆発と呼ぶ。
さらに太陽質量の十倍以上では、最終的に超新星爆発に至ることは同じでも、核融合反応の段階は更に進むようになる。十二億度でネオン核融合、十五億度で酸素核融合、二十五億度ケイ素核融合がそれぞれ始まる。これらの核融合反応の継続期間は数年程度と大変短い。最後のケイ素核融合では鉄が生成されるが、鉄は全ての原子核のうち最も安定した核種であるため鉄以上の核融合反応は発生しない。鉄のコアの温度が百億度を超えると鉄原子核がガンマ線を吸収してヘリウムに分解される光崩壊が発生し、コアの温度は急激に低下、重力崩壊を起こす。
重力崩壊を起こした星が吹き飛んだ跡には、縮退したコアの成れの果てである中性子星やブラックホールが残されることになる。
以上の文章は、<星教>が開催した大博覧会の展示物の一つを要約したものである。
超新星爆発は第一銀河系では比較的頻繁に起きているが、大部分は星形成が活発な銀河中心付近や銀河核ジェットが星間雲をかき乱す領域で発生している。そのような短命な恒星が爆発的に生まれる領域には元々生命は発生しづらく、いわゆる銀河系の生命圏の内側で起きる超新星爆発の頻度は一桁少なくなってくる。
エディラカ星系から約四百光年離れたところにある二十五太陽質量の赤色巨星は以前より炭素燃焼過程にあったが、その次の段階に入ったことをエディラカ人の科学者たちが見つけ出した。
***
規則的に金属が接触して擦れ合う音が狭い空間に響く。四方を取り囲む金属の網と触れ合わんばかりの距離で、岩肌が超高速で下から上へ流れていく。
地下へ向かう垂直昇降機は無骨な金属で出来た
「これはどれぐらいの深さになるんだね」
昇降機に乗っているのは三人のエディラカ人。そのうち全身の甲殻に模様を描いた特徴的な個体が尋ねる。
「地下二七〇〇メートルになります、スリュ主教」
答えたエディラカ人はこの施設の案内人。そして主教と呼ばれたエディラカ人は甲殻を覆う模様と、<星教>のシンボルである押し潰した斜方十二面体型の装飾を纏う、<星教>に二十人いる各勢力の代表者の一人、スリューカラランド主教だった。
昇降機は減速しながら縦穴の底で停止し、この施設、大深度地下素粒子研究所の研究者たちが三人を出迎えた。
地下水の漏出を防ぐためにモルタルが吹きつけられた壁に、等間隔に赤い照明が並ぶ。
この研究所は地表の環境雑音や宇宙線を避けるために、地下三キロの岩盤を繰り抜いた巨大な空洞に作られている。研究対象は岩盤を貫いて降り注ぐニュートリノだ。
ニュートリノは強い相互作用を持たないレプトン六種類のうち、電荷を持たない三種類の素粒子の総称だ。電荷を持たないレプトンは弱い相互作用と重力相互作用だけと反応する。
原子のスケールで生きる生命にとって自己の世界を形作る相互作用は電磁気相互作用で、電磁気相互作用のない物質を検出することは難しい。重力相互作用は天体のような巨視的な物質の間で初めて有効に働く力で、生命現象の舞台となる原子や分子の世界では効果は測定できないほど微弱だからだ。また弱い相互作用は原子核程度の距離に近づかなければ働かない。
ニュートリノは宇宙に存在する素粒子の中では最も数が多く、ひっきりなしに惑星に降り注いでいるが、このような理由によって検出は難しい。これを検出するためには非常に小さい反応を拾う必要があり、他のノイズを受けない地殻内に観測機器が設けられたのだ。
「こちらがホォワト(恒星の名前)のニュートリノを観測している装置の一つです」
研究所責任者のアッバーグが、曲面を描く壁を指して言った。
「壁のようだが」
「この壁全体が、有機溶液で満たされた大きなタンクの外側の一部です。タンク内には検出器が並べられていて、通過するニュートリノがタンク内の溶液の原子核または電子と反応を起こす際に発する光を測定しています」
スリューカラランドは説明を聞きながら尋ねる。
