第四話 少女の笑顔

 人里に出て食糧を調達してくると言って、ハナは早朝から山を降りた。夕暮れ前になっても戻ってこないので、善治は心配になって少しだけ山道を下ってみることにした。半分下ったところで少し待っていると、重たそうに籠を背負ったハナがやってきた。


「迎えにきてくれたのね」


 汗を拭って、ハナが笑った。


「俺が持とう」


 ハナの背負っていた籠をひょいと取り上げた。行くときには山菜やきのこ、川魚の干物などが入っていた籠の中は、一羽の鶏に変わっていた。


「今日は鶏が手に入ったのよ! 明日から卵が食べられるわ!」

「それはよかったな」


 鶏を担いで山を登ってきたハナへのねぎらいの言葉のつもりでもあったが、ハナはそうはとらえなかったようだ。善治が歩き始めても、立ち止まって口をとがらせているのがその証拠である。


「なによ、あなたも喜ぶと思って交換してきたのに。いつもそうね。本当に食べ物への関心がないんだから」

「お前が来るまで何年もの間、ものを食っていなかったからな」

 そう言うと、ハナは目をぱちくりとさせた。

「それどういうこと? あなたご飯を食べなくても大丈夫なの?」

「ああ。鬼の体はそれで問題ないらしい」

「じゃあ何を食べたってあなたの体には意味がないの?」

「そうだな。ほら、そろそろ行くぞ。日が暮れる」


 橙色の空を一瞥して善治は歩き出した。しかしハナは歩かなかった。振り返ってみると、ハナは黙ってうつむき、肩をこわばらせていた。


「どうした、ハナ?」

「なんでもっと早く言ってくれないのよ。私、馬鹿みたいじゃない」

「……なぜだ?」

「だって!」


 顔をあげたハナは怒った顔で泣いていた。


「私、あなたのためにって一生懸命ご飯作ってたのよ! そりゃあもちろん私だって芋や栗以外にも美味しいものを食べたかったからっていうのもあるけど、体の大きいあなたが毎日満足できるようにって、これでも必死に考えてたのよ!」


 それは善治にとって大きな驚きだった。食材を求めて苦労して山を上り下りするのは、ハナ自身が人里の食べ物を食べたいからなのだと思っていたのだ。そのおこぼれをもらっているのだとばかり思っていた善治には、衝撃的な事実であった。


「それは……すまなかった」

「謝らなくたっていいわよ。知らなかった私が悪いんだから」

「そんな風に言うな」


 ハナのすぐ目の前まで歩み寄ったが、ハナは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。


 善治は自分の右手を見下ろした。少し泥がついている。その手を、ハナが洗ってくれたばかりの衣でこすって汚れを落とし、綺麗になった親指でハナの涙を拭った。


「悪かった。いらなかったわけではないんだ。いつも楽しみにしていた」

「とりつくろわなくたっていいのよ」

「嘘ではない。ハナ。食い物が必要ない俺が、どうして毎日お前の出す料理を食っていたと思う?」

「どうせ私が無理やり食べさせてたんでしょ」

「違う。うまいからだ」


 ようやくハナがこちらを見た。上目づかいで探ってくるので、善治はもう一つ付け加えた。


「それから、お前と食事をしている時間が楽しいからだ」

「今言ったこと、本当?」


 善治は頷いた。


「本当に、本当ね?」

「本当だ」

「これからも私の料理、食べたい?」

「ああ、もちろんだ」


 ハナの顔が、ぱっと咲いた。


「じゃあ色んなものをたくさんとってきてちょうだいね! 今夜はご馳走にするわ! 明日だって明後日だってご馳走よ。だって卵があるんだもの!」

「そうだな。鶏は屋敷の裏の納屋で飼おう。逃げ出さないように壁と屋根の穴はこれから塞ぐ」

「私も手伝うわ。そうと決まれば、早く帰りましょう! 暗くならないうちに納屋を直さないと!」


 ハナはにこりと笑って善治を見上げたが、その顔はどういうわけかすぐに曇ってしまった。


「……善治、どうしたの?」

「何がだ?」

「顔が真っ青よ。気分が悪いんじゃないの?」


 そういえば、ほんの少し胸の奥がもやもやとして、頭が痛かった。しかし言われるまで気付かない程度なので、善治は気にも留めなかった。


「お前の料理で温まればすぐに治る」

「鬼でも風邪をひくのね」


 ハナはくすくすと笑った。


 善治はハナの笑顔を見て安堵した。そして嬉しくもなった。しかし大きな疑問が胸にひっかかっていた。どうしてハナは鬼の自分にここまでしてくれるのだろうかと。ハナの笑顔を見ても、その答えはよくわからなかった。

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