A-1-2 星渡り

 ルード星系 惑星軌道



 恒星船のマトリクスにある<艦橋>にアクセスしたシャウォは、そこに自身のアバターを投入した。アバターはシミュレートされた景観スケープ内におけるシェルの入出力インターフェイスの役割を持っており、肉体人における肉体の表面に相当する。シャウォのそれは様式化された<スピラ>先祖型だ。景観を見渡すと一番多いものはこの先祖型であるが、例外は幾らでもいた。

 第一星系の先祖たちが肉体をコードしている遺伝子の制限から解放された時、多くの倫理的・教義的な障害に突き当たりつつも遺伝子の改変を繰り返したように、肉体の界面の制限から解放された<スピラ>では先祖型の肉体を維持し続ける理由は全くない。シャウォが先祖型のアバターを使用するのは特別こだわりがないという理由なき理由からだ。

 <艦橋>は古典的な肉体生命の宇宙船の”窓”を模した三次元スクリーンが並ぶ球体ドームをシミュレーションした景観で、内壁はメッシュ状の金属フレーム越しに船から見た宇宙空間全体を見渡せるようになっている。有圧、無重力。スクリーン群は恒星船の様々な情報を表示している。現実には惑星表面で生まれた生物の視覚のスケールでは宇宙空間の船に窓を作っても何も見えないので、スクリーンに映っている景色は<スピラ>標準光学野で認識できるように補正されたものになっている。

 そこには恒星に近い惑星軌道に並ぶレーザー砲台が持つ、地球生命で例えるならば植物の光合成器官と同じ物理学的制約に従って広げられた巨大な光電変換パネル群と、この<艦橋>のハードウェアマトリクスを搭載する恒星船自身を外部から見た姿が映っている。

「”乗員が乗り込む”恒星間航行、古臭くていいものだろう?」

 シャウォのアバターが景観内で発したシミュレートされた音波は、しかし厳密な流体力学には従わず拡散しないまま話しかけた相手に届いた。

「無人探査機と通信波で宇宙に出た我々には、今更の逆行だな。合理的とはいえない」

 <艦橋>にやってきたばかりのセプタは答えた。

「全くだ。エディラカ文明との接触のためにこの方式が企画されたおかげで、おれはいい仕事ができたよ」

 シャウォは目の前に半三次元スクリーンを作り、そこに自分の手による被創造物のマップを呼び出す。

 それまで<スピラ>が利用してきた恒星船は、恒星間アンテナを建造するための超小型の自己複製機械をライトセイルで送り届けるものだった。しかし今回の恒星船は遥かに大型化している。質量は一〇〇〇トン、加速をライトセイル・減速を反物質ロケットで行うハイブリッド方式の船だ。このための燃料を作る反物質生成粒子加速器マタートロンがルード星系の軌道上に建設され、反水素の生成に使用されたあと、反射板と光電変換パネルを流用したままライトセイル用のペタワット紫外線レーザーに改造された。

「まさに肉体生命の恒星船だ。しかし肉体生命に比べれば気が軽い。航行中に宇宙塵に遭遇して船が大破したとしても、失われるのは航行中に船と星系がやり取りする非同期バックアップが間に合わなかった分の記憶と経験だけだ。それにしても覚醒して操縦するおれのような一部の乗員だけに限られる」

 常に命の危険を冒して恒星間を渡る肉体を持つ生命と異なり、情報だけからできている<スピラ>住人はハードウェアマトリクス上のシェルに古典情報として符号化されており、量子情報と異なり完全な複製をいくらでも作ることができる。発進地にバックアップを置いていけば船が破壊されてもバックアップから復活する、あるいは破壊される直前に送信された差分データから、より時間差のない自己を復元することができる。

 それに元々情報として光に乗って恒星間を移動できる<スピラ>にとって、自身の恒星間航行に必要なものは恒星間アンテナのみで、アンテナを送り届ける小さな恒星間宇宙機で十分だ。なおそれは恒星間種族としては大きなアドバンテージになっている。

 今回そうした効率的な手段を用いないのは目標星系が無主ではないからだが、直接恒星船を操艦する一部の住人を除き、大多数にとってはこの前提は変化しない。先行する宇宙機に乗るか、あとから通信レーザーで向かう場合であってもそのタイミングは任意に選べる。

