A-1-3 来訪
エディラカ星系への恒星間宇宙
暗黒の星間空間に展開された恒星間受動アンテナは様々な電磁波を受け取っている。
活動銀河核、すなわち銀河系の中心にある大質量ブラックホールを覆う降着円盤からの電磁波はこの宇宙最大の電磁波源だ。それは銀河間空間を渡って百億光年先を照らす。この直径十二万光年の第一銀河系も活動銀河核を持っており、銀河系そのものの全長に匹敵する相対論速度のガスジェットと共に膨大な電磁波をばら撒いている。これにより、銀河系内の見通しは静かで安定した銀河系に比べれば悪くなってしまっている。
次に大きいものは中質量ブラックホール、中性子星、
忘れてはいけない恒星も質量と年齢に応じたスペクトルの電磁波を放つ。
最後に、全ての放射源の背景にビッグバンの名残りとして残る宇宙背景放射が存在する。
観測機器のソフトウェアは受動アンテナが拾った電磁波を無数の波長と変調に分解して、そこからこれらの自然なものと同定できる電磁波源をフィルタリングしていく。残るのは特異な発生起源を持つ電磁波、つまり文明が放出するものだ。
ルード星系の惑星軌道上にある大型アンテナに比べれば、恒星船の持つアンテナの性能はずっと低く、遠方の恒星間文明の電磁波は到底探知できない。しかし接近しつつあるエディラカ星系から発振される電磁波は、ルード星系のアンテナが検出するものより大きな振幅と解像度を持つようになっていた。リニヒットはその電磁波から、幼い文明が自分たちがどれだけ危険なことをしているのか無知ゆえに知らないことを意識せざるを得なかった。
<スピラ>は約数百光年の旅で攻撃的・排他的な恒星間文明を少なくとも三つ特定していた。しかし現時点における数は以下の二つの理由によってリニヒットにも断言はできない。一つ、
文明の発する電磁波は文明の発達段階を如実に反映する。最も無秩序な電磁波を発するのは他の恒星間文明の存在を知らない段階の文明で、惑星軌道上に大型アンテナを展開する前の宇宙進出
これから向かうエディラカ星系の文明はちょうどその黎明期に差し掛かっており、未だ他文明の介入を受けていない理想的なケースに該当していた。<スピラ>が目をつけない理由は何もないが、<スピラ>が接触するということはまさしく文明への介入を意味するのだから、これについて相当な議論が行われたのも然りだった。
恒星船が巡航モードに入ってから百年が経過し、船は次のモードに移行した。エディラカ星系との距離は三光年、恒星船が周囲に展開した多種多様な観測機器はわずか三年のタイムラグになったエディラカ星系の情報を貪欲に集め続けている。
船が”減速モード”に入ると、針のような恒星船は形を変え一〇〇〇トンのうち九八〇トンを完全に分離した。分離された質量は恒星間観測機器として、またエディラカ星系を通過する探査プローブ群として利用される。残りの二〇トン弱には最終ペイロードである<スピラ>ハードウェアマトリクスと反物質触媒核融合炉と付属機器、減速用反物質推進器およびその燃料が含まれている。
<艦橋>で恒星船のエンジニアたちが組み立てられた反物質推進器を一通りの試験にかけていく。反物質推進器の質量は加速に用いたライトセイルの百分の一にも満たないが、扱うエネルギー密度は遥かに大きく、極めて高度な精密機械でもある。推進器を点火すると、ずっと小さくなった恒星船の進行方向に並ぶ小さな半球の窪みの群れが規則正しいリズムで対消滅ガンマ線の閃光を発し、わずかに過剰に配合された正物質が亜光速の粒子ビームになって進行方向に噴出した。その反動によって船は減速する。その加速力は行きに使用したライトセイルに比べれば劣るものだったが、他のどんなロケットエンジンよりも遥かに強力なものだった。
反物質推進器はまず反物質と共に用意された正物質を反応燃料に消費し、質量が軽くなると推進器の数を減らして加速度を維持し、余った自分自身の質量を反応燃料にしながら小さくなっていく。これは推進器自体が最終ペイロードの積載量を食わないための設計だ。
