第9話 第一発見者の資質

 渡探偵事務所わたりたんていじむしょの所長、わたり龍太郎りゅうたろうは、事務机でメールを打ち終えると、大きなアクビをした。

 浮気調査の仕事が終わり、一応次の予定はあるが、それまでに少し間がある。

 しばらくは、娘とゆっくり出来そうだ。

 と、それを見計らったように、事務所の扉が勢いよく開き、幼女が元気に飛び込んできた。

 この雑居ビルの4階にある無認可の24時間幼稚園に預けていた、一人娘のわたりりつだ。


「パパ、おしごとおわり!?」


 そのまま、龍太郎の膝に跳び乗ってくる。

 龍太郎は、律の頭を撫でながら、気怠げに頷いた。


「ああ、とりあえず一段落ってトコだな。少しだけお休みだ」

「じゃあ、おでかけしよ!」

「お出かけ……? まあ、旅行も悪くないが……」


 ブラインド越しの外は、既に日が高くなっている。

 しかし、律は小さく頬を膨らませた。


「べつにそんなにとおくにおでかけしなくてもいーよぉ」

「じゃあ、どこ行く? 近所の公園か?」

「つりがいい! おさかなさん、たべたい!」

「釣りかぁ……」


 龍太郎は、ボリボリと頭を掻いた。




 いつもの黒のソフト帽に黒のスーツで、龍太郎は寂れた裏通りを歩く。

 肩に引っかけた釣り竿とクーラーボックスが、妙にアンバランスだ。

 彼の前を同じように小さな釣り竿を持って歩く律は、ご機嫌な様子だった。


「…………」


 ふと、視線を感じた。

 振り返ると、若い背広姿の男が、サッと電柱に姿を隠す。

 見かけない顔だった。

 おそらく新米なのだろう、下手な尾行だ。


「ったく、ご苦労さんなこって」


 小さく溜め息をつき、龍太郎は歩みを進めた。

 逆に律はスピードを緩め、龍太郎に並んでくる。どうやら、龍太郎の呟きが聞こえたようだ。


「ん? どうしたの、パパ?」

「何もね。いつもの連中がついてきてるから、鬱陶しいなって思ってるだけさ」

「あー」


 律も振り返る。

 そして、ペコリと頭を下げた。


「おつかれさまです」

「放っておいていいから。あの人達は、あれが仕事なんだし」


 ヒラヒラと手を振りながら、龍太郎は娘と波止場に向かう。




 渡親娘以外にも、波止場には何人かの釣り人が腰を下ろしている。


「おっさかなさん♪ おっさかなさん♪」


 二人の成果は、まずまずと言ったところだった。

 クーラーボックスの中の魚は、少なくとも今晩の晩飯には充分な量と言えそうだ。


「そろそろかねぇ……ん?」


 また手応えがあり、龍太郎は釣り竿に力を込める。


「あ、パパ、またきた!?」

「来たと言えば来たが……この手応えは……」


 魚独特の、生きた手応えではない。

 それに、何よりこれまでとは比べモノにならないほど重たい。

 弓なりにしなる竿が折れないように気を付けながら、引っ掛かったモノを釣り上げると、それは変色したOLの溺死体だった。

 しばらくして、律が呟いた。


「……おっきいの、つれたね?」

「食えないぞ?」




 30分後。

 波止場には黄色いテープが張られ、警察や鑑識が忙しく動き回っていた。

 そして、龍太郎を取り調べる狭山さやま警部が、溜め息をついた。


「また、お前達が第一発見者か」

「尾行しといてよく言うよな。せめて、やるならもっと上手い尾行にしてくれ」


 元同期の警部に、龍太郎はタメ口を叩く。

 プライベートも何も、あったもんじゃない。


「仕方がないだろう。君らの行く先は、いつも死体がついて回るんだから。一体、何回死体の第一発見者になっていると思っているんだ。旅行に出れば死体。レジャー施設に行っても死体。事務所の近所の波止場ですらこれだ。どうせなら、犯人まで割り出して欲しいんだが」

「あいにくと、俺はタダの探偵。『名探偵』じゃねーんだよ」

「分かっている。だが、娘の方はどうかな」

「事件やら解決を説明するには、まだ語彙が不足してる」


 龍太郎と警部は、新米鑑識官に死体の具合を説明している、律に視線を向けた。

「ふくれぐらいから、しご、みっかぐらい」という幼女の言葉に、鑑識官はダラダラと脂汗を流していた。

 警部の言いたい事も、龍太郎には分かる。

 何せ、『こういう事態』が恒例になるようになったのも、律の物心がついてからなのだ。

 主役は、『行く先々に死を振り撒く名探偵』は龍太郎ではない。


「りっちゃん、私立小に行かせるなら協力するぞ。将来への投資だ。学費なら、刑事課全員でカンパしてもいい」


 龍太郎は、警部の言葉を無視し、通り掛かった監察医に声を掛けた。


「……なあ先生、一応あの子のメンタルケアもお願い出来るか」

「専門じゃないんだけど」


 監察医は素っ気ない。

 けれど、そのやり取りはしっかりと、律に届いていたようだ。

 彼女は父親に向かってニパッと笑った。


「もう、なれたよ?」


 ……それはそれで大問題だ、と『名探偵』の娘を持つ父親である龍太郎は思うのだった。

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