「君はどの乗船方法を選んだのかね?」

 シャウォなど覚醒したままの一部のエンジニアを除けば、住人の大半は自分を凍結させたまま移動するか、恒星船が目的地へのアプローチを始める直前にレーザーが追いつくように途中乗船する方法を選んだ。その間の経過時間は主観的に失われるが、橋頭堡きょうとうほうができたことを確認してからレーザーで移動する選択肢に比べれば、客観的な旅程は最短で済む。

「シェルは凍結させていく。俺は時間の足りない物理学者ではないからな。一世紀過ごす気にはなれない」

「対宇宙塵防御は完璧だ。次に目覚めるのがエディラカ星系であることを保証しよう」

「よろしく頼むよ、艦長どの」

 二人が話す手前で景観が慌ただしくなる。今この<艦橋>に集まっている住人たちは恒星船の出航を見るためにやってきたのだ。

 恒星間望遠鏡が船を追尾し、連動するレーザー砲台群の一つが紫外線光を放つと、それを合図にカウントが始まる。レーザー砲台のある軌道から恒星船までは数分のタイムラグがあり、<艦橋>のスクリーンの一つには現在のレーザー光の位置が表示されている。距離に応じて時間差をつけて稼働を始めるレーザー砲台群は、やがて全基が発振済みの表示に変わる。光が十分速いのは一つの惑星内だけの常識であり、星系内スケールではもはや宇宙最速とは言えども知性による未来予測なしでは扱えない粒子の一つに過ぎない。

 カウントがゼロになりライトセイルが紫外線光で強力に照らされると、船全体が光圧との釣り合い状態までたわみ、加速を始めた。


    ***


 レーザーを受けた直径三〇〇キロのセイルは、火星の表面重力に近い強力な加速を続け、で二年後には光速の半分の速度に到達した。

 シャウォはその段階で主観速度を標準に戻した。航行中に覚醒している乗員といってもその役割は航行の各段階に関わるためで、常時標準速度で恒星間航行を体験する必要は必ずしもない。亜光速航行に伴う相対論的時間遅延ウラシマ効果も、光速の半分では星系の座標系に対してわずか十五パーセント程度であり、有限寿命を持つ肉体生命ならともかく、寿命がなく主観速度を任意に選択できる<スピラ>にはメリットでもデメリットでもない。

 航行直後には誰もいなくなった<艦橋>には、今は船を操るシャウォを含めた少数のエンジニアの姿があった。

 <スピラ>の恒星船の約一〇〇〇トンの質量のうち九十八パーセントはライトセイルが占めている。これはライトセイルの面密度にしたがう強力な加速度を獲得するには当然の質量比なのだが、この船の最終的なペイロードは<スピラ>のハードウェアマトリクス本体と星系内移動手段となる反物質触媒核融合炉一基のみで、たったの一〇トンに過ぎなかった。

 光速の半分で進む船のセンサーを統合して作成された<艦橋>の外部ライブ映像には、ドップラーシフトによって七〇パーセント波長の伸びた紫外線レーザーに照らされる船自身が映し出されている。シャウォが船から全天を見回すと、最も青方偏移した前方の恒星エディラカから最も赤方偏移した後方の恒星ルードまで間の星々が仰角に比例したドップラーシフトを起こし、波長ごとのリングが連なった虹、星虹になっている。そして進行方向に対して垂直な仰角ゼロに近づくほど、星の位置そのものが前方又は後方にそれぞれ移動している。さらに光速に近づいていけば、全天は進路の前後の一点に集中することになるだろう。

 シャウォはその景色に、感覚的体験ではなく実在的な感慨深さを感じていた。

「おれが”最初に”恒星間プロジェクトに関わった時のことを思い出すよ」

「恒星間プロジェクト?<スピラ>のどの計画でしょうか」

 シャウォと長年同じ領域のエンジニアとして活動しているアイクスが尋ねると、シャウォの祖先型のアバターは、否定の仕草で答えた。

「<スピラ>ができる前だ」

「それは」

 その先の記憶はアイクスにはなかった。アイクスが生まれたのは<スピラ>ができて以降で、<スピラ>成立前の住人が有機生命だった頃の情報はライブラリの中でも古く、現在の<スピラ>の標準的なフォーマットから見れば地球人類におけるカラー写真と石版の象形文字の差に等しいものだった。時間にして何千年も前の情報だ。

