3. 巫女

 さて、次の日の、うだるような未の刻である。

 大日如来の遍照の下、又之丞の呆然の態も顕かに照らされている。

 城からの使者を送り出した又之丞は、肩をおとしてため息をつく。

 ふらふらと屋敷へ戻り、縁側に腰を下ろす。

 もう一度溜め息をつくと、縁側の板材を二度三度叩く。

 縁の下から這い出してきた一匹の獣、川獺にも狸にも似た、しかしどちらでもない、斑文様の妖獣である。身を振るって毛先についた土を払う。

 又之丞は、暗い声でこれに呼び掛けた。

 「…おい、東風丸」

 獣は真っ赤な口を耳まで裂いて大あくび、してから、くるり、縁の下へと踵をかえす。

 「こら待て、東風丸っ!」

 又之丞は、すかさずその尾を掴んで引っ張った。獣は、四肢の爪で土を掻いたが、ずるずると引きずり出され、腹立ち紛れに又之丞の手に牙を当てた。又之丞、わっとばかりに川獺もどきを放り出す。

 妖獣は一陣の風に包まれるや、人の姿となって地に立った。

 ざんばらの髪を指ですきながら、面倒臭そうに問う。

 「何だよう、いったい。お城からの使者だったんだろ? 誉めてもらったか?」

 又之丞は、苦虫を噛みつぶしたような顔して。

 「違う。鬼退治しろって、主命が下ったんだ」

 「そうか、がんばれよ。じゃあな」

 「お前、手伝えっ!」

 真剣に叫ぶ又之丞に負けじと、東風丸も声を張り上げた。

 「おれなんか連れてったって、足手まといになるだけだぞっ。あんな大物とは格が違わあ!」

 又之丞、また深々と溜め息をついて、縁側に腰を落とす。

 「大物か。そうか。そうだよな。恐ろしかったもんな」

 力の抜けた声で独りごちる。

 「仕官した途端に脱藩かあ…。俺って奴は、なんてツイてないんだ」

 東風丸はにやついて又之丞の顔をのぞきこんだ。

 「おまえさんも、武士なんだろ? さっさと潔く当たって砕けてこいよ」

 又之丞は東風丸を横目で睨む。

 「俺は、はっきり言って武士の面目より、自分の命が大事だ」

 東風丸はさも可笑しそうにからからと笑い、あごで乾の方角を指す。

 「テメエは何のために、地神様と仲良くしてんだよ?」

 又之丞、はたと膝を打ち、早速、祠の前に立つ。

 神妙に柏手を打ちおわると、後から声がかかった。

 「何用じゃ」

 振り返ると、白張姿の少年が縁側に腰掛けている。

 又之丞が経緯を述べると、少年の姿をした地神は一つ頷いた。

 「加護してやらずばなるまい。危うき折りには呼ぶがよい」

 又之丞が平服して礼を述べる間に、東風丸はそそくさと縁の下へ戻りかけるが、その背中に地神が笑顔で呼び掛ける。

 「東風丸」

 「草葉の陰からご武運を祈らせていただきます」

 答える東風丸の首根っ子を又之丞がしっかりと捕まえた。地神、続けて曰く。

 「東風丸。堂々、加勢することを許してつかわす」


 さて、又之丞、鬼退治のため登城となった。

 城主の御前に、かしこまって又之丞。その後に姿を隠し、そっぽを向いて東風丸。

 「面、上げい」

 城主は、不機嫌に一言うなる。かの鬼に会ってから、ひどい頭痛が治らない。

 「…大石!」

 「は!」

 「天守の鬼、討ち果たせぬ時は、腹を切る覚悟できておろうな。行ってまいれ」

 「は…」

 もし又之丞が頭に馬鹿のつく正直者であったれば、否と答えて帰るところだ。仕方なく、決めたくもない覚悟を半決めに、又之丞、先に立って天守に登った。

 階段を上がり切ると、件の女臈が、傍らに火を灯して座している。

 又之丞を見据えて曰く。

 「汝は、何とて此処へ来たるか」

 「…これなる姫御前には、我が主人に害を為すことを止めていただきたく候」

 又之丞、太刀のつかに手をかける。

 「さもなくば、退治つかまつり候」

 女臈は、又之丞を見据えたまま、顔色一つ変えぬ。

 「その方の主人とやら、行ない悪しければ、応報なり。疾く立ち去れ」

 必死に奥歯を噛みしめて、又之丞は鞘をはらった。

 きつく握った太刀をふりあげ、女臈の面に打ち下ろす。

 だが、その太刀は、女臈が立ち上がりざま優雅に一閃したあこめ扇に弾かれた。

