A-1-4 蜜月

 エディラカ星系 第二惑星



 意識が動き出す。全身にかかる重力や身体特有の感覚の違和感を感じられるのは一瞬で、すぐに認知されなくなる。代わりに身体がぴったり収まっている容器と、この身体の光学器官に刺激を与える柔らかな光が知覚された。

 身体を起こした。

 セプタがエディラカ人型の有機身体内で目覚めるのは久しぶりのことだった。セプタ自身が設計したこの有機身体は、エディラカ文明内における<スピラ>住人の標準的な姿になっている。

 エディラカ星系の第二惑星には内骨格の生物は存在せず、その生態系の頂点にいるエディラカ人も例外ではない。外骨格の甲殻こうかくで覆われた身体から突き出た合計八本の脚を、エディラカ人は状況に応じて地面を支えるための足と物を掴んだり腕に器用に使い分ける。その使い方には集団ごとに異なる文化的な約束がいくつも存在する。

 <スピラ>住人がエディラカ人になりきるにあたり、この身体の感覚器官に対応した空間的統合形式スパティカルモデル時間的統合形式テンポラルモデル、そして感覚質統合形式クオリアモデルを自身の精神と結合させることでエディラカ人と同じ主観現実を獲得した。そして身体を制御する神経回路を結合することで、彼らと同じように身体を操ることができるようになる。その神経回路にはエディラカ人の文化的約束を由来とする反射応答も最初から含まれている。肉体生命の動きの大半は思考によってではなく神経回路の反射で成り立っているからだ。少なくとも<スピラ>住人には、エディラカ人が生まれてから脱皮を繰り返して肉体の操作に熟達していく発達過程を追体験する必要はなかった。

 <スピラ>の第二惑星地表のステーションは、エディラカ文明側の政治的な理由により洋上に建造された。

 セプタはエディラカ人が使う道具が一式収まったベルトだけを身に付けると、部屋から出た。外骨格生物のエディラカ人には、地球人類のような衣服の概念は存在しない。

 ステーション内の内装は基本的にはエディラカ文明に合わせて作られている。それがエディラカ人型の身体にとって最も適しているからなのだが、<スピラ>固有の技術を可能な限り地表に持ち込まずに済む方法でもあった。ただし、有機身体自体はエディラカ文明の水準を越えており、身体の形成・維持・住人のロードに関わる技術は例外だ。そのためか、セプタが目覚めた中枢区画だけはエディラカ文明の形式を無視している。中枢区画から歩いて出て行くと、のっぺりして継ぎ目のない壁材の通路から、金属の格子の膨らみを持ったモルタル製の通路に変化する。

 屋外に出ると、全ての方向で地平線の彼方まで海が続いている景色が広がっている。赤色矮星の周りを回る第二惑星の表面から見る恒星は大きく(地球人類の色彩表現では)赤い。その赤い恒星光に照らされる海は、深い青紫色に揺らめいていた(ただしレッドシフトした波長帯に最大の感度を持つエディラカ人の色彩表現ではこの恒星光こそが白に見える、以下は読者である地球人類の色彩表現を優先する)。

 高い気圧のためにこの惑星には雲はごくわずかしか存在せず、広大な海から揮発した水蒸気が濡らすのは陸地でも沿岸地域かつ降雨に適した山脈部に限られる。内陸部は広大な砂漠が広がり、陸地に進出したエディラカ人の全身を覆う赤と青の混成色からなる甲殻は、乾燥に強く引き締まっている。

 屋外には飛行艇が待機していた。飛行艇は平たく潰れた水滴型の本体を吸気式推進器が貫いた姿で、滑らかな機体の表面は恒星光をそのまま跳ね返す。セプタはその飛行艇に乗り込み、結合された知識と行動パターンを使って機器を立ち上げ、操縦桿に腕の一つを引っ掛けると、機体を離陸させた。

 機首を上げ、高度二万メートルまで上昇してから高速飛行に移行する。第二惑星の大気円柱は厚く、より高速度での飛行には高高度までの上昇が必要だが、低高度で揚力を生み出すことは難しくない。エディラカ人は文明史の早い段階で飛行術を身につけていたようで、航空機による交通が発達している。

 飛行艇が海上からのレーダー波を検知する。セプタが飛行艇から高空から深紫の海を見渡せば、航跡を引く編隊を組んだ黒い点が見える。エディラカ文明の海軍だ。海上のステーションにはいかなるエディラカの勢力も接近できないように合意が交わされていたが、海域外では複数の勢力の海軍が艦艇を派遣してお互いに牽制し合っていた。いっそ<スピラ>が自ら武装すれば彼らの軍事力を無駄に使用しなくても済むのだが、エディラカ側がどちらを選ぶかを考えれば選択の余地はないといえる。今のレーダー波はこちらを監視しているという意思表示だろう。<スピラ>の大気圏内用飛行艇はエディラカ人の技術水準に合わせて作られており、少なくとも調べたところで彼らが得るものは何もない。

 海上の様子は無視して、セプタは飛行中にエディラカ文明に関する最新の知識を一通りアップデートすることにした。


    ***


 <スピラ>恒星船は(太陽系基準における)十年で恒星間速度からの減速を完了し、速度を保ったまま星系外縁天体から質量を補充しつつ、第二惑星と並走する惑星軌道に入った。その時には船の質量は十万トンにまで増強され、質量相応に強化された星系内用の反物質触媒核融合推進器、恒星光受光パネル、各種観測設備を備えていた。

