”寝過ごすな”の標語

甘深蒼

寝過ごすなの標語

 今日の予定。

 友達と新宿へ行って、前売りを購入。その後に帰宅する。

 まぁそんなところか。その道中にて。


 俺は電車の端側の席で眠りこけていた。なのになぜだろう。目の前に気配を感じて目を開けた。すると前には女性が一人、窮屈そうに立っている。その理由は専らこの電車が今、満員状態であることなのだが。

「あの、座ります?」

 いつもは言わない言葉をいつの間にか口にしていた。あれ、俺はこんな性格だっけか。そんな疑問が脳裏を掠めた。もちろん、俺はフェミニストでは無い。それは断言しておこう。

「え、いいんですかぁ?」

 女性は人懐っこい笑顔でそれに答えた。俺は人々が駅で降りるときを見計らって、立ち位置を変える事にした。

「これからどこへ?」

「うんと、新宿へショッピングに行くんです」

「ああ、俺もなんですよ」

「奇遇ですね」

 二人は何のことも無い世間話に華を咲かせ、そしてやがて、駅は新宿。目的地である。

 もう着いてしまったな。俺は何処か残念そうな気持ちになった。嘘だけど。

「また縁があったら」

「ですね」

 二人は別れた。俺は心持、ルンルンな気分で映画館へと赴き、友達と自分の分の前売り券を購入。帰路に着く事にした。


 新宿のホーム。三番線、準特急の次発待ちの列の最前列に並ぶ。これは一回だけ乗り換えて、めじろ台へと行けるはずだ。やがて電車が到着した。時間の関係なのだろう。降りる人間も少なければ、乗る人間も少なかった。

 俺は端っこの席に座ると、ぼうっと、広告を眺める。なんかの標語が掲載されていた。




  寝過ごすな

   そしたら最後

    ラビリンス




 いや、意味分からんから。俺は襲ってくる睡魔に身を任せると、夢現の世界へとオールをこぎ始めた。

「は!」

 目を開ける。何やら悪寒を感じたからだ。俺はすっかり覚めてしまった目で車内を見渡すと、なぜだろう。いつもとは明らかに違う違和感を覚えて窓を見た。

「どこだ、ここ」

 どうやら寝過ごしてしまったらしい。俺は軽く焦燥感を覚えて、急いで着いた駅で降りてみた。果てしなく広いホームだった。やばい、早く、乗り換えて行かないと。時刻を見れば夜の七時。注釈しておくが、これは朝ではない。俺は携帯を取り出すと、親に電話をした。寝過ごしたみたいだから、帰りが遅くなる、と。そこまで言ったら電池が切れたらしく、携帯は無言になった。役に立たない携帯をポケットに押し込む。そして、何気に向かいのホームを見た。そこには行くときに見かけた女性が立っていた。

「あ」

 俺はあの人なら何かわかるかもしれないと、急いで追いかける。そして話しかけた。

「あ~、席を譲ってくれた方じゃないですか、奇遇ですぅ」

「ああ」

 人懐っこい笑顔で女性は話しかけてきた。早速本題に入る。

「あのさ、どうやら寝過ごしてしまったらしくて」

「それは大変でしたね」

「ああ、それで最終的にめじろ台に行きたいのだが……」

 そこまで言うと、女性は手をぽんとした。ひらめいたらしい。

「でしたら、百四十七番線に入れ換え電車しないと」

「は? 百って、入れ換えって何を言ってるんですか?」

「だから、まずは十七番線で待ち合わせた後に、六十九番線が入れ換えてくるので、さらに待ちます。すると、百四十七番線が入れ換えてきます。それに乗って、元の線路に入れ換えれば後はいつもどおりに乗り換えて……」

「いやだから、待て、待ってくれって」

 何を言ってるんだろうと思う。大体、百四十七番線があるはずが無い。そんなものこの世には存在しないはずだ。そんな広さがどこにあるというんだ。しかも入れ換えって、乗換えならば聞いたことがあるが、入れ換えは無い。この女、もしかして頭のネジでも緩んでいるのだろうか。俺が本気でそう思い込んでいたときに不意に、女性が考える動作を始める。

「あの~、もしかして初めてですか? 狭間のステーション」

「はざまのすてーしょん?」

「やっぱり、初めてなんだ」

 女性は俺の理解の無いイントネーションで感づいたのだろう。いや、確かにそんな名前の駅があることも知らないし。どうせならば、駅名を英語か日本語に統一して欲しいと思うほどだ。閑話休題。

 女性は耳打ちしてくる。

「じゃあ、席を譲っていただいたお礼で教えてあげます。でも、くれぐれも迷わないでくださいね。迷ったら……」

 そこまで言うと、声が聞こえなくなる。疑問に思ってみてみると、女性はひたすらに口パクしていた。俺を馬鹿にしているのか?