船が減速するとともに、切り離した巨大な船殻が前方に加速して遠ざかってゆく。その様子を<艦橋>から見ながら、シャウォは言った。
「さて減速完了まで一〇年、向こうはこの信号を上手く探知できると思うか?」
「我々の観測情報が正しければ」
<艦橋>で船の減速モード移行を指揮していたシャウォが尋ねると、覚醒して居合わせていたリニヒットは答えた。
この反物質推進器のパルス間隔は恒星船のエンジニアではなく、エディラカ人とのコンタクトを企画するリニヒットのような文明学者たちが与えたものだ。あえて第二惑星に指向された推進器はすでに解読済みのエディラカ人の主要な言語プロトコルに従ったメッセージを送信している。
「エディラカの技術水準は彼らの電波から細部までわかっている。第二惑星の衛星軌道上への電波天文衛星の打ち上げと、地上での幾つかの系外知的生命体探査計画の進行を確認している」
<スピラ>が恒星間宙航を開始してから百年で、エディラカの文明は彼らが生まれた第二惑星の衛星軌道に到達し、エディラカ星系各天体に化学推進による探査宇宙機を打ち上げるようになっていた。<スピラ>はルード星系からでも文明水準を正確に観測していたが、距離三光年まで接近した現在、彼らが重視しない情報以外の全てを彼ら自身が撒き散らす電波から得ることができるようになっている。
「六年後には先遣プローブ群が第二惑星に到達する。もし彼らがパルス信号を捉えれば、その知らせは我々にも筒抜けだ」
なるほど、とシャウォのアバターは二本の腕と尾を使ってジェスチャーして見せる。
「それにしても恒星船で存在をアピールするとは、あからさまなアピールだな。そのためにおれたちはこの船を建造したのだが」
「反物質推進器のパルスでメッセージを送る案は、こちらの一部の技術水準を教えながら探知した相手側にコンタクトまでの準備期間を与える優れた方法だと判断されたからね」
「もっと隠密な案はなかったのか」
「あったとも」
シャウォに比べれば幾分か抽象化されたアバターごしにリニヒットは即答する。
「方法はもちろんのこと、そもそもコンタクトすべきかどうかが大きな問題だったのだ。我々が接触すれば大なり小なり彼らの文明に干渉することになってしまうから、生来の彼らの文明を観察するために一切姿を見せずに受動観測に徹するという手があった。それを支持したのは生物形態や社会形態を純粋に調べたいとする住民だ。一方、<スピラ>の掲げる別の大命を支持する住民は、エディラカというモデルケースに干渉することを支持した」
<スピラ>が第一星系からの難民を受け入れ恒星間の旅を始めた時、<スピラ>という共同体の意思を統一するために、その行動原則としてスピラ憲章が定められた。第一星系を滅ぼした恒星間文明に対して、<スピラ>はもちろん復讐などという、一つの閉じた社会の中で規範を強要するための原則あるいは感情的な行動を繰り返すつもりはなかった。侵略を行った種族を攻撃することによって侵略行為を繰り返す種族が不利になるような戦略法則は、超文明のスケールで該当するとは考えられていなかった。既知の銀河系に統一的な規範は存在しない。宇宙は文明を協調させるには希薄すぎ、孤立を貫くには騒々しかった。
代わりに<スピラ>は自らが勢力拡大に余念のない侵略的恒星間文明として振る舞うことを禁止した。その中で定められた各々の宇宙工学技術の制限は多岐に渡るが、示さんとすることは二つ、
さらに<スピラ>が掲げた目的は、この宇宙で自分たちが選択するに相応しい、侵略的ではない安定した文明の姿を見い出すことだった。
エディラカ人とのコンタクト計画においても、この二つの理念が根幹を成している。
「もし私個人の希望でコンタクトを行うなら、エディラカ人に持てる技術と知識の全てを与え、彼ら自身が望むように宇宙で生きていけるようにするだろう。<スピラ>との融合を申し出れば受けるし、オリジナルの文化を激変させてしまおうとも構わない」
その理念を根こそぎ否定しかねないことをリニヒットは言う。
「それほど極端な意見は、<スピラ>全体を通してもそうはいまい・・・」