 エディラカ人における約二十三年紀(一八四公転周期)の猶予の間に、エディラカ文明の有力な勢力は形式的には歓迎態勢を整えていた。しかしそれはエディラカの全ての勢力にとって初めて接触する異星種族を迎え入れ、自勢力に有利な形で利用しようという目的が共通していたからである。観測能力で優越する<スピラ>が各勢力の動向をできていないわけはなく、それでも<スピラ>はそれを不誠実な対応とは見做さなかった。彼らの文明の内情を考えればそれは合理的な行動だ。

 <スピラ>が減速時に反物質推進器による通信波を送ったことで、エディラカ人は相手の推進技術を彼らが確立した物理学によって正しく認識しており、彼らの空想作品にあるように異星人の宇宙船に攻撃を仕掛けるような対応は起きなかった。政治的には散々紛糾したようだが、彼らの文明水準が征服ありきの段階から脱していた証だろう。実現性の観点から言えば、宇宙空間の目標に誘導弾を届けるには標的と同等以上の加速能力を持つ必要があり、化学ロケットを実用化して核分裂ロケットの研究を始めている段階のエディラカ文明が、恒星間航行可能な推進技術を持つ宇宙船に誘導弾を命中させることは不可能に等しい。

 そのような能力を持つ異星種族の宇宙船に対して、エディラカ人が警戒心を持つこともまた当然だ。エディラカ人はもちろん恒星間文明の平均的な有り様を知るはずはないが、平均からすれば<スピラ>は最も非武装の恒星間文明であり軍事力と呼ばれるものを持っていない。それでも惑星上の文明と宇宙文明では使用するエネルギーには何桁もの違いがあり、<スピラ>の非武装の軌道ステーションは現段階のエディラカ文明を滅ぼすには十分な能力を備えていた。<スピラ>がどれだけ平和的でも、攻撃力と防御力の両面において<スピラ>はエディラカ文明にとっては圧倒的軍事力を持った存在であり、その軍事力を背景に交流を申し込んできた存在に見えただろう。

 エディラカ文明の各勢力はそれぞれがある教義に従う社会規範を持っており、それが各勢力を隔て特徴付けていた。それらの勢力間の会議として<星教せいきょう>という組織が存在し、<スピラ>は不完全であれ<星教>をエディラカ文明の代表組織と認識することを決めた。

 二つの文明の代表組織の間で通信が交わされ、直接訪問が決定された。<スピラ>側の代表者を乗せた宇宙船が第二惑星に降下した。<スピラ>側代表者はエディラカ人の姿をそっくり模倣した有機身体をまとって現れた。それはセプタとその仲間が作った作品であったから、セプタ自身もそのことをよく覚えている。

 <スピラ>側代表者のラムリエャは、全惑星中継された<星教>のドームの中心で、エディラカ人の言語を用いて公式に演説を行った。

 その演説は、エディラカの社会と文化への衝撃を最小化するように彼らの価値観に基づく<スピラ>の紹介と来訪の目的、<スピラ>がエディラカ文明を尊重し侵襲の意図がないことを示す内容で構成されていた。それはエディラカ人の立場では、自文明への十分な理解の下で構築された初めての他者からのメッセージであり、自文明に対する初めての客観的評価と言えた。


 それが二年紀前にあった、拍子抜けするほど穏やかなファースト・コンタクトだった。

 <スピラ>の演説はエディラカ人を急き立てないように極めて抑制されたもので、彼らの変化を誘発する言葉を排除して作られていたが、それでも他文明と接触した事実は甚大であり、その影響はエディラカの地政図の変化と社会の経済力が向かう分野への変化として表れていた。

 政治面においては各勢力の権限が<星教>へ委譲され、<星教>を中心にエディラカの文明は徐々に統合されつつあった。

 経済面では宇宙開発への積極的な資材と人材の投入が活発化していた。

 いずれも自分たちと対等な異文明に接触したことで、エディラカ人が一種族としての意識を強く持つようになったことに他ならない。無論当初各勢力は<スピラ>がもたらす知識と技術を他勢力との競争に用いることを考えており、それが瓦解しなければ種族の統一は進まなかっただろう。<スピラ>が意図せざる変化を与えすぎてしまったとするならそれはこの点に尽きる。

 ラムリエャは<星教>での代表会議上でこう言ったのだ。

「エディラカ文明の自発的な進歩と発展を尊重するために、<スピラ>が技術を供与することはありません。しかしあなた方の科学者が望むのであれば、私達と共同研究を行い、成果を共有し、科学を発展させることを手助けします」

 技術そのものを与えはしないが、エディラカ人が自分たちでそれを作り出すなら助けるということだった。エディラカ人の科学コミュニティは成果を全世界で共有するネットワークを持っており、<スピラ>は各々の勢力の技術独占競争を防ぐために、その公開ネットワークを利用したのだ。これによってエディラカ人は<スピラ>の科学者と共同研究を推し進めるようになり、各勢力の技術専有の目論見の瓦解とともに、文明の統一が進み始めたのだ。


 大陸に近づくと飛行艇は高度と速度を下げ、沿岸政府の航空管制を受け入れて空港に着陸した。

「あなたの到着を待っていました、セプタ」

 空港の一角にある格納庫に飛行艇を誘導してから降り立ったセプタを、一体のエディラカ人が甲殻から音を出して出迎えた。

「お久しぶりだ、ガッディンゲル所長」

 セプタもエディラカ人と同じように挨拶した。


 二人を乗せた六輪式の車両は海岸沿いに広がる街並みの中を進んでいた。地平線のすぐ上を巡る赤い恒星光が立ち並ぶ石材性建築物を照らし出す。海には半植物系家畜プランクトンを育てる畑が広がる。

