銃に対する愛をカタルシス
スコープを覗き込んだ経験がある人はいるだろうか。始めた頃は見えづらくて的に当てるどころではなかっただろう。私はメガネをかけていたので、メガネの位置とサイトを覗く時の顎の位置で全然見え方が変わってしまった。
自分の体に合うように銃をカスタマイズするんだよ、と言われても、六角レンチを見た事もなかったし、自転車のサドルの位置も調整できない私にはかなりの難題だった。
それでも私は銃が大好きだった。マリアンヌだかなんだか名前をつけて、かわいがっていた。
今、その愛銃を手放してからも、時々あの感覚を思い出す。右脇をしっかり締めると銃が安定する。左手を水平にする手の形は、銃を持たなくなって五年経ってもまだ作れる。その上にスマホを乗せてバランスを取ったりして遊んでる。
戦争映画なんかでよくある、銃の発射音も美しい。どんな楽器もどんな美声も銃声には敵わない。生と死を直接的に伝えてくるあの音に心酔したら、もう戻れない。
だけど、撃った後の静けさは虚しいものだ。撃った側の人間が感じるのは、銃声と振動だけ。相手が紙の的なら何の反応もないし、射的の景品なら軽くぽたんと倒れるだけだ。それから、自分の中にある不自然な冷静さ。
撃たれるというのも案外悪くないのかもしれない。本当はやってはいけないことだが、銃口を目に近づけて覗いたことがある。自分の銃だし、弾が入っていないのは確認済みだったからなんの危険もなかった。
でもやっぱり、怒られた。先輩や同期から焦ったような口調で窘められた時の申し訳なさより、あの黒くて細い銃口から溢れてくる恐怖を忘れたくない。ゾクゾクした感覚を忘れたくない。当たったら即死するような銃ではなかったけど、銃であることに変わりはないのだ。当時はそんなものと一緒の部屋で寝ていたのだ。
銃は危険物ではあるけど、自分と一体になってくれるツールの一つでもある。それは車のマフラーを変えたり車高を調整したりして、自分の好みの見た目にして、運転しやすくするのと同じ。
自分が一番使いやすいように、そして他人から見てもサマになるようにカスタマイズするんだ。何度も何度も練習して、精度を上げていって、的の中心に当たるようにするにはどうしたらいいか、銃と私だけで考える。
そうやって、狙ったものを撃つことだけを考えていると、銃はただの物体に過ぎないが、恋人みたいに思えてくる。擬似的な生死を共にする恐怖が、きっと恋心と感違いさせるのだろう。この世にたった一つしかない私だけの銃。しかも、浮気しても怒られないところが一番いいところだ。
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