 すっくと立った女臈は、ざわりと衣擦れさせ、かきつばたに襲ねた裾をさばいて、炎を映す瞳で又之丞を射た。

 又之丞、かすかに喉を鳴らして身を固くする。

 後ろで様子を見ていた東風丸は浮き足立ち、肌が粟立っている。

 又之丞の袖を引いて、小声で言う。

 「おい、又公、やばいよ、逃げようぜ」

 「も、もう、逃げ切れるもんかっ」

 一つだけ灯った火がゆらりと揺れ、壁に映った二人の影が大きく踊る。

 女臈が紅いくちびるを開き、太刀を構えた男に言葉の刃をつきつける。

 「下郎。この松河の一国一城を、豊海に売らんとする者に組するか」

 「え?」

 思わず声を上げた又之丞、構えた剣のきっさきが下がる。

 豊海といえば、松河の北面に位置する大国。かつては菅野一帯を争い、その覇権を松河のものとしたこともあったが、今ではその南、金尾までもが豊海領である。

 「かの痴れ者、城を捨て、豊海の属領に下らんとしておる」

 痴れ者とは、どうやら城主のことらしい。又之丞、やっと口を湿して言う。

 「それが本当なら…、城は…、どうなる」

 「城も国もあるものか」

 「お、俺は鬼退治なんか…」

 その後から東風丸が袖を引く。

 「そうだよ、してやる義理なんざねえって」

 やる気をなくした又之丞から、目を離し、女臈は天守の入り口を見据えた。

 「供せよ!」

 一言発すると、灯りの届かぬ闇の中から浮かび出る、牛頭馬頭の鬼や様々の顔色した角持つもの、異形のものどもが奇声を発して天守にひしめく。

 「我が城を堕としむる者をこそ、討つべし」

 緋袴が滑るように歩を進める。

 又之丞と東風丸は、同じだけ後ずさる。ますます退けば、とうとう、天守を下る階段のきわだ。

 女臈が左右に従えた牛頭鬼馬頭鬼が轟と吠えたのを合図に、二人は一目散に駆け下った。

 東風丸の操る風が、次々に二人の目の前の襖を開けていく。最後に広間の襖の三枚がいっぺんに吹き飛ぶと、物音に異変を察した城主と控えた家来たちが身構えていた。

 又之丞は、息を切らして言う。

 「こっちへ、来ます! お、鬼どもを連れて、降りて…」

 城主がいらいらと、扇子で脇息を打った。

 「しくじったのか!」

 又之丞が城主に答えるまでもなく、鬼どもを従えた女臈が廊下を渡って来るのが見える。

 家来たちはみな立ち上がり、刀の柄に手をかけ、城主の前に人垣を作る。

 女臈は広間の端から、城主だけに対峙した。

 気の早い者が気合い諸共、女臈に切り掛かるが、馬頭鬼の腕の一振りで打ち倒される。

 色めき立った広間に、女臈の声が凛と響く。

 「下郎ども。下がりおれ」

 一同、その鬼気に縛られ、指一本動かせぬ。

 静まりかえった広間の真ん中を、静かに絹の裾を引いて進む。

 脇息を掴んだまま硬直する城主を、昂然と見下ろした。

 「我が諫め、その耳に届かじと見える」

 「…何の…ことだ」

 城主がやっとのことで言い返すと、女臈はわずかに目を見開いた。

 「我が城を蔑ろにし、豊海に下らんとする者、もはや主とは認めず。今此処にて、引き裂き殺さん」

 小面にも似た白い額から、二本の角がめきめきと生える。

 家来たちが身動きの取れぬ絶望に、うめき声をあげる中、東風丸が、背中合わせの又之丞に必死に呼び掛けた。

 「又公、呼べっ」

 又之丞は、ここにはいない味方のことを思い出して、鋼のように固められた口を開いた。

 「…地神、ご加護を」

 言い終わるか終わらぬかのうちに、又之丞の目の前に白張姿が立ち現われる。

 「縛よ、解けよ」

 一瞬にして身の軽くなった家来たちが、一斉に女臈に斬り込んだ。

 幾本もの太刀があやまたず女臈の体に突き刺さり、かきつばたを血に染めるかと思われたが、女臈は平然としてその身に立った刃を袖で払い落とした。

 袖に触れた刀身は朽ち果てて崩れ、刺されたはずの身には傷の跡形もない。

 女臈がふと頭をもたげると、垂髪がざわめき、一房一房が蛇のようにうねって群がる武士どもに襲いかかる。黒髪は切れども切れどもさらに伸び、家来たちの腕をからめとり、首を絞め上げようとする。