「まだ警備が多いようだな」

 それらを見渡しながら、セプタは地上車両に乗り移る前の、空港内の様子を思い出して言った。

「あなた方との共同研究の大きな発表会議ですから、警備も多くなっているのですよ」

 ガッディンゲルも車上から点々と見える警備員に突き出た目を向けながら、落ち着いて言葉を作る。

「実際のところは?」

「・・・”異星人の技術”を手に入れたい者、<スピラ>との交流を否定したい者は数多いようです。あなた方の方針は生活の激変を危惧した市民や政府からは歓迎されても、野心的な組織や軍にとっては気に入らないようですね」

 <スピラ>の来訪はエディラカ人の世界認識に巨大な影響を与えた。それに反してエディラカ文明の変化はごくわずかに留まっている。これを成功と呼ぶか失敗と呼ぶかは考え方の相違に過ぎないが、文明の急激な変化が版図の書き換えに伴う武力紛争や政治紛争として表出することを防ぐという視点では、双方の慎重なアプローチは成功を収めていた。

「<スピラ>の外交部と、そちらの<星教>の合意に期待しよう。この身体もだが、我々がどれだけ自分たちの情報を公開するかは、あなた方の文化への影響を考えれば慎重にならざるを得ないのだ。これは<スピラ>でも未だ統一的な意見の一致を見ていない問題だ」

「信頼していますよ、あなた方の慎重すぎる態度でよくわかります。これでも以前に比べると落ち着いたものでしょう?」

「そうだったな」

 セプタは二年紀前の、研究施設の外に押し寄せていた交流反対の運動のことを思い出す。今はそういったものを見かけない。飛行中に更新した現在の文明の意思統一状況からも、そのことは伺えた。

「<星教>は二年紀で幅広い勢力をまとめることに成功しているようだな」

「その<星教>では、今あなたが言ったように対等を目指す意見が出始めているそうです」

「それは非公式情報ではないのか?」

「政治家はともかく、これでも科学者の私には、あなた方に対して隠し事が通用するとは思っていませんから」

 ガッディンゲルはエディラカ人的表現でにこやかに言う。

 それは完全に図星だ。<スピラ>はエディラカ文明の政治的状況を細大漏らさず把握している。むしろ自分たちの情報を他勢力に秘匿し合っているエディラカのいかなる勢力よりも正確に知っているというべきだろう。<スピラ>相手に政治的駆け引きを挑むのは、地球人類の表現で例えるなら最初から全てのカードを表にしてポーカーをするようなものだ。それでいて相手のカードは見ることができず、こちらのこちらの持っていない五つ目のスートを持っている。

 セプタは無言をもってそのことを肯定した。

「研究チームの解析結果を読んだが、俺が話すまでもないぐらいにはよく分析されている」

 自分が送った、こぶりなガス惑星の第三惑星が持つ衛星の一つで収集した生化学データについて、ガッディンゲルの研究チームがまとめた報告について話す。セプタはこのために研究チームに加わり、今こうしているのも研究に関する発表を行うためだ。

「あなた方のチームの指導のお陰です。まさか私が生きているうちにこの惑星以外の生命化学を知る機会がくるとは思わなかった。七億キロ彼方から映像でしか見ることができない我々と違って、あなたが自身が見た景色を語るだけでも、十分な意義があるものですよ」

 <スピラ>とエディラカ人の間で結ばれた協定にはエディラカ星系の所有権についての取り決めもあった。領土の専有という概念は<スピラ>には馴染みの薄いものだが、惑星上に線を引きお互いに領土を確定した統治体制を持っているエディラカ文明がそれを惑星外に拡大しようとすることは、少なくとも今時点では自然な考え方と言える。エディラカ人はエディラカ星系の原住民として星系に存在する資源と情報の運用に関する決定権を要求し、そうした情報を独占するつもりもない<スピラ>側も受け入れた。

 <星教>は交渉の末、<スピラ>が探査した星系内の情報についてエディラカ人がそれを保有することを認めさせた。もちろんエディラカ文明の技術水準の範囲内でだ。

 エディラカ人は既に系内探査機を用いて第三ガス惑星の衛星に生命が存在できる環境があることを突き止めていた。しかしそこに有人機を飛ばすための技術は開発中であり、またエディラカ人は肉体に符号化された知性を他の形式に転送する技術も持っていない。そこで代わりに共同研究者として<スピラ>住人が赴くことになった。

 以後セプタはその衛星上で活動しており、第二惑星に立ち寄ることはなかった。これは衛星が第二惑星から離れているため戻れなかったという工学上の問題ではなく、単なるセプタの選択だった。<スピラ>住人は通信波でステーション間を移動できるので、衛星上のプローブと第二惑星軌道上のステーションを行き来することは本来ならなんの障害もない。

「期待に沿えるスピーチができるように努力しよう。俺が見た景色といっても我々の存在様式上、”直接見た”という定義は難しいがな」

「それで、一度どうしても訊いておきたいことがありました。あなた方のデータ化された精神についてです」

「ほう」

 ガッディンゲルが質問の可否を求めるように胴体の上に生えた一対の目を動かすので、セプタは同じ方法で肯定の意思を返した。

 <スピラ>はエディラカの生命にとって異質な内骨格生物の先祖の姿を公表していないが、いわゆる精神をデータ化した存在であることは比較的早く伝えていた。仮にそれがわかってもエディラカ人にとっての問題は変化しないからなのだが、<スピラ>の洋上ステーションが軌道上と物理的に宇宙機を往復させていない時点で教えているようなものだった。

「あまり科学的に正確な話ではなくなってしまうので迷っていたのです」

 ガッディンゲルはそう前置きした上で、

「私達の自意識は神経組織という物質構造に生涯固定されていて、分かつことができていない。しかしあなた方はその自意識を固定せず、エディラカ人の肉体に入れたり、電波に変えて別の形式に入れ替えたりしていますね。あなた方の意識はどうなっているのですか?」