「博覧会でホォワトの急激な膨張と収縮が起きているという望遠画像を見たが、星の外側の様子からはわからないのかね?」
「ある時期までは。しかしホォワトのような恒星の最後の段階の変化は非常に短い時間で起きるので、肥大化した外層に表れる影響からでは限度があるのです。中心部の熱は長い時間をかけて外層を温めて星の大きさを変化させます。一方ニュートリノは、少なくとも爆発の瞬間までは厚い外層を素通りしてやってきます」
爆発寸前の赤色巨星の外層は、コアの急激な核融合フェイズの変化により非常に不安定化することが知られており、エディラカ人が打ち上げた幾つかの宇宙望遠鏡もその脈動を捉えている。
恒星の脈動は電磁気相互作用を由来とする熱輸送により発生するものだが、恒星という巨大な系において中心部の反応が外層に伝わるには数万年という長い時間を必要とする。しかし透過性の高いニュートリノは恒星の外層に影響を与えない代わりに分厚い恒星をほぼ素通りしてやって来るため、検出することは困難でも逆に遮蔽された現象を観測する手段としては有効なのだ。
「甲殻の内側を透視する放射線撮影機のようなものというわけか」
「その通りです」
アッバーグは幾らかの資料を用意していた。それは博覧会の前に自身が使用した恒星物理学の概略だったが、この説明にはうってつけだった。
「ホォワトのような大質量恒星は概ね一千万年(以下全て人類の時間尺度に換算済み)以下の寿命のうちで、最初の水素をヘリウム、炭素、ネオン、酸素、ケイ素、鉄の順に核融合で変換していきます」
資料には恒星は中心部の核融合反応領域で軽元素を順に燃焼させながら、元素が重い順に中心から球殻の層を形成していく変化の模式図が用意されている。
「寿命のほとんどは水素とヘリウムを燃焼させている期間で、炭素燃焼は千年以下、ネオン、酸素はもっと短く、数年程度です。ホォワトが酸素燃焼に入ったのは、この施設ができてからなのです。ケイ素の燃焼はわずか三日、今から一日前です。そして最後の鉄は核融合を起こさずに分解し、その瞬間ホォワトは超新星爆発を起こします」
アッバーグが次に示した資料には、それぞれの燃焼段階の過程の概略が書かれている。
「核反応はその過程でニュートリノを放出し、そのエネルギーは核反応の種類で決まります。恒星内部の核反応は計算により予想されているため、やってきたニュートリノのエネルギーを測れば、それを起こした反応の種類が特定できるというわけです」
研究所のニュートリノ検出器は、稼働後二年間でホォワト由来のニュートリノを検出していたが、その数とエネルギーは急激に上昇していた。恒星の最後の燃焼が加速していくことがその理由だが、それは最後の反応ほど核反応で生じるエネルギーの大半をニュートリノが持ち去るからでもあった。超新星爆発の瞬間では、エネルギーのほぼ全てがニュートリノに変換され強力なバーストが発生する。
「素晴らしい。ところでこの施設は恒星以外のニュートリノも検出できるのだね?」
「原理的には核反応を起こすものなら、例えば惑星内部の核分裂反応。もっと小さな人工的な核反応も捉えることはできなくはありません、しかし今の検出器では距離が離れれば難しいでしょう」
種類別に分類された右肩上がりの検出数曲線を見ながらスリューカラランドは言う。
「アッバーグ研究所長、私を含め<星教>は大博覧会を成功に導いた功労者である君たちとこの研究を称えている。そして私はこの研究に二つの意義を感じている。一つは我々の科学に対する功績」
スリューカラランドはこの施設の研究者の一群の一つにちらりと目を向ける。
「もう一つはこれが”彼ら”の技術を明らかにでき、それが我々の力になるからだよ」
アッバーグがスリューカラランドと付人を次の研究装置に案内するために遠ざかっていく。
「
研究者の一人として加わっていたシャウォはその背に鋭く視線を向けて呟いた。
