誘惑する紅のカクテル

 どれだけ考えても店に移動したタクシーの料金。三千円ほどを払った記憶がないのだ。ここの支払いに含まれる解釈しかない。


 そんな些細な問題よりもステージだ。いかに自然な形で彼女に話しかけられるのか。それに思いを巡らせることで必死だった。


 結論として答えよりも先に盛大な拍手とともに演奏が終了だ。ボックス席に右掌を振りながらシンガーもフロアに舞い降りた。


 不思議なことに現在まで本当にこちらを見ていたらしい美女。優雅な仕草でゆっくりと歩み寄る。呆然と立ち尽くす俺の左腕を掴むと手近な椅子に座らせた。隣に座り歌うような声で注文だ。


「マスター例のカクテル。こちらの男性もさしあげてくれる?」

 バーテンダーが慣れた手つきで見た事ないボトルを調合する。ドレスより濃い血色をしたカクテル。二杯俺たちの前に並べた。


 そして微笑みながらウインクすると俺に目をあわせて告げる。


「お客さん……私が調合した【フロム・ザ・ダークサイド】特製カクテルです。少し抵抗を感じる酒かもしれません。味も香りもバランタイン30年に負けない自信作です。是非ご賞味下さい」


「通常。初回お客様サービスとなっております。とりあえず今夜お二人の巡り逢いに乾杯。私からプレゼントです。ごゆっくり」


「好意に甘えましょう。あなたと私の運命。出逢いにカンパイ」

 あっけに取られた俺を横目にグラスを掬うと乾杯を宣言した。



 飲まないつもりだった。しかしお膳立てには嫌な気もしない。女の子と出逢えた偶然が嬉しい。素直にカクテルを口に含んだ。


【フロム・ザ・ダークサイド】一口だけ含む。酒では経験のない全身拒否するほどの違和感。吐きそうになるがすぐに過ぎ去る。


 酒本来の味覚は最高だ。人間が感じられる究極の悦楽だろう。

 どう表現すれば良いか判らない。強いて形容するなら麻薬だ。もしかすると本当に禁止された薬物が含まれていたのだろうか。


 ほぼ一息カクテルを飲み干した。なぜか彼女は悲しげな表情で眺めていたがすぐに元の笑顔に戻る。自分のグラスも空にした。

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