「おそらくその質問をしたエディラカ人はあなただけではないだろう」

 セプタはエディラカ人の言語でその答えを組み立てながら、彼らの推進している分野について考えていた。エディラカ人はもちろん<スピラ>が肉体を持たないことを知って以来、精神のデータ化研究に邁進している。だがそこに至る道に横たわる数多くの倫理の壁を全て乗り越えるまでには相当の時間がかかるだろうと<スピラ>側は予測していた、ある意味でそれは肉体生命の死を意味するのだから。仮に<スピラ>が彼らにデータ化の技術を与えていても社会的な合意を取り付けるには世代を越えた長い時間がかかるはずだ。

「あなたが気にしているのは意識の分割問題だな?」

 セプタは読み取ったガッディンゲルの思考から、彼の考える問題の核心部分に切り込んだ。

 <スピラ>はデータ化された意識から成り立つ存在で、その意識はハードウェアマトリクスという計算装置の間を電子や光やニュートリノといった粒子に情報を乗せて移動することができる。であれば、計算装置の上の意識の主観はどう変化するのか。

「流石話が早い」

 ガッディンゲルはそれでも、分割問題に至る思考実験を順を追って説明していく。

「我々の精神は神経組織内に符号化されていて一生そこから移動することはありません、だから主観意識がここにあることに疑問を持ちません。しかし意識も物理現象に過ぎず、原理的には物理法則が許す限りの情報を読み取って複製や移動ができるはずです」

「ただし、量子的な情報は複製ができない。物理法則にも限度はあるぞ」

 セプタはそう言葉を挟んだ。セプタの言ったことは量子複製不可能性定理と呼ばれ、量子情報は異なる情報荷担体かたんたい――例えば異なる電子の間を移動することはできても、一つのものを二つに複製することはできない、という定理である。意識が量子情報から形成されていれば、必然的に意識の複製もできなくなる。

「そうですね。もし意識が量子情報であれば分割できないで決着が付く。しかし我々の科学でも、自意識を符号化している神経ネットワークにおいて少なくとも複製不可能な量子的な相互作用は支配的な構造ではないと考えられています。・・・あなた方も意識を量子情報として扱っているわけではないのでしょう?」

 ガッディンゲルは最後の言葉をやや間を置いて言った。尋ねてよい質問なのかを迷ったのだ。

 セプタは気前良く答える。

「その通りだ。有機生命体の室温環境では十分に粒子数の多い量子多粒子系の量子情報は破損してしまう。ゆえに神経組織は全ての情報を量子的に取り扱うことはできない」

 炭素系生命が存在できる温度と圧力環境では、十分大きな量子多粒子系の量子状態はそれほど綺麗に記述されない。地球人類の量子力学で説明するなら、物理系は全て量子力学に従うが、炭素系生命が存在する温度と圧力の領域では熱雑音が大きすぎ、その中で実際に意味のある計算として利用できる物理系は限定的となる。量子状態を定義する状態ベクトルのすべての成分を利用することは非常に困難を極める。したがって生物の神経ネットワークも取り扱いが困難な物理系の情報を利用することはないのである。

 セプタの了解を得てガッディンゲルは話を進める。

「であれば、十分進んだ技術、あなた方と同レベルの技術があれば、神経ネットワークを正確に写し取って複製したり、半分ずつ分割して足りない部分を複製からつなぎ合わせることができるはずです。前者の状態における主観意識には問題ありません、私は単に複製されるだけなので、複製前の私に私という主観があり、複製先の私を別人のように認識すればいいですから。しかし後者の状態では、二つに分割された私を復元する際、どちらに私が宿るのか決定できません」

「その認識は半分の正解だ。確かに神経ネットワークにおいて量子的な相互作用は支配的ではない。それは量子状態の不安定性に起因するものだが、それでもネットワークが影響を受ける相互作用には違いなく、その先端は量子レベルまで届いている。そして意識を作り出すネットワークが取り込む”数学的構造”に本質的な上限や下限は存在しない」

「数学的構造?」

 ガッディンゲルがその言葉の意味について尋ねるが、セプタはそれに関して正確な回答をすることはできない。

「意識の数学的構造――詳しい定義はあなた方の既知の学問では表現できないのだが、これは”自らの数学的規則を一意に定めることができる構造”とでも言っておこうか。つまり意識は自身の情報処理を意識であると自己認識できなければいけない、さもなくばどんな情報処理も数値の羅列に過ぎなくなる」

「なるほど。例えば電子計算機が行っている物理現象を意味のある計算だと認識するためには私達がその意味を解釈してあげないといけない。しかし意識は自分自身に対してそれをできなければいけないと?」

 セプタは頷く。

 神経組織内で生まれる自意識は神経ネットワーク全体の動きと状態から定義される数学的な構造を持つというのが<スピラ>が知っている意識の定義だ。情報処理が情報処理として意味をなすには規則が十分に明瞭でなければならず、その規則は数学的に記述することができなければいけない。それを一意的に定めるというのは、情報処理の過程や結果からそれが従う規則を唯一つに定めることができるという意味だ。自意識は自分自身が発生させる自意識を自ら定義できなければいけない。

「それはわかりました。ではそれを踏まえて意識の分割問題は?」

 ガッディンゲルが本題を尋ねる。セプタはその答え、つまりセプタ自身が常に経験している意識の複製という状態について、あくまでこの思考実験の範疇で答える。

「この意識は実際には多様な状態を持っている。あなた方のような神経組織を低レベルまで制御する技術を持たない段階では、生涯ある一つの状態だけを経験し続けるために他の状態を想像することもできないだろう。もし神経ネットワークを読み取って複製不可能な量子レベルの情報を削ぎ落とした情報体を作っても、知性としては正常に動作する。しかし自意識は保存されない」