「昔から臆面なく口にする方だよ、スリュ主教は」
共に研究しているエディラカ人の研究者が言葉を返した。
「一応おれたちも注視している程度には熟知しているつもりだ」
「あなた方は反物質推進・核融合推進技術を持っていることを示しながら我々の文明と接触を図った。技術協定が結ばれたとしても、既に実例がある技術を積極的に推進し真似る方が近道になる。動いている<スピラ>推進装置のニュートリノを観測するのは、その近道になりうるでしょう」
シャウォは小さく否定の仕草をする。
「それもあるが、目的が変わったんだよ。おれたちがこの星の大気圏内で高度な技術を使わないのは知っていると思う。それは<スピラ>の技術がこの文明の勢力間の競争に利用されることを防ぐためだった。だが今は違う。<星教>中心の権力が整備されたことで、自種族の勢力同士にではなく、我々<スピラ>に対しての外交手段を打てるようになり始めているんだよ。その道具として推進装置を観測技術が必要になったんだ」
「<スピラ>の動向を観測できることは政治的な強みになる・・・ということですか。政治闘争に研究を利用しようという考えには喜ぶべきか迷うところです」
「だがニュートリノ物理学が単なる科学のみならず実用上の技術として求められているのだとしたら、どうだ?」
シャウォが問うと、若いエディラカ人の研究者は難しい顔をしながら答えた。
「それは確かに感慨深い」
***
超新星爆発を記念して行われた大博覧会は、エディラカ文明の進歩と統合の象徴として、<星教>により勢力間を越えて惑星全土で開かれた。ホォワトの超新星爆発はちょうど惑星の夜側から観測することができる条件にあったため、爆発の瞬間を観測できる夜側の都市ではより大きな催しが開かれることとなった。
四百光年離れた超新星爆発はエディラカ文明には基本的には無害なものだ。恒星の自転軸が第二惑星に向いていた場合のみ、強力なガンマ線バーストの放射を受ける可能性はあったが、恒星の自転方向は安全な向きにあった。それでも超新星爆発がエディラカ人を滅ぼすのではないかといった流言飛語は飛び交ったし、大博覧会はそういった俗説を封じ込める役割を果たした。しかしこの爆発が実際にエディラカ文明を危機に陥れることを予想できた科学者や政治家は、エディラカにも<スピラ>にも誰一人としていなかった。
***
その日夜空に現れた巨大な光点は、第二惑星を回る二つの衛星のどの光よりも明るく空を照らした。惑星の夜側にあった地域では、人々が夜空に現れた超新星に歓声を上げた。伝統的なものから近代的なものまで、様々な文化的な祝宴が惑星のあちこちで披露され、<星教>が文明の行く先について演説を行った。
一方研究者たちは数キロの岩盤で星空から遮蔽された施設で、その岩盤を貫いてやってくる超新星の輝きを捉えていた。
ニュートリノ検出機器は超新星爆発の数分前にはケイ素燃焼を表すエネルギーレベルを検出し続けていたが、それが遥かに高いエネルギー値まで跳ね上がり、非常に幅広いエネルギーのニュートリノに変化した。
超新星の重力崩壊は黒体輻射ガンマ線がコアの鉄原子核を分裂させると発生する。コアは中性子の塊になりながら収縮し、同時に圧力を失って外側から重力落下する外層の物質で押しつぶされた領域では、ニュートリノはもはや物質を素通りせず大きな相互作用を起こして領域を加熱するようになる。外層物質はコアに衝突、跳ね返り衝撃波を生み出す。この衝撃波は鉄より大きな原子核を生み出すありとあらゆる核反応を起こすために十分な圧力と高温を作り出す。それが幅広いニュートリノスペクトルを生み出している。
コアからの膨大なニュートリノ放射は十秒以上継続した。
