尾行
後藤の家を出ると、例の赤帽子の男がまだ同じところに立っていた。スマートフォンから顔を上げて、私の顔をじっと見た。私は横にすっと目をそらして、コインパーキングの方へ歩き始めた。
最初の十字路のあたりまで来たところで、後ろに人の気配が迫り、振り向くと目の前に赤帽男の黄色い胸元があった。私は一歩後ろに下がり、相手の全身を上から下へと眺めてみた。黄色いトレーナーに包まれた分厚い胸や腹は、もし私が格闘技を習っていて、そこにパンチを食らわせたとしても、びくとも動かない気がした。反対にこの男が私を殴ったら、私は少なくても数メートルは空中を飛ぶことになるだろう。
赤帽君は私を見下ろすと「ポケットの中を見せろ」といった。
「いま会ったばかりの人間に、そんなことをする義務はない」
「さっき後藤の家に行ってたろ」
「誰の家に行ってようが、僕とあんたは何の関係もない」
そういってパーキングの方へ戻ろうとすると「痛い目にあってもいいのか」と、ひどく古めかしい脅し文句を吐いた。
「痛い目にあう? ナイフで刺すのか、ピストルで撃つのか知らないが、あんたはその目立つ服装であそこにバカみたいに長い間立っていた。邸宅街とはいえ、多くの人間に目撃されているだろう。僕に何かしても、すぐに捕まるだけだ。もう少しマシな脅かし方をしたらどうだ」
赤帽君の丸い眼が三角に吊り上ったが、そのどこか本気を感じられない態度から、彼には私を傷つける権限は与えられていないとわかった。
「あの家から出てきたヤツの持ち物を確認することになっている」
「一千万円のことか」私はカマをかけてみた。
「やっぱり知ってるんだな」
「いや、さっき一千万円が当たる宝くじを買ったんでね。一千万円もの現金が、このポケットに入るか?」
私は着ていたコートのポケットに両手を突っ込み、ひらひらと揺らして見せた。
「そんなことは聞いてない。持ち物を確認することになっているだけだ」
「ボスに相談して、別の方法を検討しろよ」
私は、まだ何か言いたそうに突っ立ったままの赤帽君を残して、さっさと歩き始めた。しばらくは彼の視線を頭の後ろあたりに感じたが、それ以上追いかけてくることはなかった。
料金を払い、コインパーキングから車を出すと、後藤の家をぐるりと迂回するように車を回して、さっきとは反対側の方角にある別のパーキングに再び車を入れる。車を降りて、後藤の家のある区画の手前の十字路にある電柱の陰から様子をうかがうと、赤帽君は地域に定住している野良猫のように、前と同じ場所に戻ってスマホのゲームをしながら後藤の家を見張っていた。
小一時間ほどたったころ、赤帽君のスマートフォンに電話がかかってきた。赤帽君は二言三言話して電話を切ると、後藤の家をひととおり眺めまわし、駅の方へと歩きだした。一定の距離をそのまま保ちながら、赤帽君を尾行する。彼はぶらぶらと駅まで歩き、小田急線の上り電車に乗り込んだ。
上り線は夕方にもましてガラガラだったため、私は一両隣の車両に何気なく滑り込む。いくら赤帽君が間抜けでも、さきほど脅かした男が同じ車両に乗っていれば、さすがにどこかで気付く可能性が高い。車内から隣の車内は見えないタイプだったが、ドアの横に立ち、駅で電車が停車した際に、通路を空けるふりをして一旦車両から降りて注意深くホームを確認すれば、赤帽君が降りる駅がわかるだろう。彼が巨体であるだけでなく、わざわざ目印となる可愛らしい帽子をかぶってくれているのは、実にありがたいことだった。
赤帽君は下北沢で降りた。下北沢で降りるのは、今日二回目だった。井の頭線への乗換駅であり、繁華街でもある下北沢駅は、この時間でも結構混雑していた。私は数メートルほど後ろからつけていたが、地下ホームから地上へ向かう長いエスカレーターの間も、赤い帽子がピョコンと飛び出していたため、見失う恐れはなかった。
赤帽君は改札を出ずにそのまま井の頭線のホームに向かい、渋谷行の電車に乗った。さっきと同じように一両隣の車両で追いかける。赤帽君は結局、終点の渋谷駅まで乗車し、西側の改札口から外に出た。道玄坂を横断し、風俗店やカラオケ、飲食店がひしめく小路を通って東急本店通りへ抜け、東急デパートの手前で路地へ曲がった。恋人との出会いを待ち望む若者たち、くたびれたセーラー服に毒々しい化粧の少女、リスクなく手軽に性的トピックを手にしようと企む中年男、そうした人種が行き交う合間を縫って、怖いもの知らずのヒーロー赤帽君は、後ろを振り返ることもなく、のんびりと雑居ビルの一つに消えた。
私はビルの入り口まで速足で追いつき、通り過ぎざまに中をチラリと見ると、彼はちょうどエレベーターに乗り込むところだった。エレベーターが動き出したと思われるあたりで、すばやくビルの中に入り、位置表示版を見た。表示は四階で止まり、そのまま動かなくなった。四階のテナントは『リラクゼーションショップ・ランブルオン』となっていた。ビルの外に出て、四階を見上げてみる。四階の窓は、1970年前後のロックミュージックのレコード・ジャケットによくあったようなサイケデリックなデザインのポスターで埋められ、わずかな隙間から中の灯りが漏れていた。私は再度ビルの場所を確認してから、車を取りに後藤の近所のパーキングまで戻り、そのまま自宅へ帰った。
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