「つまり量子情報を部分的とはいえ含んでいる意識を複製すれば、それは今の意識の死、ということになるのでしょうか」

「自意識の状態変化という死が、ネットワークの物理的破壊や機能停止とは異なるものであることには気を遣わなければいけないが、その通りだ。

 もし自身の神経組織を読み取って部分複製をすれば、足しあわされた神経ネットワークは同じように知性として正常に機能するが、オリジナルの組織が持っていた量子状態は再現されず、発生する自意識は違う状態に移行し始める。自意識の数学的構造は、少なくとも移行が始まる最初の一瞬は二つに分割された神経組織全体をも包括している。だが移行が始まると各々が独立した構造によって相互作用を進めるため包括は維持されなくなり、元々の数学的構造は消失する。だから神経組織を二分割して複製で補填すれば、”自意識がどちらかに宿ることはなく、両方が新しい状態の自意識への移行を始め、元々の自意識が消えゆく様を体験する”ことになるだろう」

 ガッディンゲルは四本の腕を絡め合わせて今の話を咀嚼そしゃくしようとする。やがて尋ねる。

「では、あなた方の精神は?」

 セプタは自分たちの精神について答えるべきか、わずかに考える。情報開示の規則とは関係なく、心の哲学としてエディラカ人の持つ意識の尊厳とは相容れないからだ。ただ、エディラカ人と相容れるように接していられるのは<スピラ>がエディラカ人を模倣しているからであるというのが客観的な事実で、意識の状態が異なると主張してもエディラカ人にとってはその状態を区別できないのだから、影響はあるまい。人類の思考実験で例えるなら、二つの種族の間の意識の違いとは哲学的ゾンビに近い。

 セプタは発声器官を開く。

「我々の精神は初めから複製可能なものとして量子系から分離されて、完全に古典情報として記述されている。それゆえ、肉体生命の量子情報が混合した意識とは初めから別のモードで走っている。そこでは意識を構成する構造は、常にシステム内部で複製されたり消去されても構わず、この有機身体から別のハードウェアへの移行も、厳密には移動ではなく複製と消去で行われる。これらの操作はあなた方の”今の自意識”にとっては消去は死を意味するのだが、我々の”新しい自意識”はその死を回避するのではなく・・・慣れることによって適応している」

「慣れですって。ではあなた方には死を恐怖する本能はないのですか?」

「客観的な意味での死の恐怖はもちろんある。しかし我々にとって複製と消去は生死ではないんだ。言っただろう、自意識の状態が違うと。我々にとっての自意識の連続性の意味はあなた方とは異なる状態にある。話せる領域ではあまり科学的に正確な話はできないのだが・・・あなた方の幾つかの宗教における、死後の世界か何かだと思っておくといい」

 ガッディンゲルはそれからしばらく何も言わなかったが、やがて発声器官を打ち鳴らして冗談交じりに答えた。

「ありがとうございます。確かにそれは我々の思考実験の範囲を逸脱しない説明ですが、もしかしたらその比喩はこの星の宗教には影響を与えてしまうかもしれませんね」


    ***


 二人を乗せた車両はドーム状の施設に到着した。エディラカ-スピラ共同の初の大掛かりな研究会議ということで、ここまで来ると政治的主張を唱えるエディラカ人の姿も見える。

 ドームはエディラカ人の建築様式に基づき金属とセメントでできている。空港からここに至るまで、植物組織――地球の木材のような炭化水素化合物繊維でできた建物は存在せず、伝統的な建築物ほど石材だけで作られている。これは第二惑星の地上に進出した植物系生命が構造材として使えるほど強靭な組織を持ち合わせていないからだ。この星で森林と呼べるものは地面に薄く広がる植物系から成り立っている。それらの植物の平均的な反射波長帯は四百ナノメートル前半をピークにしており、地球人の色彩では青色に見える。

 その青色の植物に彩られ、深成岩で内張りされたエントランスホールに入ると、多くのエディラカ人の研究者・報道機関・政治家の姿があった。研究者に混じった<スピラ>住人の姿もちらほらと見える、外見上はエディラ人そのものなため区別はしづらいが。

 セプタはその中にメシエの姿を見つけると、ガッディンゲルに軽く尋ねる。メシエもガッディンゲルの研究所で活動している。

「彼は上手くやってるかい」

 <スピラ>住人は軌道上のステーションに十分な記録とバックアップを残していて、知りたいと思った相手が情報開示許可を与えている場合、わざわざ第三者を経由して尋ねる必要はない。セプタが尋ねたのはこのエディラカ人の所長に言葉を掛ける目的が半分、もう半分はメシエがステーションにも情報をほとんど残さないほど地表に入り浸っていたからだった。

「メシエはスピラ人の中でも一番馴染んでいますよ」

 ガッディンゲルは親交者を見るような目で研究所でのメシエの様子を話していったので、セプタはよく納得した。その通り、あいつはそういう性格だ。


 ドームで行われた会議はさしたる問題もなく終わり、セプタが関わった第三惑星の衛星の生物学についての報告と指南も滞りなく終了した。そして行きと同じくガッディンゲル所長とセプタは地上ルートでガッディンゲルの研究所に向かった。

 事件が起きたのはその途中だった。

 車両が白っぽい山を貫通するトンネル内に入った時、前方に貨物用の大きな車両が立ち塞がった。運転手は素早く八本腕用の操作系を動かして車両を停止させ、事故が起きたのかと前方を確認しようとして、何かに気づく。