シャウォはリニヒットの意見をそう評したが、その意見自体に否定的考えを持っているわけではなかった。むしろリニヒットほど博愛主義者ではない自覚があった。
「もちろん私の案は承認されなかったとも。エディラカ人に技術と知識を与えれば、彼らの文化を破壊するだろう。現在地上で生きている彼らを宇宙に導けば、社会構造を根底から書き換えてしまうだろう。急速な技術の移転は<スピラ>の複製を作り上げることに等しいのだから、エディラカ人自身による文明に昇華させるには、相応に長い年月が必要になる」
「その年月をかける案がコンタクトチームの方針というわけか」
コンタクトに対する<スピラ>の意志は、干渉を抑えてエディラカ人の文明の観測を重視する尊重派と、<スピラ>の目的に合致する文明同士の融和的共存の追求を優先する理念派に大きく二分できた。しかしリニヒットは、尊重派がエディラカ人を尊重しているとは考えてはいない。
「私があのようなことを主張するのは、これを気にしているからだ」
リニヒットはエディラカ星系から放射される各種電磁波を解析した文明由来のデータを表示させた。
「エディラカ人の文明活動か」
「我々が彼らの活動を手に取るように観察できるのは、彼らが電磁波を撒き散らしているからだ。それは我々以外の文明にも探知できる可能性がある。私が急速な技術移転を求めるのは、彼らが早い段階で自制を身に付け、自己防衛する能力を手に入れるべきだと考えているからだ」
「”賢明”な文明は存在を見せびらかさないということだな。<スピラ>の宇宙構造物も、興味を惹かないよう被探知性を下げるように作られている」
「<スピラ>は彼らの文化を長期的には激変させるだろう。それを彼ら自身の手でゆっくりと推し進めるか、我々が与えるか、<スピラ>の総意は前者だ。しかしもし自分たちがいつ攻め滅ぼされてもおかしくないなら、我々がただ静観していることこそが彼らにとって不幸ではないのかね」
「おれの考えは少し違う」
シャウォはリニヒットの出したデータを表示する仮想スクリーンを操作した。スクリーンのデータ構造に対する優先権を持つリニヒットも、それを許容した。
データの表示対象がエディラカ星系以外の全天に拡大され、一つの向きの電磁波のデータだけを表示していた平面の仮想スクリーンは、二人を包み込み球面になった。全方位からやってくる電磁波が球面の位置に対応している。
球面スクリーンに表れる文明由来の光点は大小二つしかない、ルード星系から送られてくる絞り込まれた<スピラ>の通信と、エディラカ星系から放射される雑多な通信の二つだ。
他の恒星間文明は探知できない。
「宇宙は静かだ、その気になればおれたちはどんな宇宙工学的構造物も作ることができるのに」
「工学的にはそうだね。作った種族はそう多くはないとしても」
「まだ<スピラ>ではなかった頃、他の文明のそうした構造物が発見されないことには様々な議論があったことを思い出すよ。今おれたちはその理由――成熟した文明は好戦的な文明を避けるために姿を見せないことを知っている。それがこの宇宙の原則なら、おれたちは宇宙に出ても完全な自由を手に入れることはできなかったことになる」
「君が交流に求めるのはそれを手に入れることにある、ということかな」
「少なくともおれは単に生き延びるだけの術を他文明に宣伝することには魅力を感じない。<スピラ>が求めるのはそれ以上なのだから」
リニヒットは答えず、それを聞いていた。
***
恒星船が意図的に発振したパルス推進器によるメッセージは目論見通りにエディラカ人に探知され、光速の半分で経路を先行する観測機器群がその詳細なリアクションを伝えてきた。その内容は意思統一を図れていない種族ならではの様々な憶測に満ちたものだったが、もし<スピラ>が事前に来訪を告知せずにファースト・コンタクトを行ったなら、エディラカ人の反応はより性急かつ破滅的なものとなっただろう。仰々しい宇宙船を作ってまで訪問を大々的に知らせることが、この時点で<スピラ>の選んだ方法だった。
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