「すみません、これから先は時間空間保守法に引っかかる項目みたいなので言えないです。ってことで、これ渡しておきます」

 女性は言うと、メモ帳を破いて何やら書いて俺によこした。

「くれぐれも、この通りに動いてくださいね、でないと、大変な事になります。あとあと、この空間のことを私以外に聞かないでくださいね、その約束を破ったらあなたはきっと、イレギュラーとして、大変な目に遭ってしまうわ。私はあなたに恩があるから。それだけだから」

 それじゃ、明日も仕事なので、女性は走り去る。

 早速メモ書きに目を通した。まずは、階段を降りるか。

 言われた通りに降りた。そして、次にその場から二個先の階段を登るのか。

 階段を登る。そして、時刻表みたいなものがあるところで十七を押すらしい。俺が押すと、アナウンスで“電車が参ります”と放送がかかった。やがて、一人分のシートのついたミニ電車が到着して、ドアが開く。そこに乗って次の動作。六十九のボタンを押す。すると、小さなアナウンスがかかった。“六十九と入れ換えをいたします”。パシュッと言う音とともに扉が開く。外に出ると、表示が先程の十七じゃなく、六十九になっていた。ほうほう、そういう原理か。

 そして俺は、そのまま順調に行って、一つだけ特別に、普通の形をしている百四十七番線に乗った。行き先は“新宿”と書かれている。ここまで来て安心したのか、俺はまた眠ってしまったのだった。


 目を開ける。

 そしたら目の前には、先程とは違い人に溢れていた。しかし、外の風景は相変わらず、コンクリートのような色をした何も無い世界だった。アナウンスが告げる。

『え~、新宿を通過いたしました。次は、次はぁ地中海でございます。お降りの方は手元のボタンを……』

 そこから先は聞こえない。あれ、また寝過ごした!

 俺は急いで手元のボタンを押す。そして、着いたのは“三万三千五百六十六番線”。もはや、何が何処かも分からない。今気付いたのだが、浮浪者や骨みたいなものが目立つような気がしていたが、こいつらはもしかして……。俺が一人で物思いに耽っていると、一人の浮浪者が話しかけてきた。

「あんたもかい」

「ん、俺?」

「そうだよ」老人は目を細める。「あんたもやっちまったんか」

「何を?」

「駅で寝過ごしただろう」

「ああ」

「なら、戻れないなぁ」

 浮浪者は不気味に笑うと、歩いていく。姿も見えなくなってしまった。どういうことだろう。俺は考えた。

 誰かが考えたドッキリ?

 違うな。次。

 もしかしたらこういう夢?

 違うな。痛みも何もかもあるじゃないか。次。

 本当に迷い込んだのか?

 ちが……くないのかも知れない。アリスはどういう気持ちで迷い込んだのだろう。初めてその心中を察しることが出来たのかもしれない。まぁあんなに愉快な世界ではないが。

 頭に浮かんだ言葉。

「でないと大変な目に遭う。そして、ラビリンス」

 寝過ごすと、ラビリンスに迷い込むらしい。あれはもしかしたら、この狭間のステーションへの入り口のパスだったのかもしれない。何気に読んでしまった俺はイレギュラー、確かに。

「たかが、寝過ごしただけなのに……」

 俺はもう、戻れないのか。三万もあるのに、入れ換えてもとの百四十七番線に行く自信など無かった俺は、もう諦めるしかなかった。

「母さんに父さん、さようなら」

 俺は自分の運命を受け入れる事にした。だって、今更あがいたってしょうがない。もう受け入れるしかないのだから。時間に迷い込んだホームレスとして。また迷い込んできた奴でもいあたらからかってやろう。

 ここで一句。



  寝過ごすな

   そしたら最後

    ラビリンス


 これを読んだ貴方、次に起きたときに、もといた世界にいるという自信はありますか? 無い方は注意しましょう。狭間のステーション、そこは、地獄でもない、現実でもない、夢でもない、そう“何も無い世界”出口の無い迷宮――ラビリンス、なのだから。

 最後にもう一度、

“次に起きたときに、もといた世界に居るという自信はありますか?”



 迷宮へ、ようこそ。

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”寝過ごすな”の標語 甘深蒼 @shouhei_okamoto

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