「所長」

 エディラカ人流の抑揚でそう言い、腕を一本小さく前に差し向ける。それで十分だという風に。

 後ろに乗っているセプタとガッディンゲルも、状況を把握した。

 前方の貨物車両の間から、甲殻に塗り物をして個体特徴である甲殻の斑点を隠したエディラカ人の集団が近づいてきている。その身には三本の腕で支えられた武器らしき塊がついている。

「セプタ、おそらく私でしょう」

「同意見だ」

 二人は可能な限り動きを抑制しながら、状況の理解を合意した。

 交流反対運動にはもちろん攻撃的な行動――関係者の拉致や脅迫も含まれていたのだが、<スピラ>住人が標的にされたのは最も理性を欠いていた初期だけで、現在はエディラカ人の関係者に標的が移っていた。

 その時点でセプタは方針を明確に決めており、エディラカ人型の身体に備わっている限定的な、しかし通常は不活性化させている生体制御コマンドを動作させていた。

「ガッディンゲル所長、しばらく俺になりすましてくれ」

 セプタはそう言って車内にあった、日除け用の背に長く垂れる帽子をガッディンゲルに被らせた。

 どういうことか、とガッディンゲルが目だけを動かしてセプタを見ると、次の言葉を失った。

 セプタの甲殻の模様はガッディンゲルと瓜二つに変化していた。

「今更細かい協定について言ってくれるなよ。この有機身体は基本的には同じもので、此処の住人ごとに後天的に特徴を与えている。それを変更したまでだ」

「私はどうすればいいでしょう」

「身を隠して俺の同僚に伝えてくれればいい」

 小さな声で素早くやり取りを終えた。

 近づいてきた襲撃者の一団は車両を取り囲み、うち二人が後部席の扉の前の前に立つ。セプタは大人しく扉を開けた。

「ガッディンゲル所長、我々に同行を願いする。もうお一方は、どうか顔を上げず無用な行動は起こしませぬよう」

 二人はその手の銃器、甲殻に張り付いて爆発する粘着榴弾銃の先端を、二人にそれぞれ向けながら、あくまで丁寧に言った。

「わかりました。しかし彼には一切の手を出さないと保証してくれますね?」セプタはガッディンゲルの口調と声で応じる。

 襲撃者はただ一言「もちろんだ」とだけ答えた。

 その時点でセプタは、彼らがなり代わりに気づいていないことを確認した。身体の動きではまだまだ不十分だが、声を聞けば十分だった。あらゆるエディラカ人の仕草は、それを実行させる神経組織に符号化された思考を反映する。エディラカ人の心理学には未踏でも、<スピラ>にとってその構造とフィードバックの結果は結合因子一つ一つに至るまで既知のものだった。エディラカ人の思考を読むことは難しくない。

 少なくとも襲撃者が同行者を<スピラ>住人だと理解していることも把握できたし、それゆえに可能な限り軽率な扱いを行わないように厳命されていることもだ。その判断は称賛したいほど正しく、別の意味では大きな誤りだった。

 セプタはエディラカ人であればそう考えるように、粘着榴弾銃に対して恐怖を感じているかのような表情を作って、大人しく同行に応じた。襲撃者は用意した貨物車両に彼を乗せると、素早く撤収を始め、トンネル外へ向けて発進させる。ガッディンゲルは帽子を深くかぶったままそれを見届けると、運転手に新しい行き先を指示した。


 セプタは目隠しをされたまま、その後車両を五回乗り換えた。乗り換えは全てトンネル内で行われたと音波の反響から理解できた。

「十五番ルートで検問。十七番へ差し替える」

「七番のダミーは捕まった。思ったより初動が遅い」

 彼らの会話の固有名詞は全て記号で行われていたが、少なくともガッディンゲルの連絡を受けた仲間が考え通りの行動を起こしたことは把握できた。もしガッディンゲルが彼らの計画通り誘拐されていれば、セプタがまず行う行動はエディラカの警備機関への通報である。だがもしガッディンゲルになり代わったセプタが拉致された場合、ガッディンゲルが直接動けばエディラカ人側にある情報網の一部からなり代わりが漏れる可能性がある。そうなったらセプタは即刻解放されるだろう。今セプタを誘拐している組織は<スピラ>住人に手を出さないだけの慎重さを持っているからだ。

 しかし、セプタがなり代わった目的をセプタの仲間が正しく把握できているなら、現時点ではガッディンゲルが誘拐されているように見せかけるのが最適といえる。<スピラ>住人にはいかなる個人的な尋問も脅迫も通じないので、<スピラ>的な思考ではここでセプタの生還が考慮されることはない。


 窓のない室内で、セプタは目隠しを外された。

「改めて挨拶申し上げよう、ガッディンゲル研究所所長」

 周りに目を配ったが、案の定位置を特定する手がかりになる情報はない。

 対面する相手は襲撃時にも話したエディラカ人だった。甲殻の塗りは拭き落とされており、個体特徴を露わにしていた。セプタの結合された記憶野にはそのエディラカ人の個体名は存在しなかった。正体を知られても構わないほどの権力者ではないようだ。とりあえずはそれについて話すことにした。