シャウォはエディラカ人の大深度地下研究施設で、この瞬間に立ち会った。<スピラ>がこのイベントに無関心というわけではない。<スピラ>側の研究者も惑星軌道上の主ステーションに観測機器を、また幾つかの観測ステーションを展開している。ただし、エディラカ人に比べると、関心の度合いは薄いといえる。<スピラ>はこれまで何度も超新星爆発を直接観測した経験があり、既に十分な科学データを蓄積しているからだ。超新星のシミュレーションに関しても、<スピラ>のハードウェアマトリクスは現在のエディラカ文明の全ての計算資源を合計した値よりも巨大な能力を有している。
エディラカ人の研究者と共に観測データをチェックしていると、シャウォは一つのエネルギーレベルで、検出数が予測値と異なることに気づいた。
「水素核融合の検出数がモデルによる予測よりも、わずかに多い」
しかしそれ自体は何ということもない。この超新星の固有の現象かもしれないし、エディラカ人の作った観測機器の問題かもしれない。またニュートリノの観測は確率的であり、百万の検出数のうち、あるエネルギーレベルが占める数百個の検出数には予め誤差が生じる。
それでも<スピラ>側のチームにデータの対照要求を伝えたのは、シャウォの長年の勘と習慣によるものだった。
やがて異様なことがわかったという知らせが入った。<スピラ>側のニュートリノ観測チームは、シャウォにステーションへ戻るように個人通信を送ってきた。
エディラカ星系を五十億キロ垂直方向から見下ろす宇宙空間の
チームの一人は<スピラ>のニュートリノ検出器のモデルを真上に投影する。<スピラ>のニュートリノ検出器は、精密制御されたX線レーザーの光格子にトラップされた多数の原子核とニュートリノの相互作用を検出するものだ。
「我々のニュートリノ検出器は地上で使われているものに比べて、ニュートリノの運動量を検出する方向分解能において優れています。エディラカ人の検出器は惑星上の狭い範囲に分布しており、検出器自体もニュートリノの入射方向の運動量を検出する用途には向いていません」
そう前置きして、第二惑星軌道上のステーションから検出したニュートリノのベクトルとエネルギーの分散を景観の中央に表示した。
「問題のスペクトルの運動量は、超新星から発せられた他のニュートリノと同じでした」
つまりニュートリノは超新星の方角からやってきたことになる。その深宇宙方向には、他のニュートリノ源になりうるエディラカ恒星も核分裂反応を行う惑星もない。
「すると、同時に起きた別の放射源を拾ったわけではないのだな」
シャウォはそう言って安堵する。<星教>の一部が新しい外交を企てていることから、例えば超新星爆発と同時にエディラカの地表の別の地点で水素核融合が起きた、つまり何らかの爆発を起こしたのではないか、という疑念を抱いていたのだ。
しかしチームの<スピラ>住人はシャウォのその安堵を否定した。
「いいえ、違う放射源だったのです。同等の検出器を備えている星系内のステーションからのデータを調べたところ、第二惑星から離れた検出器は異なる運動量を示しました」
更に三枚の分散図が重ね合わされる。
「この角度の差から放射源までの距離を求めた結果・・・放射源はエディラカ恒星から十光時の星系外縁部であることがわかりました」
シャウォたちが立つ景観の下に広がっていたエディラカ星系の星図に、各検出器の位置から星系の外側に向かって線が伸びていき、それがある点で交差した。超新星からのニュートリノであれば、星系のスケールではどんな位置でもニュートリノの運動方向は平行になるはずである。
「放射源が星系外縁部に・・・だと?」
シャウォは驚愕して、その交差点を凝視する。
「それで直接出向いてほしい、と連絡したわけです」
その住人もアバターの表面には情報を出さないが、シャウォと同じ心境のようだ。
「”宇宙工学者”であるあなたであれば、”このニュートリノを発した人工物”の正体を推測できると思ったからです」
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