 東風丸が風を操って城主にからんだ髪を断ち、金襴の帯をひっつかんで下座へ飛んで逃げた。

 その間を逃さず、地神が天を指せば、その指先から金の稲妻が光り出て女臈と鬼どもに打ち当たる。

 物の怪どもの幾つかは消え去り、そして、女臈は始めて気づいたように、地神たる少年に目を向けた。

 八方に人を捕えていた黒髪が解け、その全てが、小さな白張姿を絞め殺しに向かう。一つの黒い滝になり、また、無数の驟雨の矢となって飛び回るそれを、地神はただ直立のまま稲妻をふるって焼き尽くそうとする。

 枷を解かれた家来たちがまた女臈に打ちかかろうとし、鬼どもは城主だけを目掛けて爪をのばす。

 又之丞、それを防ぎながら叫ぶ。

 「殿を連れて早く、逃げろ!」

 東風丸が、城主をひっ下げて風を駆った。多くの家来が、そのまわりを守りながら城外まで走り出る。東風丸は、下ろせとわめく城主を放り出すと、疾風のごとく広間へ戻った。

 「又公! あのうつけはもういい。こっちも早いとこ逃げるぞ!」

 又之丞は、そうかと頷くと、牙を剥いた魍魎を突き離し、だが、はたと足を止め戻りかける。

 「地神様を、置いてくわけには…」

 「ばかやろう! やらしとけ、おれらなんかが手ぇ出したって、邪魔になるだけだっ」

 たしかに、稲妻の光の中に半ば隠れた少年には、近付くこともままならぬ。

 又之丞、それではとくるり後ろ向き、脱兎のごとく駆けだした。

 東風丸が門の外に捨ててきた城主の姿は、もうそこにはない。いずれかの臣下の屋敷へでも迎えたのだろうと、又之丞たちは自らの屋敷へ戻った。

 息を切らして、城を振りあおぐと、二匹の竜が楼閣を巻いて争っている様が見えた。

 又之丞は、腰を抜かしそうになって東風丸の肩をつかんだ。

 「お、おい、ありゃ、いったい、なんだ…?」

 東風丸も肩で息をしながら、しかし、精一杯又之丞を馬鹿にした調子で答える。

 「あの女と地神に決まってんだろ」

 「え、じゃあ…、竜、なのか」

 「おうよ」

 見ているうちに、片方の竜がもう片方に追われるようにして、楼閣からほどけていく。そして、あきらかに追われた格好で空をのたうち、又之丞の屋敷のほうへと迫る。

 竜は頭を下にして、まっすぐ又之丞の方へ落ちてきた。

 二人は思わず叫び声を上げて頭をかかえる。

 まったく、雷の落ちたのと同じ音がして地面が揺れた。

 静かになったので、二人が顔を上げると、地神のほこらがばらばらに飛び散ってくすぶり、その真ん中に白張が焼け焦げかぎ裂きだらけになった地神が、倒れている。

 二人が駆け寄ると、地に手をついてすっくと立ち上がった。背をのばして二人を等分に見、涼しい声で曰く。

 「我が手には負えぬ。逃げるぞ」

 地神の言葉が終わらぬうちに、又之丞は自分の足首に巻きつく固い爪に飛び上がった。

 いや、飛び上がろうとしたが、足首を捕まえられているため上手くいかずに尻餅をついた。

 土中から突き出した剛毛の生えた手が、又之丞の足を手掛かりにして、土中に埋もれた体の方を引き出そうとしている。

 東風丸が、こちらは上手く空中に飛び上がったまま、叫ぶ。

 「又公、斬れっ!」

 又之丞、抜き身のままの太刀をその腕に叩きつけた。切られた腕はそれだけで、もがき続け、腕の持ち主も力まかせに土を跳ね除けて地表に出てくる。

 額にぞろりと並んだ角が泥に汚れている。

 立ち上がって刀を構えた又之丞だったが、見る間にそこいらじゅうの地面から異形の腕が生えてくるのを見て、腰砕けにあとずさる。

 地神がそのそれぞれに稲妻を放ったのを合図に、三人は駆け出した。

 又之丞は、先頭を行く地神を必死で追う。

 「地神様、どこか逃げるあてが、あるんですかっ」

 「うむ。ない」

 白目を剥きそうになった又之丞だが、ここで倒れれば命がないと、走りに走り、息も絶え絶えになり果てた頃、赤い鳥居の並ぶ社の前で、地神はやっと足を止めた。

 日も落ちて、月影ばかりの暗闇に、森がざわざわと鳴る。