「私があなたの個体特徴を通報する可能性は考えなかったでしょうか」

「それは我々があなたを生きて解放する前提で言っているのかね?」

 エディラカ人は四本の腕を組んでどかりと椅子に座った。

「わたしのことはスインフトと呼んでくれたまえ。斑点を明らかにしたのはわたしの不転の意志の印だ」

 スインフトは腕を組んだまま続ける。

 「つまり、君には我々との協力を飲むか、死ぬか以外の選択肢以外は与えられていないということだ」


    ***


『あなたはしばらく表に出ないようにしてください』

 エディラカ人が使用する光学ディスプレイ端末の映像の中で、ラムリエャはそう話を終えて姿を消した。

「これで予定通り、ということでいいのでしょうか」

 自身の研究所にある<スピラ>専用の区画の一室で、ガッディンゲルは言った。

 異星種族専用の区画と言っても<スピラ>は生体的にはエディラカ人そのものなので、情報保守上の観点から分けられているに過ぎない。

「てっきり、私より彼のほうが救出しやすいからそうしたのではと思ったのですが」

 <星教>と<スピラ>は第二惑星上における情報収集と権限の制限協定を結んでいる。これは合意に基づくもので、エディラカ人が何をしても根本的に<スピラ>の行動を抑止は不可能なのだが、とにかく<スピラ>は惑星表面のスキャンや監視を行わず、エディラカ文明への介入にはエディラカの当局への合意を必要とする。

 ただしそれがエディラカ人に対してのみ適用される事項であることを、ガッディンゲルはセプタが身代わりを提案してきてすぐに思い当たった。要するにセプタに対しては<スピラ>の先進的な技術を使うことができるはずだ、と。それがあっさりと話を合わせた理由だった。しかしメシエ、ラムリエャとの協議では、セプタ自身についてはそれが当然であるかのようにほとんど考慮されていなかった。話の主題はラムリエャが出てきたことからも明らかで、襲撃者の逮捕と仲間の救出よりも襲撃を企てた組織を政治的に抑え込むことについてだった。

 初め、セプタから聞いた彼らの意識の在り方から、彼らが特定の個体の自己保存をそれほど重視していないのではないかという薄暗い想像をしたガッディンゲルだったが、そうではなく彼らの問題解決に対する認識と彼らの目的が、こちらの想像よりも遥かに深くエディラカ文明を考慮していたことを知ったのだ。

 セプタ自身が殺される可能性についても、メシエは一蹴した。

「逃げ出すだけなら僕らの出番もなく、セプタ一人でできるだろう。それに僕らの有機身体を破壊して生命活動を停止させても、停止直前の意識を別の形式で保存しておくことができる。襲撃者がセプタの死体を強力な炎で燃やして無機物の灰にしない限りは、”個々の意識にとっても”死ではないんだ」

 メシエは続ける。

「彼がわざわざ連絡するように寄越したということは、目的が単に君を逃がす以上のことだからだよ。確かに、今まさに意志統合を目指す君たちからすれば奇異に思えるかもしれないね。<スピラ>に敵対する者の芽を摘むのではなく、育むなんてことは。でも僕らからすればそれは害ではない、文明という長いスパンの事象においてはね」

 そこでメシエは言葉を切って、わざと曖昧にして言った。

「それにしても、彼はなんだかんだでこういうことも好きなんだね。僕も少し認識を修正する必要があるようだ」

 エディラカ人流に翻訳されて出力されたメシエの表情が、一体どれほど年月に対しての言葉なのか、ガッディンゲルには想像はできなかった。


    ***


「ですから共有情報以外、彼らに関する情報は持っていませんよ」

 話は終始これに尽きるものだった。スインフトはまずセプタに対して、自身の敵である<スピラ>に関する情報を聞き出そうとした。セプタはそのエディラカ人的な言葉を探る尋問技術を受け流して、共有情報のみ、正確には確実にガッディンゲルが知っている情報以外のことは喋らなかった。

 かなり長い間無意味な問答を続けたのち、相手はようやく諦めたのか本題を切り出した。その頃には、スインフトの思考はほぼトレースできるようになっていた。

「十分承知されていると思うが、我々の目的は<スピラ>との穏やかな決裂にある。無論我々に戦うすべはない。彼らに危害を加えることは困難だし、もしそれが成功しても惑星を焼き滅ぼされてしまってはいけない」

「彼らにとって決裂した相手を焼き滅ぼす必要があるのかは怪しいですね。私達は彼らのいる宇宙空間に何一つ触れられないというのに、彼らが恐れるものは何もないでしょう」

 ガッディンゲルを含めて、エディラカのまともな研究者なら持っている認識について話した。エディラカ文明の能力ではどんな手を使っても<スピラ>に実質的な損害を与えることは不可能で、損害を受けない<スピラ>が報復を行う理由もまたない。

「そうだ。だが彼らが今、寛容な姿勢を持っているからこそ、武力ではなく民主的な反対によって退けることができる道が拓かれているのだ」

「誘拐を行っておきながら民主的とは、随分な考えですね・・・」

 流石にセプタがそこまで言うと、スインフトは気が立ったようだった。

「人々は無から特定の意志を独立して持つわけではない。多くは主流の意見に影響されて、あるいは説得されて意志を持つのだ。今あなたを説得するためにわたしは話している。同じように、エディラカ人を説得させるためにあなたを殺す動機があるのだよ」

「具体的には私に何をしろと」

 ようやくスインフトは要求について話し始める。しかしセプタにはその思考は十分にトレースできており、次に出てくる言葉も予測の範囲内にあった。

「研究所として彼らとの共同研究を打ち切ってほしい。同じ主張の研究機関を集める、我々のテクノロジーが彼らの色彩に染まることを防ぐための抵抗だ。そしてエディラカ人独自の文明を取り戻す」

「そう言うからには、私を解放した上で協力に同意させ続ける自信があるのですね、私が裏切らないための」

「やがて大きな意志として根付く頃にはそうなるだろう。しかし今ではない。今はまだ、協力を拒めばここだろうと解放された後だろうとあなたを殺す。それをもって共同研究への参加を躊躇わせるしかない。しかしそれはおおよそ本意から外れたことだと理解して欲しい」