「肉体時代のプロジェクトの一つだ。当時は肉体人を渡らせる航行手段が幾つも立ち上がっていた」

 シャウォは古い神経系から受け継ぎ続けている記憶を掘り起こす。

「居住環境を全て内蔵する世代間船、現地で肉体人を育てる播種はしゅ船、冷凍運搬船、機械知性を搭載する無人船。航行方式は核融合からライトセイル、反物質、その他数多の空想上の超光速航法まで。しかしそれら恒星間航行手段を選択する動機と問題は、いかに生きた生物を運ぶかという点に集約されていた。例え最も単純な航行テクノロジーを用いても、十分進んだ生物工学があれば肉体に星を渡らせることは原理的には不可能ではない、大事なのは時間だ。

 結局、その生物工学が神経系のマトリクスへのアップロードを可能にしてしまい、肉体を運ぶ意味はなくなった。今の我々にとっては数ミリ角程度ののハードウェアマトリクスを運搬すればいいどころか、自己複製機械を運んで受信機を作らせて信号で渡るほうがより安全だ、今まで<スピラ>が行ってきたように。俺たちがその身を以って船に乗り込むという恒星間航行は行われなかったし、最初の自己複製無人探査機の出航が、肉体を持った我々が直接送り出した最後の恒星船になってしまった」

「それが今とどう関係するのでしょう」

「おれはやっと自分が乗り込む恒星船を飛ばすことができたのだな、と思ったのさ」

 それを理解して、アイクスは積み重なった年数の分厚さに畏怖いふの念を抱かずにはいられなかった。

「私には想像できないことです」

「想像する必要はない。あるいはこれからその一例を見られるかもしれないのだから」

 アイクスがそう答えると、シャウォは船の進路の先にある一つの恒星系に意識を向け、言った。


 恒星船は直径三〇〇キロの円形の単分子ライトセイルの形状を維持するために自転しており、セイル以外の主要構造物はセイルの円周から伸びた強靭な単分子ワイヤーに牽引され、セイル後方の自転中心軸に留め置かれている。ライトセイルは航行中高出力の紫外線レーザーに照らされ、ルード星系との通信アンテナはセイルよりもさらに外側に振り出された一本のワイヤーの先に吊るされている。

 ルード星系からエディラカ星系までは五十五光年の距離があり、加速と減速を行う期間よりも最高速度で慣性航行を続ける期間のほうがずっと長い。レーザー加速が終わればセイルを展開し続ける必要はなくなる。

 船の”巡航モード”への移行が始まると巨大な円形のセイルに無数の切れ目が生まれ、セイルは幾つもの細長い扇形に分割された。それらは全て同じ向きに傾斜し、ライトセイル全体が目の細かいプロペラのような形状に変化した。この状態ではセイルの素材にかかる張力は大きく上がってしまうが、もはや加速度を求めないセイルの素材は一部が収縮して構造強度を高めて対応する。セイルへのレーザー照射は続いており、これによってセイルにかかる加速度の一部はセイルの角運動量を減少させるトルクを生み出し、セイルの自転は減速し始める。その減速に合わせるようにセイルの節目に格納されたナノマシンが活性化する。ナノマシンは紫外線レーザーのエネルギーを利用して外側からセイルを分解し、全体の回転対称性を保ったままその構成素材は中心へと集められた。もしセイルの回転を減速させずにセイルを折り畳んだ場合、角運動量の保存によって船は非常に高速で自転することになっただろう。

 角運動量を落としながらゆっくりとセイルが折り畳まれ、それに連動してルード星系の座標系で半年前に照射された紫外線レーザーの投射面積も絞られていった。レーザーは折り畳み後も完全停止はされず、巡航中のエネルギーを供給する分だけは照射され続けることになっている。

 最終的にセイルの構成素材は分解・再構築され、船体中枢部を守る装甲体と接近し続けるエディラカ星系へ向けた観測機器群に変換された。

 極薄の円盤の帆を張っていた船は、ところどころに突き出した観測・通信システムや対物レーザー砲を除けば、前方投影面積を最小にする質量一〇〇〇トンの長大な針に変形した。例えるなら、折り畳む前後の傘のような変化だ。

 設計通りに変形が完了すると、シャウォは安堵あんどを覚える。中枢部が重厚な装甲で防御されたことにより、ハードウェアマトリクスを貫く銀河宇宙線は低減され、シャウォをエミュレートするシェルにかかる負荷が減ったことが”マトリクス上の感覚から”明瞭に感じ取れたからだ。

 恒星船は長い巡航期間に入った。

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