 「ここならば、あの女も手荒なことはできまいぞ」

 又之丞ひざに手をつき、荒い息の合間から、安堵の調子でやっと言う。

 「なんだ、あて、あるじゃないですか…」

 地神はすたすたと鳥居をくぐり、中へ入って行く。東風丸はわずかに眉根を寄せて、ふんと息を吐いて続き、又之丞も慌てて従う。

 両脇を森に囲まれた参道の石畳、石階段を上りつめ、境内に入れば、夏だというのに冷たいような静泌さ。

 地神は、拝殿の正面にただ立った。

 突如、拝殿の扉が勢い良く開くと、年の頃十四五の白い袴の巫女がすっくと立って、こちらを見据え、一喝した。

 「出ていけ」

 東風丸、肩をすくめて又之丞の後ろに隠れ、惨めに口を尖らせる。

 「おれ、何にもしてねえよ」

 又之丞は、何事かと東風丸を見下ろす。

 「どうしたんだ?」

 「こちらさんとおれは、反りが合わねえの」

 地神が涼しく笑い、巫女に向かって曰く。

 「我が名に免じて、許せ」

 巫女は切れ長の目を光らせて地神を凝視するや、拝殿から下りてきた。強い眉を僅かも動かさずに、三人の顔をよくよく眺める。

 最初と最後に東風丸を見て、やっと僅かに表情を和らげた。

 「悪さをするなよ」

 東風丸はとんでもないと目を見張る。

 巫女は、次に又之丞に言う。

 「お前は、人か?」

 「はい」

 又之丞、素直に答えたものの、実のところ同じ問いを問い返したい気持ちだ。

 巫女は、裾を翻して踵を返す。

 「ついてこい」

 拝殿に上がり、一つだけ灯った明かりを他の燭台にも移して明るくし、巫女が自ら円座まで並べる。

 「座れ」

 地神は当然のように上座に座り、東風丸は一番下座に腰を下ろし、又之丞はその隣にかしこまって正座した。

 巫女はさらに、祭壇に並んでいた瓜を三方ごと東風丸と又之丞の前に置いた。

 「お前たち、腹が減っていたら、それを食っていろ」

 又之丞が丁寧に礼を言う間に、脇から東風丸が早速手を伸ばす。両手に抱えて皮ごと齧り付くと、甘い匂いがほんのり匂って、又之丞の腹の虫も騒ぎ出す。

 巫女は、地神に向き直って座った。

 「それで、何の用なのだ?」

 「松河の城が見えたであろう」

 「ああ、あれか」

 巫女はふいと横を向く。

 「うまいか?」

 又之丞、東風丸、揃って瓜から顔を上げると、頬ばったまま何度か頷く。巫女はふんと言って、また地神に向く。

 「祓えというのか?」

 地神は、黙って巫女の顔を見ている。

 巫女は見返す。

 「できない」

 又之丞はそれを聞いて急に胸が塞がれるように感じ、瓜の半分を持った手を下ろして所在がない。

 巫女は立ち上がり、しばし逡巡。

「人外のものを宿房には泊められないな。ここで寝ろ。朝になったら、神主に拝させる」

 巫女はそれだけ言うと、拝殿の一隅で床にごろりと横になり、俯せに床に頬をつけてたちまち寝入ってしまった。

 地神は祭壇に向かって座すと、背筋を伸ばしたまま目を閉じて沈黙した。

 又之丞がまだ瓜の半かけをもてあそんでいるので、東風丸は掴み取って食い尽くし、長い舌で口のまわりと両手を舐める。

 又之丞の口も手も甘い汁に汚れて拭いたいと思うが、布で拭って拭えるものでもない。水で洗いたいところだが、巫女は眠っているしと両手を見る。

 「何だよ、もっと食いたかったのか?」

 東風丸が又之丞の手に重たい瓜をもう一つ乗せる。

 「そうじゃない。手を洗いたいと思っただけだ」

 「じゃあ、洗ってこいよ」

 「…うん」

 又之丞がまだ、巫女のほうを見や遣るので、東風丸はにやりと笑う。

 「手を出すなよ、罰当たり」

 「何を考えてる! 俺はただ、井戸がどこにあるのか聞いておけば良かったって…」

 東風丸、早く行けと手を振って又之丞を追い出し、自分はその場で腕枕。

 又之丞、拝殿を出ようとして扉を開け、境内の暗さに先行きを重ね見てまたため息をついた。

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