 スインフトはエディラカ人によるエディラカ人のための独立論を説いた。セプタもガッディンゲルならこう答えただろうというふりをしながら聞き尋ね続けた。質問者の関係が先ほどと逆転したかのようだった。その話から、スインフトが語るそれらの考え自体、彼自身が無からその意志を作り上げたわけではないことは明白だったのだが。

 しかしセプタの目的において重要なのは、彼の主張ではない。彼が従っている上位の組織だ。事情を把握した<スピラ>は上手く働きかけてくれるだろうか。

 多くのエディラカ人が勘違いしていることは、<スピラ>は彼らを統治するためにやってきたわけではないということだ。今のところ<星教>は建前上対等な立場を強調しているが、実質的には<スピラ>側の外交部の言いなりに等しい。是非もない、それは強制されているからではなく、判断する能力を持たないからだ。しかしいずれはこの関係も変化していく。<スピラ>はエディラカ文明が<スピラ>に多くの能力を依存する段階の次として、十分意思統一されたエディラカ文明が主体となって<スピラ>に対抗し始めるシナリオを描いていた。その対抗心は今の直接住人を派遣する共同研究から、遠方の<スピラ>を観測・解析して正体を暴き出すための自発的な技術革新を促すだろう。やがて対等な隣人となるために。

 このエディラカ人も、自身の唱える独立論とは違った形になるかもしれないが、やがてその独立意志が世界に必要とされる時が来るはずだ。よって今の目的はこのような組織を潰すのではなく、十分信頼できる勢力の傘下に収めておき、来るべき時まで温存させておくことにあった。

 そのようなことを考えながら、それは初めから決めて行動に移したことでもあるが、今自分の状況、”異文明との交流”というものを、自分自身が十分に楽しんでいることをセプタは認めた。

 さて、とセプタは頃合いが来たことを認識した。この襲撃者たちが万事をトンネル内で行っていたことは、直感的には正しい。<スピラ>は岩盤を透過して物体を能動スキャンする技術を持っているが普段は動かしておらず、協定があっても自然に観測されてしまう恒星光の下を避けることで、一時的とはいえ<スピラ>・エディラカ双方の目をくらますことに成功していた。

 しかし、今セプタは彼らの工作が失敗に終わったことを物理的に感知していた。

 同じ<スピラ>住人に対してはこの協定は無視できる。セプタは今、有機身体の神経組織に直接信号が届いていることを認識できていた。十万キロ彼方の宇宙からやってきた極めて細く絞られたニュートリノ束がセプタを照準しており、神経組織内の電子と陽子に対してニュートリノが荷電レプトンに変化する正負双方のベータ崩壊が神経組織の相互作用に影響を与え、明らかに意図された信号パターンを刻んでいる。エディラカ人は専用の観測機器を用いたとしても、現時点の技術力ではこの通信波を見つけることはできない。

「スインフト」

 有機身体内のマトリクスに直接流れこんでくる信号は読む必要さえなかったが、信号が反復されるまで理解し終えると、セプタは口調も音もすっかり元に戻して言った。

「あなた方の抵抗運動は立派なものだ。だが<スピラ>および<星教>にとっては、その方法も、その時期も、適切ではなかったようだ」

 突然の声変わりに呆気にとられるスインフトの真後ろで、扉が音を立てて開く。彼の部下らしきエディラカ人が現れ、甲殻に直接発声器官を押し当てて何かを伝えた。スインフトの突き出た二つの目が遮光スリットをめいっぱい広げてセプタを凝視する。増悪と恐れが入り混じった思考が読み取れた。

 続いて扉から現れたのはスインフトの直接の上役のエディラカ人だったが、彼は何も話さずに部屋の横に居場所を譲った。だが最後に現れたエディラカ人は、明らかにエディラカ人の文化的意味合いにおいて風格が違い、機密性と電磁波遮断性を優先したこの部屋の作りには似つかわしくない人物だった。

「スリューカラランド・・・次席!」

 スインフトにスリューカラランドと呼ばれたエディラカ人は、この頃は<星教>代表を務める各勢力のトップの主教ではないものの、二番目に位置する人物だった。スリューカラランドはスインフトを一瞥し、先にセプタに向かって言葉を発した。

「<スピラ>の友人、ご不便をお掛けした。この件においては、両者の友好関係のため非公開とすることが双方で合意されているがよろしいか?」

「それで構わない。協議は我々の外交部との合意通りにお願いしたい」

「了解した」

 次にスインフトに話す。

「君が所属する組織は今より政府が接収し、私の間接的な指揮下に入る。参加は任意とするが、拒否の場合、<星教>はこの件に対する恩赦を認めない」

 それはスインフトにとってほとんど選択の余地のない言葉だった。スインフトは無言で承諾し、彼の上役とスリューカラランドと共に部屋を出て行く。それを見届けたセプタは自分も部屋から出た。

 彼が拘束される前に正体をばらそうとしたことには大した理由はなかった。もしタイミングが早すぎれば判断力を失ったスインフトに粘着弾を撃ち込まれていたかもしれないが、有機身体の一つが破壊されることなど気には止めていなかった。エディラカ人と同等の神経組織を持つ有機身体とはいえ、<スピラ>住人の符号化方式はエディラカ人が生来持つそれとは異なっていた。ここで有機身体を殺したところで、セプタの意識の情報は保存されているから何の意味もない。

 ちょっとした博打のつもりだったが、今回は運が良かったと言える。それともセプタを撃ち殺せなかった彼の不幸だっただろうか?

 セプタが部屋であるかのように見えた、実際にはモルタルを塗って形だけ見繕った洞窟から出ると、迎えの車両がやってくるところだった。

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